 Lastline-2 噂 −羽矢−
どうしたんだろう。 後ろ姿の美琴が、なんだか妙だった。 夕べもいつものように携帯で話した。 卒業文集を提出に来ると言っていたから、学校にいることは不思議ではなかった。 しゃべっていたのは桜井だったと思う。 見送って呆然としてる様子が解せなかった。 だから声をかけただけ。なのに。 『な、なんでもないですっ。』 思いきり振り払われた手にびっくりした。 直後、補習を待っていた１年生たちにつかまってさらわれてしまって、 確かめようがなかったけれど。 あまりにも美琴らしくなかったあの仕草。 変だったな。 変といえば、１年生たちの態度もなんとなく変だった気がする。 あのときは美琴が気になっていたので流したのだが、 補習中もそこここで私語が多かった。 目つきもなんだか。そのくせ面と向かっては誰も何も言わなかった。 何だろう。 その夜。部屋に戻って風呂に入った後、美琴に携帯をかけてみた。 毎晩の日課。逢えない日は必ず。逢えた日もたいてい。 「・・・はい。」 聞こえる声はやっぱりどこか元気がないような。 「美琴？ 具合悪いのか？」 開口一番、まずそれを聞く。 「え・・っと、昼間ごめんね。ちょっと・・・頭痛かったの。」 「頭痛か。」 「うん。薬飲んだから。」 「ならいいけど。」 「あの時の・・・１年生だったの？」 「ああ。補習な。インフルエンザで休みが多かったクラスでさ。」 「そうだったの。・・・あの・・琉斗さん。」 「ん？」 「変わり・・・ないよね？」 「は？」 「・・・変わったこととか・・ないよね？」 「・・・・・おまえ、何言ってるんだ？ やっぱなんかあったのか？」 「う、ううん。あ、もうすぐ受験だからちょっとナーバスかな。」 「あ・・あ。・・そういや、結局いくつ受けるんだ？」 「３つ。本命は一番最後。」 「しっかりな。あと少しだ。」 「うん。あたし・・・頑張るね。」 その言葉に。 常よりずいぶん力が入っているようで違和感があった。 「あと・・・ちょっとだから。頑張って・・。」 そこで言葉が止まった。 「美琴？」 「・・・琉斗さん・・・・めん・・ね・・」 「何？ 聞こえなかった。何だって？」 「なんでもない。もう寝る。お休みなさい。」 それで切られてしまった携帯に唖然とする。 なんだ？ やっぱりおかしい。なにかあったに違いないんだけど。 こういうときは聞いても言わないだろうから。 「・・そのうちまた聞き出すか。当分学校は来ないしなぁ。」 振り返ったカレンダーの１枚目がもう終わろうとしている。まさしく受験本番。 それが終われば卒業。美琴は学校からいなくなる。 今だってろくに来てないんだから、大して変わらないと言われそうだが、でも。 生活が切り離されるという現実が、ゆっくりと迫ってくる気がした。 「俺がそんなこと言ってちゃしょうがないよな。」 そういって、羽矢は缶ビールを取りに冷蔵庫へと立ち上がった。 数日後。 受験で忙しい３年担任たちの代わりに、あれこれと雑用が多くて。 このところ顔を出してやれなかった部活に、久しぶりに放課後行く時間がとれた。 ３学期はあっという間だから、部活動もどこかフワフワと頼りないものになりがちだが。 まぁ今年は桜井がまじめだから、大丈夫だろう。 そう思いながら理科実験室の戸を開けようとして。 騒がしいことに気づく。 「・・かげんにしな・・いよね・・・・だっていって・・だから・・」 「・・んな・・・いてみなきゃ・・・いでしょう？・・」 「おまえら・・・・ろって・・」 なにか揉めてるのか？ 面倒だな。 ともかく聞かなきゃわからない。ガラッと戸をあける。 「おまえら、何やってんだ？ 部活じゃないのか？」 いきなり姿を見せた羽矢に、なぜか実験室内は静まりかえった。 ・・・・なんだ？ あまりの静けさに羽矢の方が驚く。皆の視線にどこか覚えがある気がする。 これは・・・こないだの補習の時と似てる？ 「桜井。何を揉めてたんだ？」 羽矢の当たり前の問いに、いつもなら響くように返す部長だが。 「いえ・・・その・・。」 今日はなぜか口が重い。すると、唐突に別方向から声が上がった。 「先生、お聞きしたいことがあるんです。」 みるとこないだ補習にもいた１年生女子。 「俺に？ なんだよ。」 「柚華先輩と先生がつきあってるってホントですか？」 羽矢にはまさしく晴天の霹靂だった。 気づけば生徒が全員、羽矢の答えを固唾をのんで待っている。 まさかここで、しかも美琴の名指しで確認されることになるとは。 さすがの羽矢も思考が止まる。何も考られえずにただ口を開きかけた時。 「いい加減にしなさいっ。」 遮ったのはほかでもない桜井絵里香。 「何度も言ったでしょ。それは嘘だって。ですよね、先生？」 「どうしてそんなのが部長にわかるんですか。」 「わかるわよ。」 「だからなぜ？」 食い下がられた絵里香は、とうとう言い放った。 「だって、美琴先輩がはっきりそう言ったんだもの！」 絵里香の言葉にさらに衝撃を受けたのは羽矢自身だった。 『美琴先輩がはっきりそう言ったんだもの』 『嘘だって』 胸がギリッと捻られるような。 「美琴先輩が？」 「羽矢先生、そうなんですか？」 何が言える？ 羽矢は否定も肯定もできず。 「・・そ・・んなの・・・・。」 「ほら。だからそんなデマでわざわざ先生までわずらわせることないわ。 ほかの人にもそう言っておきなさい。いいわね。」 あまりにも断定する絵里香の言に、誰も反論できない。 そこには桐辻も沖鳴見もいたのだが、どちらも口をはさまず。 桐辻は羽矢をじっとにらんでいた。 「先生、すみません。大丈夫ですから。」 羽矢は逃げることにした。自分が危うい。 「・・・俺はいない方がいいみたいだな。」 「先生。」 「またあとで。」 混乱している頭を整理しよう。このままじゃ何を言い出すか自信がない。 羽矢は実験室を後に階段を駆け下りて行く。 「はい、今日は観察と検証。顕微鏡出して。」 絵里香はまだがやがや言っている生徒を追い立てていく。 その目には何の疑いもなかった。 美琴先輩がそう言ったんだから。 なによりそれが、はっきりした拠り所だったのだ。彼女には。 その拠り所が羽矢を悩ませる。とにかく人のいないところへ。 帰ったほうがいいか。 急ぐ羽矢にまた声がかかった。 「羽矢先生。」 誰だ。俺は今機嫌悪いぞ。 髪をガシガシとかきながら振り返ったら、思いがけない人物。 「・・・神岡？」 美琴の元カレ、３年の神岡憲一がそこにいた。読めない表情のまま。 羽矢は神岡を裏山へ連れてきた。 冬は木々も葉を落として、どこか寂しげだ。 「・・・３年は自由登校だろ。こんな時間にどうした？ なんか急用か。」 羽矢の言葉に神岡は応えない。 実際授業を受け持ってはいるが、神岡とはそれが唯一の接点で。 個人的な相談など受ける立場ではないし、お互いにそういう距離でもない。 神岡は知らないだろうが、 羽矢にすれば美琴の元カレというだけでこだわりがあるし。 以前、神岡がきっかけで美琴とは大もめしている。 なるべくさわらないようにしてきた人物だったのだ。 なんで今頃、それも俺に。 わけがわからなかった。 「噂。」 ぎくっとする羽矢。 「聞きましたか？」 「・・・たった今な。いつのまにあんな・・・デマ・・。」 語尾が細く消えそうになる。いらだちが募る。 「デマ？ デマですか？」 神岡が聞き返す声はなんだか強い。 「・・・・なんだよ、噂がどうかしたのか。」 「俺、見たんです。」 「何を？」 組んだ腕を指ではじきながら、羽矢は何の感情も持たずに聞き返した。 「羽矢先生と・・・柚華が、カウントダウンパーティーで一緒のところ。」 ピタッと。 羽矢の動きが止まって神岡を見返した。大きく見開いた眼。 じゃあ、あの・・。 「すいません。噂が広まったのは・・・俺のせいです。」 風が止んだ。 「言いふらしたわけじゃありません。噂を流そうと思ったわけでもないんです。」 神岡は淡々と語る。 「そりゃ・・・見たときは結構頭に血が上りましたけど。」 羽矢は神岡を見つめている。 「ご存じですよね。俺と彼女・・・柚華は４ヶ月くらいつきあってて。 振ったのは俺なんだけど・・・・。」 知っている。 それが美琴と羽矢の出会いのきっかけでもあったのだから。 おかしなものだ。 「振ったくせに、結構未練が残ってて。あいつだんだんきれいになるし。 ずっと目が離せなかった。」 独り言のような言い訳のような。勝手言ってるな。 「別にどうしようもなかったんだけど。でも・・・だから。 こないだ先生と手をつないでる姿は、かなりショックでしたよ。」 言われて視線をそらす。心の中では文句。 藍〜、ばれてるじゃないかよ。 おまえ、ばれないって言わなかったっけ、と八つ当たり。 「初め、わからなかったんです。大人っぽい格好だったし化粧してたし。 でも。先生が呼んだから。」 「・・・俺が？」 「『美琴』って。それでわかった。」 なんだ、ばらしたのは俺か。それじゃ文句も言えない。 「あの晩はさすがに・・・めげて。 パーティーから初詣に行ったら部の後輩にあって。 そのままカラオケになだれこんで・・・ちょっと飲んじゃって。」 言いながらやばそうな顔で見上げてくる。 「飲み過ぎたらしくって俺、記憶飛んでるんです。 翌日戻ってきたんだけど何も覚えてなくて。」 でもおかげで気持ちは切り替えられたのだ。 しょうがないよな。今更ぐちぐち男らしくない。受験生なんだし。 センター試験がすぐそこだったから、再び勉強に没頭した。 ３学期が始まっても、 ３年はそれぞれの進路に必死で周りのことなんて気にしてなかった。 それが。 「・・・センター試験のあと、学校に来て気づいたんです。噂に。 初めは他に見たやつがいたのかと思ってたんですけど、 どうも出所が部の後輩みたいで・・。」 イヤな予感がして、その後輩に確認したのだ。 そしたら。 「・・・酔っぱらった俺がばらしてたらしいんですよ、二人を見たこと。」 何しろ酔っぱらい。しゃべるだけしゃべって撃沈。 口止めなんてするはずもなく、しゃべったことすら忘れていたわけだ。 「知らない間にすっかり広まっちゃって・・・すいません。」 唇を噛む神岡。 そういうことか。 噂自体、耳にしたのは今日が初めてだった羽矢だが。 結局。身から出た錆ってことになるんだな。 あのパーティーでは、美琴にかかる誘いを払うことしか考えてなかったし。今思うと。 他の眼なんて気にもしてなかったんだから、しょうがないと自嘲しかけたところに。 「でも。」 不意に、神岡が上げた眼はにらみつけてくる。 「なんでデマって言うんですか？」 「なんで・・って・・。」 「俺は先生とあいつを見て、悔しかったけど。でも。 先生はちゃんとした気持ちであいつとつきあってるんだと思ったから、 だから納得したんです。」 視線が焦げそうだ。 「なのに、デマってのはなんです？ デマじゃない。それは俺が一番知ってる。 先生は・・・デマでごまかすつもりなんですか？」 「おい、神岡。」 「あいつのこと、そういうつもりでつきあってるんですか？」 「神岡って。」 「そんな、そういうつもりなら許せない。」 言い募ってくる神岡に、元々苛立ちを抱えていた羽矢が切れた。 「うるせぇっ！ デマにしたのは俺じゃない、あいつの方だっ！」 いきなり怒鳴られて怯んだ神岡。 「・・・あいつのほうって・・。」 「言ったろ。俺はその噂をついさっき初めて聞いたんだ。部活でな。 そしたら２年の後輩の子にあいつは聞かれて言ったらしいよ。『嘘だ』って。」 「柚華が・・？」 「ああ。あいつがそう言うなら、俺がそれを否定するわけにいかねえだろうが！」 さっき。桜井絵里香に聞いてから沸々と沸いていた怒りが、 つい神岡に向かってしまう。 なんであいつは「嘘」なんて言ったんだ？ いや、わかるけど。いきなり聞かれてごまかしたんだ。 だからって何も言わずに？ はたと気づいた。 あの日。廊下で声をかけた日。あの時か？ そう言えば電話で変なこと言ってた。 でも−−。 考え込んだ羽矢に神岡が聞く。 「・・・で、先生はそのままにするんですか？」 「・・・どういう意味だ。」 「柚華も俺も３年で、ここにいるのはあとちょっとだから。 黙ってごまかせばじき卒業だし。 ごまかして柳に風ってのが一番ですよね。」 その言い方が憎たらしい。 「それがいいのかもしれないけど。」 神岡は改めて、羽矢の顔を見る。 「いくら柚華がそう言ったからって。このまま噂がでかくなった時、 先生が自分の都合でそうするなら。俺は先生を軽蔑しますよ。」 にらまれてにらみ返す。 火花も飛んだかもしれない一瞬。 神岡はすぐ視線を切ると、もう一度頭を下げた。 「とにかく、軽はずみにしゃべって迷惑かけてすいませんでした。」 「・・・嘘言ったわけじゃない。謝ることじゃないさ。」 羽矢の言葉が聞こえていたのかどうか、歩き始める。 ふと立ち止まって。 「先生。」 「んー？」 「俺はさ、あいつを待ってやれなかった。 あいつの気持ちを大事にしてやれなかった。先生は・・・できたんだろ？」 羽矢の答えは沈黙。 そんな大事なこと、答えられるか。もったいなくて。 「ならさ。ちゃんと最後まで、大事にしてやってくれよな。」 神岡も、答えを待たずにそれだけ言って歩き去った。 あいつが美琴を振ったから、俺は美琴に出会えたわけだけど。 だからって感謝するのも筋違いだろう。 ちぇっ。この土壇場で面倒な噂流してくれて。 実は確信犯じゃないのか。・・・んなわけないか。 まあ、噂はしょうがない。今までばれなかったのがラッキーだったんだ。 それよりも。 『それは嘘だって』 美琴に逢って、聞かなきゃならないと思った。 俺たちは。 嘘なのかどうか−−。 
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