 番外編７ 最後の文化祭 −望みは同じ− 前編
部活を引退した後なので、文化祭では普通３年生は見物人だった。 目の前に受験が迫りつつあるから、落ち着いて楽しむのも難しいけれど、 それでも１，２年を激励に顔は出すのが慣例だ。 １日目は別の用事で多忙だった美琴は、２日目ようやく理科実験部に顔を出せた。 新部長となった２年生の櫻井絵里香によって、理科実験部はよくまとまっているようだ。 いわゆるミーハー部員たちもそれなりに協力してくれている。 去年の理科実験部は廊下での展示と教室内での喫茶店という形を取ったけれど、 今年は教室内で展示と喫茶を兼ねることになった。 去年よりも地味だが元々地味なこの部らしいし、 女性部長のためか結構展示も華やいだ傾向でよかったと、見に来て美琴は思ったほどだ。 「柚華先輩。」 顔を出した美琴にみんなが群がる。久しぶりだから。 「頑張ってるわね。どう？ 人出は。」 「んー、まあまあってところでしょうか？」櫻井がちょっと自慢げ。 「これ、差し入れ。みんなで食べてね。」 美琴が焼いてきたチョコケーキを差し出したので、歓声が上がった。 「ありがとうございます。」 「わー、おいしそう。ふたつも？」 「だって人数多いから。これでも足りないかもね。」 「先輩、忙しいのに〜。」 「あ、お茶飲んで行って下さいね。今、持ってきます。」 バタバタとした雰囲気は懐かしい。 見渡すと薬品の匂いとコーヒー・紅茶の匂いがいり混ざって鼻をくすぐる。 楽しそうに展示物を見ていると。 「先輩。どうぞ。」かけられた声に振り返れば、そこには桐辻。 「桐辻くん、久しぶり。」 「ほんとに。たまには顔出してくれないと。」 「ごめんね。桐辻くんってかけもちしてるんだよね、部活動。」 「昨日テニス部の方へ出てたんです。」 「忙しいよね。でも、こう言うときは忙しい方が楽しいでしょ？」 「・・・先輩いると、もっと楽しいんだけど。」 見上げた眼がマジだったので、美琴は怯みつつ、置かれたコーヒーに口をつけた。 「あれ、インスタントじゃないんだ？」 「ええ。ドリップ。櫻井部長のつてで、コーヒーの粉が凄く安く仕入れられたから。」 「おいしい。へえ、すごいね。」 美琴が感心する。そこに。 「おまえら、真面目にやってるか？」 羽矢の声に皆が元気になる。 「先生っ、どこ行ってたんですか？」 「俺は今日は見回りなんだって。昨日言ったろ？」 「あー、そうだったっけ。」 「櫻井、特に問題ないな？」 「はい。あ、柚華先輩に差し入れもらいました。」 櫻井の視線に羽矢は振り向いて、そこでやっと美琴に気づいた。隣の桐辻にも。 「・・・柚華、部活には久しぶりだな。」 「はい。昨日はクラスの方に引っ張られちゃって。」美琴が微笑む。 美琴のクラスは３年のくせに力余ってる、というか、 受験の憂さがたまっていた連中が多かったらしく、文化祭に有志で出店を出しているのだ。 たこ焼き屋。 有志の大半は男子生徒なのだが、やっぱり女生徒は当てにされてしまって。 押しに弱い美琴や美那子など、女子数名は手伝いに駆り出されていた。 まあほんとに当日しか手伝いはしなかったけど。 一昨日も、羽矢が携帯で言ってたっけ。 「なんのために部活を引退したんだよ、今年の３年は。しょうがないな。」 「そうなんだけど・・・みんな煮詰まって来てるのよ。理想と現実のギャップに。」 その気持ちは美琴にもわかる。思うようにはなかなか上がらない成績。辛いところだ。 「なるようにしかならないさ。」 こういうときは羽矢の、悟った台詞は憎たらしいことがある。 「琉斗さんはもう終わっちゃってるからそういえるんでしょ？」 「おい。人生を終えた爺さんみたいに言うなよな。八つ当たりする気か？」 「・・・そんなことないけど・・。」 美琴も普通に受験生だなぁ。あたりまえだけど。 すねたような口調に羽矢は思う。確かに当事者にすればそういうものだろう。 それを文化祭っていう方向へ押し出すのは、至って健全な考え方だ。 「まあ楽しめればいいんじゃないのか？ せっかく文化祭なんだから。」 「うん。おかげでたこ焼きが上手になってる。」 「・・・おまえ、毎日焼いてるの？ 家で。」 「だって。たこ焼き器貸してもらったから。焼かないとうまくならないし。難しいんだよ。 不思議とこういうのはお母さんの方がうまいのよね。」 なんでかな、と呟く美琴。 なんとなくわかる気がする羽矢。 あのおふくろさん、料理は下手ってよりもめんどくさがりなだけなんだろうな。 やらせればテキパキこなしそうだし。 「じゃ毎晩たこ焼きで晩飯とか？」 「失礼ね。そんなわけないでしょっ。・・・まあ、夜食はたこやきが続いてるけど・・。」 くっくっと電話口から羽矢の笑い声が聞こえて。 むっとしたけど、やっぱり美琴も笑い出していた。おかしいわよね、そりゃ。 思いがけず体育祭の折り、母に羽矢を紹介することになって焦ったものの、 美琴にすると逆に随分落ち着いたのだ。 たまにするデートもはっきり告げられるようになった。 母は羽矢を気に入ったのかどうなのかわからないが、少なくとも信用はしたらしかった。 それがわかるだけでも、美琴には嬉しかったから。 「思い出した。そういや・・・文化祭だったっけ。」 「何？」 「俺がおまえに告ったの。」 「・・っ・・・えっと・・・・・・・うん。」電話口の声が恥ずかしそうに消え入る。 「あのね、告られた方がなんで恥ずかしがってるの。」 「だ・・って・・。」 やっぱり笑っている羽矢。うう、勝てないな。 別に勝ちたいわけでもないけど。なんだか・・・悔しい気分。 「今年はどうしたい？」 「え？」 「キャンプファイヤー。踊るのか？」 「・・・だって・・・」 「俺は相手できないけど、おまえ踊りたいなら踊ってくれば。高校最後だし。 やっぱそれも思い出になるだろ？ キャンプファイヤー、一度くらいは参加しないと。」 思いがけない言葉に美琴は黙った。 確かに。 １年の時も踊れなかった。相手がいなくて。 ３年の今年。彼氏がいなくても確かに、クラスの男子とか一緒に楽しめるかも知れない。 だけど。 「・・・考えてみる。」 「ああ。俺のことは気にすんなよ。」 その言葉が。 嬉しいのか、哀しいのか、よくわからない美琴だった。 携帯を切った羽矢は、ソファに転がっている。 明日から文化祭。美琴がいる最後の。 また来た、『最後の』行事の一つ。 美琴の母・早苗との会話は、羽矢にもいろいろ考えさせることは多かった。 それまでは漠然としか考えなかったことを、 はっきりした言葉・思考として自分の中で自問自答することになったのだ。 『変わっていくだろう美琴に、枠をはめて欲しくないんです。』 早苗の言った『枠』はいろんな意味を含んでいると思う。 たとえば恋愛に対しての。 将来に対しての。それから、美琴自身の経験に対しての。 ちょっと反省すらしたのだ。 このところ、どんどん美琴に傾く自分の感情は自覚していたから。 傾きすぎてるんだろうか。 自分はいい。だがそれが、美琴自身の行動を制限してるんじゃないのか。 ついこないだまでだったら、キャンプファイヤーで、 美琴が誰か他の奴と踊るのなんて、あまり考えたくもなかった。 今だって考えたいわけでもないが。 でも。 美琴にすれば最後の文化祭。 今も覚えている。暗い教室の片隅で、赤々と踊る火を眺め下ろしていた後ろ姿。 愛おしかったけれど。 それが寂しそうだったのも確かで。 ずっと後になって聞いたら、１年の時も踊りの輪の中には入らなかったと言っていた。 なら。一度くらいは踊りたいんじゃないのかと。 自分が相手になれば一番いいんだろうけど。 別に教師が踊ってないわけではない。余興みたいに混ざっている先生もたくさんいる。 だが、羽矢はどうも面倒くさくて、一度もそこに混ざったことはなかった。 正直、美琴が他の誰かと踊るのを見たくもない。 桐辻だったりしようものなら・・・危ない。 だから。 ”踊ってこいよ。” そう言うのが、羽矢にすると精一杯の譲歩だった。 美琴に枠をはめないように。そう考えた上での。 「こう言うときは、教師と生徒ってのは・・・・むずいよな。」 寝転がったソファで天井をにらんで呟くと、クルッと横になって目を閉じた。 最後の文化祭−か。 そして当日。 初日は一生懸命練習の成果を発揮してたこ焼きを焼いていた美琴。 買いに行った羽矢だったが、クラスの男子に囲まれた美琴は眩しかったっけ。 すでに２日目も残り少ない。 美琴を目の前にして、妙にそれを感じる羽矢。 「ま、ゆっくりしていけ。・・・キャンプファイヤーには出るんだろ？」 「・・・はい・・多分。」 「美琴先輩、キャンプファイヤー出るんですか？」 それまで黙っていた桐辻が、とびつくように聞きに来た。途端。 「ほんとに？」 「先輩〜。」 美琴の姿を遠巻きにしていた１年男子部員が、俄に色めき立ってしまった。 え？ え？ 焦る美琴。 苦笑する羽矢。これだもんなぁ。 「先輩、ほんとに？」 「・・・まだ・・・はっきりとは。」 「ってことは誰かに申し込まれたってわけじゃなくて？」 桐辻の眼は羽矢を睨んでいるが、羽矢の方は知らんぷりだ。 あれ？ 「・・・そんなことない・・よ・・。」 美琴の声の方が小さい。チラッと羽矢を見るけど、もう歩き出してる背中。 胸がチクッと痛い。 「なら、僕と行きませんか？」 その言葉に。近くで接客していた沖鳴見が振り返る。強い視線に誰も気づかない。 「いや、俺も。」 「先輩っ、僕。僕！」 突如として「美琴先輩争奪戦」と早変わりしかけるその場を、櫻井がビシッと遮った。 「まだ営業中なのっ。そういうのはよそでやって。 大体先輩が困ってるでしょっ？ ねえ？」 曖昧な笑顔で返して、美琴はその場を逃げ出した。 あそこで誰かに決めるのなんて無理だし、 自分の気持ちもついていかないのもわかっていたから。 他の部や出店を巡りながら、美琴は考えていた。 一昨日の夜羽矢に言われたことは、美琴にするととても意外で・・・驚きだったのだ。 『俺は相手できないけど、おまえ踊りたいなら踊ってくれば。 高校最後だし。やっぱそれも思い出になるだろ？』 まさか。そんな風に言われるなんて思ってなかった。 正直に言えば。 キャンプファイヤーで踊りたくなかったわけじゃないのだ。 一度くらいは。確かにそう思ったし。でも。 いざ、羽矢にそう言われてみたら。何かが違った。なにか・・・・何？ あたしは・・・踊りたいのかな？ その問いに答えが出なくて迷う心そのままに、 美琴は校内の催しを今年で最後と、グルグル巡り続けたのだった。  |