 Lastline7 ふりかえる道 −嘘−
３年の受験もぼつぼつ終わりを迎える。 生徒の大方は進路を決定しており、卒業式まで優雅なものだ。 むろんその分、まだ進路の決まらない生徒には日々プレッシャーが募っていく。 決まったと言っても必ずしも希望通りと行くわけではない。 進路を１浪に定めた生徒もいるし。悲喜こもごも。 理科実験部の面々は幸い希望をクリアしていた。 運もあったが努力もあった。そんなそれぞれ。 元部長の葛西は国立理学部。吉澤は私立経済学部。美那子が私立英語学科。 そして美琴が私立医療福祉学科。 見事にバラバラな進路だが、らしいとも思った。 同じ部活の中で、それぞれが紡いだ夢は異なっても、しっかりそれをつかんだわけだ。 「吉澤くんが経済だとは思わなかったけど。このクラスじゃ異色よね。」 「何言ってんだ。おまえが一番異色だろ。理系でさ。よく受かったな。」 「えへへ。・・・・先生にかなり言われた。」 美那子が頭をかく。 「葛西は親孝行だよなぁ。俺なんてお袋にぶつぶつ言われてる。私立は金かかるって。」 「そりゃ私立よりはいいけど。理系は金かかるって。柚華もそうじゃん？」 「あたしなんて私立で医療福祉だから。お母さんに申し訳ないんだけど。」 「いいじゃない。今はありがたく行かせてもらって、あとで返すのよ。ね。」 「・・・そうだよね。」 「当分遊びたい〜。俺頭パンクしてる。」 「吉澤くんはいつもだったでしょ。よく受かったわよねぇ。」 「おまえその言い方はないだろ？」 新しい季節に向けての開放感。 それぞれが期待に胸をふくらませていた。 卒業前には、それぞれ部活で卒業生の追い出し会がある。 大体進路の決まっただろう時期を見計らって。 理科実験部も桜井からそれとなく葛西に打診があり、 幸い皆決まっていたので、追い出し会の日取りは決定された。 一時期の勢いはなくなったが、例の噂はまだ消えていない。 授業等、学校で顔を合わせる二人が淡々としていても、やっぱり周りは好奇の目で。 挙動を見られてるという感じは常にした。どうにもならないことではあるが。 追い出し会の話を聞いたとき、だから美琴にあった二つの思いは。 自分も追い出される立場になったんだという感慨と。 噂以来初めて、部活で羽矢と顔を並べることへの危惧。 最後のみんなとの顔合わせを、嫌な雰囲気にしたくなかった。 「いいから、知らん顔してれば。」 美那子はそう言って元気づけてくれるけれど。 「あたし・・・欠席しちゃまずいかな。」 夜。いつもの携帯で、ぽろっとこぼした本音。 「何を？」あっさり問い返す羽矢。 「卒業生追い出し会。」 「何で。都合でも悪いのか？」 「ううん。・・・でも。」 口ごもった美琴の様子に察した羽矢は、ちょっと語気を荒げる。 「馬鹿言ってんじゃない。」 「・・・ごめんなさい。」 「おまえが欠席するくらいなら、俺が行くのやめるさ。」 「だ、駄目よ、そんなの。」 「じゃあ来い。」 「・・・うん。」 逃げないと言ったのは自分だ。わかってても。 こないだみたいに聞かれたらどうしよう。いざとなるとためらってしまう。 あたしって弱いなぁ。 シュンとしぼんだ美琴の口調に、羽矢が声を和らげる。 「あいつらも、追い出し会でそんな話しないさ。知らん顔してればいい。」 美那子にも言われたんだよね。『知らん顔』 それで・・・いいのかな。 聞かれたらどうしようって思うくせに、知らん顔にも迷う。ほんとあたしって。 「もうちょっとだな、卒業式まで。おふくろさん、出られるのか？」 「これだけは出るって。何がなんても。」 美琴がやっと笑う。 いつも無頓着な母だが、さすがに高校の卒業式は親にもけじめだと思っているらしい。 すでに去年のうちからその日だけはと、職場に申告しているそうだ。 仕事柄、緊急事態は常にあり得るのだが、いまのところは出席予定だ。 「そっか。良かったな。やっぱり卒業式は見て欲しいだろ。」 「・・・そうだね。うん。」 母も。羽矢にも見守られて卒業できる。希望する進路に進める。 それら全てに感謝の気持ちが湧いてくるのは確かだった。 追い出し会の日。 去年は唐夏樹を初めとするミーハー部員の来襲に、葛西君と右往左往してたなと思い出す。 それがもう、送られる側なんだ−。 準備が大変なのは知っているので、 約束の時間まで３年生は教室でしゃべって時間つぶし。 この仲間も不思議な縁で、でも楽しかった。 この先、新しい場所でどんな人に逢うんだろう。 「ぼつぼつ行くか？」 葛西が声をかける。 「よっしゃ、追い出されに行くかーっ。」 吉澤がうーっと伸びをする。 「そうね。５分過ぎたし。」 答えた美那子が美琴に微笑む。 「うん。」 理科実験室の戸をガラッと開けると。 パンパンパン！ いきなりクラッカーが飛んでギョッとした。 「先輩、卒業おめでとうございますっ。」 「おめでとうございまーすっ。」 「葛西部長〜。」 「美琴先輩っ！ こっちです。」 なんともにぎやかな歓迎を受けて、うろうろしながら席まで案内される。 美琴が眼を走らせると、まだ羽矢の姿がない。 「美琴先輩、合格おめでとうございます。」 早速かけられる声。少しのざわめき。 「ありがとう。なんとかね。」気にしないで答える。 「そんなことないですよ。すごい難しいって聞いてますもん。」 「美那子先輩、英語科ですよね？ それも推薦？」 久しぶりなのでガヤガヤといろんなことを聞かれる。 まず受験の話になるのは、１，２年もすぐやってくることだからだろう。 再び開いた戸は桜井絵里香。 「部長、先生は？」 「急に会議が入っちゃったらしくて。先にやってろって。」 「えーっ？」１年生から不満の声。 「終わり次第来るからって。だから始めましょう。みんな、飲み物持って。」 ウーロン茶やら炭酸やらジュースやら。 「改めまして。３年生の皆さん、ご卒業おめでとうございますーーつ！」 「おめでとうございますっ！」 「ありがとう。」 「サンキュなー。」 紙コップで音も鳴らない乾杯を楽しげに繰り返して、追い出し会は始まった。 別に式次第があるわけではなく、要は集まってしゃべるだけ。 この１年、もしくは３年分の話を。 それなりの人数がいるので、自然としゃべりやすい数で輪がいくつかできたりする。 ３年それぞれを囲んで。 この半年受験であまり顔を出せなかった美琴を、しっかり囲んだ１年男子部員達。 「美琴先輩〜。卒業しちゃうんですかー？」 「留年しません？」 「馬鹿、縁起でもねえ。」 「先輩は大学も合格してるんだから。ねえ？」 「くそー、俺も美琴先輩のところ、めざそうかなぁ。」 にぎやかな彼らに囲まれて美琴はにこにこと話を聞く。 むろんその輪の中には桐辻もいた。 目が合うたびにニコッと笑ってくれる桐辻。どこか切なさも滲ませて。 強いなぁ。自分への思いやりを感じて、ありがたかった。 それを遠目で見ていたのは沖鳴見。 美琴と羽矢の噂が流れた時。 夏にすでに目撃していた鳴見は驚きはしなかったが、桐辻が気になった。 かなわない恋だからといって、あきらめるのも簡単じゃない。 自分が一番よく知っている。 噂を聞いて思ったのは、これではっきりしたら桐辻も楽になるんじゃないか。 そういう考え。 だが予想は裏切られた。 美琴はそれを否定したというし、羽矢もまた肯定せず。 噂だけはいつまでも歩き続け、そこここで顔を出す。そんな状態。 桐辻の心境を思うとじりじりしてくる。 だが、ぎりぎりなのは自分なのかもしれなかった。 文化祭でのアタックの結果は、 単に同じ立場にいるもの同士の共感・同情だったのはわかっている。 だから、そのあと周りが騒いでも、浮かれたりできなかったし、そう言った。 踏ん切りをつけたい。でもつけられない。つけるのが怖い。らしくないと思っても。 嫌われた方が楽なのかもしれないとすら思い始めている。 元気そうな見かけとは裏腹に、鳴見の精神状態はかなりぐらついていて。 それがきっかけになった。 いろいろ話に花が咲き、屈託なく話してくれる後輩達が美琴は嬉しかった。 なかなか現れない羽矢が気にはなったものの。 まさかほんとに、あたしのために来ないつもりじゃないよね。大丈夫かな。 「美琴先輩。」 呼ばれて振り向いたそこに鳴見。その顔はなんだか。 「・・・どうしたの？」 「なんでちゃんと言ってくれないんですか？ 羽矢先生のこと。」 しん・・・と美琴の周りが静まりかえった。 何も言えない美琴に代わって、隣にいた桜井絵里香が遮ろうとする。 「またそんなことここで蒸し返して。言ったでしょ、あれはデマ。嘘よ。何度言えば。」 「嘘じゃないわ。」 声を荒げて鳴見は言い返した。 「嘘じゃない。だってあたし見たもの。 先生と美琴先輩が相合い傘で歩いてるところ。夏休みだった。」 その声に、他の輪の生徒達もわらわらと視線を向ける。 美琴の眼だけが見開いていく。 「それからあたし、ずっと気にしてたもの。 そりゃ一緒の所を見たのは一度だけだったけど。 先生はいつも先輩を見てたし、先輩だってそうだった。嘘じゃない。」 絵里香の顔が徐々に青くなり、美琴と鳴見を見比べる。 桐辻があわてて抑えようとする。 「おい、沖。やめろっ。」 だが、振り返った眼からこぼれる涙に、驚きで口は閉じられ。 かまわず鳴見は叫んだ。 「なのになんで嘘だなんて言うんですか？ なんでほんとのこと言わないのっ！？ ずるいっ。ずるいですっ！！」 まるで。 問いつめられてるのは自分であるかのように、せっぱ詰まった叫びが響き渡った。 思いがけないことだったのに。 不思議なくらい静かな気持ちで、美琴は鳴見の叫びを聞いていた。 何度も確認した想いが、彼女の言葉を借りて証明を迫ってくる。 そんな気がした。 羽矢の立場を思えば否定すべきだとわかってる。 やめてほしくない。やめさせたくない。そう言ったのも自分なのに。でも。 あたしは一度否定した。同じ事は繰り返したくないから。 決めたんだ。 『もう、否定しない』 鳴見は泣きじゃくっていた。 この涙はなんの涙なのかわからない。どうしてあたしが泣いてるんだろう。 言っちゃいけないことなのに。 先輩も困るし、先生の立場もなくなる。桐辻だって望んでないのも知ってる。 誰を困らせたい訳じゃない。なのにどうして。 自分で自分がわからなかった。 その肩に触れた手。 「沖さん。」 「・・・せんぱ・・・い・・」 美琴はいつもと同じ、穏やかで優しい顔だった。 「ごめんね。・・・辛い思いさせてたんだ。あたしのことで。」 「・・・そ・・んな・・。」 「先輩？」 不安そうな声の桜井絵里香。 「桜井さん。ごめんね。あたし、嘘を言ったの。」 「・・・嘘・・？」 「美琴先輩っ！？」 遮ろうとする桐辻に穏やかな視線を返すと、美琴はまっすぐ絵里香を見る。 「あたしは、羽矢先生が・・・ううん、琉斗さんが好きなの。」 そこにいる生徒全員の視線を痛いくらい感じて、 それでも怯まず、美琴は言い切った。 約束のように。 静まりかえった教室で、皆の視線は美琴にだけ集まる。鳴見すら。 まさかこうもはっきり言い切られるとは思いもしなかったから、ただ美琴をみつめるだけ。 不意にガタッと立ち上がり、桐辻がその場を飛び出していった。 それをきっかけにのろのろと動き出す空気。掠れるように絵里香が声を出す。 「せ・・んぱい・・・何言ってるのか、わかってます？」 「うん。わかってる。ほんと、こないだはごめんね。あたし・・・・怖かったの。」 美琴の言葉が届ききらない顔の絵里香。 「噂になってることもあの時まで知らなかったから。 咄嗟に否定しちゃったの。琉斗さんの立場ももちろん気になったし。」 「琉斗さん」と呼ぶその響きが、生徒達の耳にやたらとひっかかる。 「ほんとは。もうすぐ卒業なんだから、言うべきじゃないのかもしれない。 最初にあなたに言ったとおりに否定して、嘘って言って。 それで通すべきなんだろうと思う。 さっきまでそうするつもりだったの。それでいいと思ってたの。でも。」 美琴の瞳が鳴見と合う。 「嘘はやっぱり嘘なの。ホントのこと言っても傷つく人はきっといる。 ここにいる人の中にも『羽矢先生』を慕ってて、 あたしの話なんて聞きたくない人も信じたくない人もいるはず。 ホントのこと言えばいいってものじゃない。それでも。」 美琴は皆を見る。 「嘘も誰かを傷つけるなら。 いつかばれて、もっと傷つけるかもしれないなら。 ほんとのことを言う方がいい。同じ事を繰り返したくない。 もう否定したくないの。」 「先輩−。」 「あたしが琉斗さんを好きなこと、つきあってることはほんとだから。 そう言うことで誰かを傷つけても、それはあたしが受け止めなきゃならないことだから。」 あんなに迷ってたのに。ううん、今も怖いけれど。 「だから。噂は事実です。嘘をついてごめんなさい。」 美琴は誰にともなく頭を下げた。 黙りこくっていた周囲の中、口を切ったのはやっぱり絵里香。 「・・・ひ・・どい・・あたし・・・先輩はそ・・んなこと・・しない・・って・・」 声が続く。 「そ、そうよっ。そんなのっ・・・でまかせだわっ。」 「ほんとだっていうなら・・・不潔よっ。先生と生徒なんて・・。」 「羽矢先生をクビにする気ですかっ？」 次第に興奮してくる女生徒達が美琴に詰め寄ろうとしたとき。 「やめろって！」 立ちふさがったのは葛西だった。横に吉澤。美琴のそばには美那子。 美琴の方が驚いている。 「落ち着けよ、おまえら。」葛西が宥める。 「これが落ち着けるんですかっ？ 先輩達も知ってたわけですかっ！」 「いや、全然。」 あっさり否定する葛西。 「だったら怒るべきじゃ・・。」 「なんで？」 「なんで・・・って・・・」 「そりゃまぁ教師と生徒ってのは、諸手を挙げて賛成する奴はいないだろうけどな。」 吉澤も口を挟む。 「でもさ、誰も知らなかっただろ。あれだけ部活があって、気づかなかったよな。 ふたりがけじめつけてたからだろ、学校では。」 「・・・それは隠してたんだから・・。」 「教師だって人間だし、恋愛したっておかしくもないし。 生徒もてあそぶんじゃ困るけど、マジなら別に構わないじゃん。」 「そんなのっ！・・・だって嘘って・・。」 絵里香の叫びを引き取ったのは美那子。 「桜井さん。あのね、あたしも知らなかったの。噂聞くまで。」 「美那子先輩・・。」 「確認できたのはその後で、あたしだってこのやろーって思ったけど。 でもその時も美琴は悩んでたよ。あなたに嘘言っちゃったって。 それでいいのかなって。ずっと。」 「・・・・そ・・んなの・。」 「美琴があなたに否定しちゃったのは、 懐いてくれるあなたに軽蔑されるのが怖かったのよ。あなたのことも好きだから。」 美那子はゆっくり語りかける。 「誰だって、好きな人には嫌われたくないから。」 絵里香の眼が美琴をよぎる。 「俺や吉澤だって今まで知らなかった。」 葛西が続ける。 「でもさ。俺たち３年って羽矢先生がこの学校に来た年に入学したわけだけど。 去年から先生、ずいぶん変わったなって思ってたんだ。 １年で部活に入ったばっかの頃はなんともいい加減で。そのくせ、 どっか切れそうなやばい雰囲気も時々あった。おまえら知らないだろうけど。」 うんうんと横で吉澤が頷く。 「それがさ、すごく穏やかに柔らかくなって。 よく笑う−−本気で笑うようになった。たぶん本人は気づいてないな、あれ。 柚華だってそうだ。綺麗になったし明るくなったし。」 下級生達は黙っている。吉澤がそれを受ける。 「噂聞いてさ、俺はなんとなく納得したわけよ。あー、それでかって。 恋愛でさ、生活乱れたりぐちゃぐちゃになったりしちゃあれだけど、 先生はより先生らしくなって、柚華は受験もクリアして。 お互いがいい方向に変わるならすげえじゃん。 そういうのまでおまえら否定するの？ 教師と生徒って理由で？」 葛西の落ち着いた態度と、いつもはおちゃらける吉澤の真面目な言葉に、 美琴の目は潤み、涙がこぼれてくる。 こんな風に認めてくれてたんだ。みんな。 あたしは何ひとつ説明しなかった。できなかったのに。 「だ・・・けどっ・・。」 又あがる声。 「これで羽矢先生がもし・・クビになったりしたら・・。」 「しないようにすりゃいいだろ、俺たちで。」 吉澤が言い切る。 「たとえ、柚華とつきあってたって、羽矢先生は羽矢先生だ。 おまえらが先生にいて欲しいなら、そんなことにならないよう、 くだらない噂なんてつぶしゃいいんだ。違うか？」 葛西も言う。 「羽矢先生は、俺たちにはちゃんと先生だっただろ。俺たちだってあの先生は好きだ。 俺たちが卒業しても、おまえらのためにいて欲しいと思ってる。 おまえらもそう思うなら、そうしたらいい。」 シ・・・・ンと静まりかえった部屋。 声もなく泣いている美琴の肩を、美那子が抱きしめている。 絵里香も鳴見も。１年も２年も。言葉がない。 そこに。 足音が響き渡って、飛び込んできたのは桐辻。 「美琴先輩っ！」 振り向いた全員の視線を気にも留めない。 「大変だ。学校側に噂が・・・ばれたらしくて。」 「え・・？」 美琴が泣き顔を上げる。 「今、応接室で羽矢先生が問いつめられてるっ。」 真っ白になった頭。 「・・・っ・・・あたし行かなきゃっ・・！」 思うより先に飛び出していく体。 「柚華っ。待てって！」 葛西の声を後ろに、美琴は職員室へ向かってひた走った−−。 
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