 Lastline4 受験最終日 −涙の飛沫−
美琴の受験最終日なのは知っていたから。 学校が終わったら、連絡を入れるつもりだったのだが。 気づいたらその前にメールが入っていた。 『美那子に晩ご飯を誘われたので、家にお邪魔してきます。 久しぶりなので話し込むかも。家に戻ったら電話するから。』 ちぇっ。先を越されたか、と腐る。 どうもこのところ美琴をつかまえられない。ひょっとして避けられてるんだろうか。 あの噂を聞いた日にも。 夜、美琴に連絡したのだけど、実はあの日は最初の受験日で。 かなり緊張したらしい美琴は、試験のことをただただしゃべりまくって。 それを聞いてやっていたら、噂のことは切り出し損ねた。 結局今日の受験最終日まで、それについてを尋ねるのは控えることにしたのだ。 今は美琴の進路が先だと思ったから。 噂は、なかなか収まりそうになかった。 教職員の耳にこそ入ってないようだったが、生徒たちの間では相変わらず。 美琴が学校に来ていないことで、勢いは半減してるけれど、決して消えてはおらず。 授業のたびに、生徒たちの好奇や非難やその他いろんな視線を感じた。 羽矢にとっては大した意味もなく、問題にもならないものだった。 自分に何ら、恥じるところも隠すところもないと思っていたから。 だが。 美琴がどう想い、どう感じてどうしようとしているのか。 それがわからないのがもどかしかった。 一緒に過ごしてきた日々の中で、お互いのことはわかったつもりになっていた。 約束はしない。枠にははめなくてもと。でも。 ひょっとしたら思いこみだったんだろうか。自分だけの。 そんな不安がもたげてしまうのは、それだけ傾いてることを証明してるのだろうけれど。 つかまらないならと、仕事をすませたら遅くなった。 部屋に戻るともう１０時を回っている。 シャワーを浴びて、コンビニで買ってきた弁当で晩ご飯の代わりにして。 ・・・いい加減に帰ってるんじゃないのか？ ひょっとして泊まるつもりかな。 ついつい気になる。 この時間に美琴の声を聞くのがすでに日課になってるからだ・・・違うな。 習慣じゃなくて。 俺が聞きたいんだ。あいつの声を。あいつの・・・心を。 羽矢は携帯を手にすると美琴にかけた。３コールでつながる。 「美琴？」 「琉斗さん？ ごめんね。話し込んじゃって・・・まだ帰り道なの。」 「ずいぶん遅いな。大丈夫か？」 「うん。久しぶりだったからいろいろ話すことがあったの。話せて嬉しかった。」 その言葉に。不意に決めた。 「・・・俺もおまえに聞きたいことがあるんだ。」 「・・・琉斗さん？」 「今どこだ？ 迎えに行くから。人通りの多いところで待ってろ。」 「迎えにって・・あの・・。」 しゃべりながら手早く身支度をして。 「動くなよ。」 車のキーをつかむと、飛び出した。 言われたとおりに、人の多い表通りで美琴は待っている。 風が冷たい。手袋の中で指がかじかむ。 話って・・・やっぱり噂のことだろうか。 それを思うと胸が重い。逢いたいのに。逢うのが怖い。 美那子ともいろいろ話をしたけれど。 何が正しくて何が間違ってるなんてそんな話じゃないのだから。結論はないのだ。 あるのは幾筋にも分かれた道。 選んだ道を進んだところに結果が待っている。それだけ。 だから迷う。 「美琴は・・・羽矢先生のことをみんなに言いたいの？」 美那子に聞かれたけど、即座に首を振った。 「言いたいんじゃないの。・・・否定したくないの。」 ただの言い回しかな。言葉で遊んでるだけ？ どうしてこんなに、こだわってしまうのか。自分でもいらだたしいほど。 「今は・・・黙ってる方が楽じゃないの？」 そうだとは思うのに。 パッパーッ。 クラクションの音にハッとした。 すぐわき道の路肩に羽矢の車。走りかけて立ち止まり、周りを見回す。 誰もいないよね。 そういう自分が苛立たしくても確認してから走り寄る。それを羽矢も見ていた。 「悪かったな、いきなり。」 そう言ってドアを開ける助手席に滑り込んでホッとため息。 「寒かったか。」 「ううん、ちょっとだけ・・・指がね。」 そういって手袋をはずした指をこすろうとしたら。 その指を羽矢が取って、息を吐きかけて温めてくれる。 「り、琉斗さん。大丈夫だから。」 指に吐息を感じて妙にうろたえてしまう。だって逢えるのも久しぶりで。 照れている自分にとまどうのに、離してくれない指。 それどころか。 「りゅっ・・・と・・？」 グイッと引き寄せられた肩。抱きすくめる腕。強い・・・力。 美琴の髪に顔を埋めて、羽矢が動かない。 「・・・ねっ・・くる・・っ・し・・・」 思わず漏らした美琴の声に、腕がゆるむ。視線が合う。 「・・・まえ、俺に・・逢いたくなかったのか？」 ドキンと。 心臓が高く跳ねた。 「そっ・・・んなわけっ・・んっ・・！」 反論しかけた唇は、塞がれて封じられて。 そのあとしばらく、二人はただただキスに溺れた。 果てるともない唇の抱擁は気持ちがそのまま形になっただけだった。 たとえ誰が見ても。それはただの恋人同士で−。 キスでぐったりとしてしまった美琴をそのままに。 羽矢は部屋まで車を走らせた。無言で。 シートにぼーっとよりかかった美琴は、その横顔をただ見ていた。 リビングの灯りをつけたら、食べかけのお弁当がテーブルにそのままだった。 「晩ご飯だったの？」 振り返った美琴に、羽矢はあっさり。 「あー、忘れてた。そういや食べかけ。」 それで終わり。ほんと、食べることにはいつも無頓着だ。 「ごめんね。食べちゃえば？」 「んー・・・食べる気失せた。あとでいい。」 そういいながらお弁当を片づけてしまう。 「ちゃんと食べた方がいいよ。」 「コンビニ弁当にちゃんともないだろ。」 そう言われたらそうかもしれないけど。 羽矢の部屋のリビングは、大きめのソファが一つと同じく大きめの座卓が一つ。 美琴は来るとたいてい、ソファの一方の隅に陣取るのが常。 すでに無意識にそこが指定席になっていて、今も何気なくそこに座っている。 いつもとちがうのは、どこか落ち着かない眼。 見慣れたはずの部屋を、きょろきょろと視線が飛ぶ。虫のように。 上着を脱いだ羽矢は美琴の横に腰を下ろした。美琴がいるときはそこが羽矢の指定席。 「琉斗さん・・・話って？」 「おまえ、わかってるんだろ。俺の話が何か。」 まっすぐそう言われたら逃げられない。 「・・・噂・・・のこと・・？」 「ああ。噂、な。」 「あの、先生方にも行ってるの？ もう？」 「いや。教職員には不思議とまだみたいだ。誰もなんも言わねえし。」 「・・・琉斗さんはなんで？」 「部活。」 「え？」 「こないだ久しぶりに顔出したら、いきなりだ。 『柚華先輩とつきあってるってホントですか？』だぜ。」 「そ、それで・・？」 聞くのもこわいけど聞かなきゃもっと怖い。 「部長の鶴の一声で・・・・終わり。」 「桜井・・・さん？」 「曰く。『あれは嘘だ。美琴先輩がはっきりそう言ったから。』」 美琴の肩がびくっと震える。それを見て確信する。 「・・・そう言ったんだ。」 確認するみたいな、だが低く機嫌の悪い声に美琴が顔を上げる。 その眼に責める色を見て、思わず身をすくめた。 「・・・どういう意味か、聞かせろよ。」 羽矢の機嫌は一直線にグラフの底を目指すことにしたらしい。 「どういう・・って・・」 そんな羽矢に美琴はとまどっている。 自分で確かに納得できず、自己嫌悪や無力感で落ち込んでいたものの。 羽矢自身にこう言われるとは思わなかったから。 「・・困る・・でしょ・・・琉斗さんも・・。」 うつむくと、美琴の髪がさらりと流れる。 「あたしもびっくりしたの。こないだ学校で桜井さんに聞かれるまで、 そんな噂が流れてるなんて夢にも思わなかったから。」 そりゃそうだろう。俺も知らなかった。 「いきなり聞かれて。『羽矢先生とつきあってるってほんとですか』って。それで・・・」 「答えは『嘘』だったわけね。」 声はすでに氷点下。 思った通り。あまりにもわかりやすい。 分かり易すぎて頭に来る。 美琴がそう言った理由だってわかるつもりだ。でも。 逢えなかった分、あれこれ考えすぎた分、羽矢の頭から理性がぶっ飛んでいた。 低い声に問いただされる。 「廊下で声かけたあの時なんだな。どうして・・・すぐ言わない？ 逃げたよな、おまえ。」 「逃げたんじゃなくて・・・。」 直後で。自分も考えがまとまってなかったのと。 「噂流れてるときに、二人でいたらまた・・・・噂がひどくなるし・・・現に１年生たち、あたしをにらんでたし。」 それは間違いないだろう。 「・・・なるほど。おまえとしてはどうにかして噂を打ち消したかったわけだ。」 「・・・え？」 「おれと、おまえのつきあいは『嘘』だって言い切ることで。」 羽矢の怒りすらこもった強い口調に、はじかれたように美琴が顔を上げた。 その眼が大きく見開いている。 「まあな。いきなり聞かれて、その場でそう答えちまったのはしょうがないかもしれねえけど。 じゃどうしてその後俺に言わない？ なんで噂のこと知らせないんだ？」 「それ・・は・・。」 「おまえが、『嘘だ』って言ったのを俺が聞いて、いい気分するわけないだろ。 おまえ一人の問題じゃない。どうして何も言わないんだ？ おまえ、俺たちのつきあいをほんとに『嘘』にしたいのか？」 「そんなことないっ！」 美琴にすればあんまりな台詞に、思わず叫ぶ。 「そんなわけないでしょっ。なんでそんなこと言うの？」 「言ったのはおまえだ。」 「だからそれは咄嗟で・・・それにそう言わなかったら困るのは琉斗さんじゃない。」 「俺が。ばれて困るなんていったことあるか？」 確かに。ばれないように注意はしてくれていたけれど、それはもっぱら美琴中心の羽矢で。 自分のことなんてろくに意識してなかったのは知っている。 でも。こないだの１年生たちのあの眼。 羽矢は自覚してなくても、ミーハー以外にだって教師として彼を慕う生徒は多いのだ。 『あたしも羽矢先生がそんなことになるの嫌だし。。』 あの桜井絵里香ですら。それが美琴をさらにためらわせる。 「受験のおまえに不利なことにはなりたくなかったから、あれこれ考えた。 別に言いふらすつもりはなかった。でも、強いて隠すつもりもなかった。ずっと。」 そうかもしれない。ううん、そうだった。わかってる。 「なのに。おまえは全部否定して、『嘘』にしたいんだな！？」 なんで俺はこんなに言い募ってるんだろう。羽矢の心の隅で理性が忠告する。 落ちつけ。美琴は本気で言ったんじゃない。 いきなり問いつめられれば、誰だってそう言うだろう？ 今必要なのはこんな風に美琴を責め立てることじゃない。 わかってる。わかっていても何故か止められない。 『美琴』 が 『嘘だ』 と言って。 それを釈明しなかった。 その事実にずいぶん深く傷ついた自分がいた。それはつまり。 「おまえ、ほんとは。こんな面倒なつきあい、やめたいと思ってるんだろうっ！！」 パン！と乾いた音が響き渡った。 頬にじわりとくる軽い痛みに、手を添える。 目の前では、美琴の眼がこれ以上ないほど大きくなって。 縁取っているのは天然のアイライン。 そのギリギリでわき上がる透明な雫が、かみしめる唇でかろうじてせきとめられている。 羽矢をひっぱたいた手は固く握りしめられて。 幾度か口を開きかけ、言葉にならず。 パッと荷物とコートをつかみとると、美琴は玄関を飛び出していった。 カンカンと駆け下りた足音が遠くなる。 「・・い・・・ってぇ・・・。」 声を漏らした痛みは、頬ではなく心だったかもしれない。 乱暴に冷蔵庫から缶ビールを取り出して開けた。 ぐっと呷ったが、苦さにむせかえる。 「・・・くそっ！」 飲みかけのそれを床にたたきつけた。 飛び散ったビールの飛沫が、涙のように床に点々と円を描いた−−。 
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