 番外編４ Anniversary −ふたりの始まり− 中編
土曜日はとりあえず晴れていた。ところどころに影を描いたような雲があったものの。 空は夏の青−。 美琴は桐辻とランチを食べている。 助けてくれたお礼がしたいと言ったら、望まれてつきあうことになった土曜日。 「お昼はあたしが奢るから。」 そう言った美琴が桐辻を連れていったのは、学生向きのカジュアルなレストランだった。 羽矢と行くところとは雰囲気が異なり、年相応で背伸びをしない場所。 「ここはね、トマトソースのスパゲッティとピザがおすすめなの。」 説明する美琴に桐辻は上機嫌。それはそうだろう。 どれだけアタックかけても剣もほろろだった美琴と、ようやく念願かなってデートになったわけだから。 桐辻が美琴を初めて見たのは、やっぱり部活を紹介する勧誘会の折で。 運動系しか興味がなかったので、文化系の紹介はかったるそうに、眼をやるだけだった時間。 あれ、可愛いな。１年なわけないから２年？ ３年ってことは。 「理科実験部」というなんとも地味な名前の部活紹介で、 カエルの解剖なんてものを等々と述べている奴の向こう側。 説明書きの模造紙を貼ってそばに立っていた女生徒。 肩をおおうストレートボブ。小柄だけど均整の取れた体つき。クルッとした眼。 その時唐突に騒ぎは起きた。 壇上で華を(?)添えていたはずのカエルが逃亡したのだ。 そいつはその女生徒の足元へ逃げていき、彼女は一瞬それに気を取られてつんのめり。 ゴテッ！ しばしの沈黙。それを破った泣き声。 「いったぁ〜〜い！！」 後は爆笑の渦で。むろん桐辻も腹を抱えて笑い転げた一人だったが。 打ちつけて赤くなった鼻を押さえて真っ赤になったその様子はなんとも可愛かった。 年上に言うべきではないのかもしれないが、可愛いとしか言えなかったほど。 そこでハートを射抜かれた１年男子はかなりいたわけだ。後から思えば。 かくいう自分もその一人。 運動部とかけもちして入った理科実験部。 地味だけどそれなりに面白そうだったのは儲けものだった。 ちょっと顧問目当ての女生徒がうるさかったが、男子が多すぎるよりましだ。 そうして注意深く観察し、出しゃばらないけど真剣で、まじめだけど天然で、そのくせしっかり者。 なんだかくるくると変わる表情にさらに惹かれて。 すっかり本気になった桐辻が、アタックを始めたのが５月の連休明けだった。 しかし。 この先輩のガードは驚異的に堅かった。鉄壁どころか超合金、難攻不落。 どうも自分に好意を持ってるなんて夢にも思わないらしく、 かける誘いを全てにっこりブロックされてしまう。 でもなんとも柔らかな断り方で、ついつい次もチャレンジをかけてしまって。 結構自分には自信があるほうだったのに。 いや、１年や部活でも誘われることだって多いのだ。 なのに。美琴に関するかぎり１００パーセント駄目。 おまけに浮かんできたまさかという疑い。 問題は顧問の羽矢先生。 「理科実験部」が別名「羽矢ファン倶楽部」と呼ばれている原因。 まあ確かに、男から見てもかっこいい。気さくでこだわらず、教え方も悪くないし。 女生徒からもてるとはいえ、別にそれを自慢にも気にもしてないようで、 あくまでも淡々と流している。 だから桐辻はどっちかと言えば好感を持っていた方だ。でも。 恋敵となると別だよなぁ。 美琴と羽矢への疑惑はしかし、疑惑でしかなく。 確かめようもない。聞くこともできない。 期末テストの後はそのまま夏休みへ突入して。 実質、受験を控えた３年生は１学期で部活動は終了の形を取る。 むろん時々顔を出したりはするものの、大方は１，２年に引継だ。 それがあったから、桐辻も焦っていたのだが。 進展もなく疑惑もそのままで、１学期は終わってしまった。 これじゃ美琴先輩とデートなんてできそうにない。そう諦めたのに。 思いもかけず、「誕生祝いのデート」なんてスペシャルが降ってきた。 今年の運は全て使い果たしたのかも知れない。それならそれでいいけれど。 だから。 桐辻が浮かれるのは無理のないことだったのだ。 たっぷり食べた二人。 「ごちそうさまでした。」 「どういたしまして。で、どうするの？」 まさかコンサートのわけもないだろうと思った美琴。 「プール♪」 「ぇえっ？」 「ってわけにはいかないでしょうから。」 そりゃそうだ。水着も持ってないし、第一まだ羽矢とだって行ったことがない。 「テクニカルパークってのは？」 「テクニカルパーク？」 「ほら。駅のならびに新しくできたばっかの『Ｇ−ＬＡＮＤ』。」 「あ、あれ？ あたしもまだ入ったことないの。」 それは今はやりのゲーセンの巨大化したものというべきか。 夏休み前にオープンしたばかり。いわゆるゲームセンターはもちろん、 もっと大きなテーマパークタイプのものから、ダンジョン風、アドベンチャー風と色とりどり。 中高生のデートスポットとして、この辺では新名所になりつつあった。 「でも結構高いって。」 「オヤジがね、新聞社に勤めてて。割引券くれたんですよ。」 ピラッと差し出されたそれは１日パスポート半額券。 「うわぁ、いいの？」 「もちろん。美琴先輩はこういうのどうかなって思ったんだけど。」 「ううん、結構好きよ。ただあたし鈍いから。ゲーセンでもまず出来ないんだけどね。」 「よかった。じゃ行きましょう。」 誘いが当たりだったことに喜んで、桐辻はさらに機嫌をよくした。 かくして二人はテクニカルパークで半日を楽しむことになった。 一方羽矢は。 朝からストバスの練習試合が市民体育館であって。 交流会も兼ねていたので、昼をはさんでそれなりに盛り上がった。 ストバスを初めて約半年。 すっかりチームにも仲間にも馴染んでいる。 予想外だったのは、練習も含めた試合と交流会の多さ。 この近辺ではストバス熱はかなり盛んで、草の根チームが数多い。 年齢層が割と高めなのも幸いしてか、 大人同士の交流と言った風でどんどん輪を広げているようだった。 羽矢の属するチームは、メンツがまたお祭りなタイプが多いこともあり、さらに盛んだった。 おかげで知らず知らず知り合いが増えていく。 かつて、社会人チームで周りとの軋轢に悩んだ羽矢だったが。 肩の力がぬけたここでは、それもほとんどなく、至って楽しむバスケに徹している。 周りもそんな羽矢の、年の割に練れたところを歓迎していて、チームワークも良好だ。 ただ、チームでは若手に入る羽矢。やっぱり時々感情のムラが出るのも確かで。 草太がそれをカバーしてやることも多い。 今日は間違いなくそのパターン。 「こらっ！ 羽矢っ！いい加減にしろっ！」草太の怒鳴り声。 「おまえねっ、いくらなんでもあそこからシュートして入るわけねえだろうがッ！」 練習試合も一区切り。 みんな休憩してるっていうのに、怒鳴りあう二人は目立つ。 もっともチームのメンツは慣れているのか、ほっとくだけだ。 「やってみなきゃわかんねえだろ？ １０発打ったら３本くらいは入るんだ。」 「おまえね、３割の確率を試合で試すなっ！ そういうのは余裕ある時にやるもんだ！ １点を競ってるときにやることじゃねえだろっ！」 こういう場合、まず筋がとおっているのは草太の方だが。 「練習試合なんだから、チャレンジしたっていいじゃねえかっ！」 かみつくように怒鳴り返した羽矢をまじまじと見て、草太が深くため息をついた。 グイっと羽矢の腕をつかむと、コートから廊下へとひきずっていく。 「なっ、なんだよっ。草太っ！」 身長はともかく、ガタイのでかさと腕力では草太に勝てるわけもない。 ズルズルと引っ張られていった先は外の水飲み場。 草太は羽矢の頭をつかむと水道の蛇口をひねり、いきなりそこで水を浴びせかけた。 「・・っ・・・やめっ・・わっ・・そ・・・たっ！！」 思いっきり頭をびしょぬれにしてから、やっと解放してやる。 突然で水まで飲んだらしい羽矢が、ゲホッゲホッと咳き込んでから地面に転がった。 「・・・ったく、なにしやがる・・んだ。」 「それはこっちのセリフだ。おまえね、多少のいらつきは可愛いけど、 それをあからさまに試合に出すなよな。」 「・・・にを・・・」 「俺にはバレバレ。ほら言ってみ。・・・彼女とケンカしただろ。」 グッとつまった。 やっぱしばれてるか。そりゃそうだなぁ。仰向けの顔に夏の日射しがきつい。 それを両手で遮るフリをして顔を隠す。 「なんだよ。また莫迦なジェラシーでもしたのか？」 「おまえ、悪いのは俺の方だと決めてるな？」 「当然。」 短く断言される。 「あのな。美琴ちゃんとおまえを並べて、ケンカの原因はどっちにありそうかって聞かれたら、 １０人中１０人おまえだって言うぜ。間違いなく。」 ずいぶんな言われようだ。 「・・・あいにくだけど、今回はその１１人目だぞ。」 「どうだか。とにかく説明して見ろよ。聞いてやるから。 ほら、藍が差し入れ持って来てるんだ。ちょっと水分もとろうぜ。」 年の功で宥められて。 羽矢は起きあがると、草太に続いて歩き出した。。 「ふーん。」 藍の手作りのサンドイッチは軽くて、おやつにはちょうどいい。 大量に作ってきた藍は、向こうのチームにまで配って歩いている。いつものことだが。 それを口に放り込みながら、ウーロン茶を飲みつつ。 羽矢の説明とも愚痴ともつかぬ話を聞き終わって。草太が唸った。 「珍しいな。美琴ちゃんが自分から誘ったのに、ドタキャンされたのか。」 「そうだよ。それも他の奴とデートだぜ。これでも俺のせいか？」 ねめつけるような羽矢の視線に、草太が苦笑する。 ほんとにまあ、１０も年下の彼女に振り回されてるねぇ。 「だってさ、話を聞けば無理はないだろ？ なんたってろくでもない奴らから守ってもらったわけだし。 実際そいつがいなかったら、美琴ちゃんになんかあったかもしれない。」 「それはそうだけどさ。人に約束したくせに、そっちを優先するなんてらしくねえじゃん。」 その言い方に草太が反応する。 「なにおまえ、疑ってるわけ？ 美琴ちゃんがそっちの年下に気があるんじゃないかって。」 「バッ・・・馬鹿言うなよっ。」 だが。多分図星だったのだろう、羽矢が黙る。 まあ疑いというより不安かな。高校生の彼女がいる苦労か？ ついつい笑い出しそうな草太に、羽矢のにらみがきつくなる。 「それでいて、夜は絶対なんて言うんだぜ。なんか人を莫迦にしてないか、それ。」 「うーーん。」 「そうじゃないわよ。」 突然降ってきた声は、藍だった。 山ほどのサンドイッチを配り終えたらしく、満足そうだ。 「あのさ羽矢くん。路上でいきなり見も知らぬ男にちょっかいだされる怖さってわかる？」 「は？」 「そういうのって、いくら説明しても男の人にはたぶんわかりきらないんじゃないかと思うけど。 ものすごく怖いのよ。根本的な男への女の恐怖ってのを思い知らされるくらい。」 「なんだよ藍、まるで経験者だな。」草太の突っ込み。 「あたしだって経験あるもん。」 「へえ？」 「べつに大したことじゃなかったけど、いきなり知らない男にからまれるのってほんと怖いの。 あたしは酔っぱらいだったけどね。どれだけ強い女性でも絶対その瞬間怖いと思う。」 真面目な顔で説いている藍に、羽矢が少し考える。 あいつは恐がりだからよけいかな。 「ましてや美琴ちゃんなんて、あんな華奢でさ。おまけにその時、調子悪かったんでしょ？ 繁華街なんて人通り多いのに、誰も助けてくれなくて。心細いことこの上ないわよ。 そこで助けてもらったら、そりゃあ感謝感激雨霰。一歩間違うと惚れるわね。」 羽矢の眉がビクッと上がる。 草太がギョッとして藍の手をひっぱる。おまえ、火に油そそいでどうするっ？ 藍はチラッと草太を見て笑う。 「まあそれは大げさだけど。それくらい感謝したいものなのよ。 たまたま相手が前からアタックかけてた子だったからデートになっちゃったんでしょ？ 大目に見て上げなさいよ。」 「・・・だからって・・」 今ひとつ納得できない。 「それでも逢いたいって言ったんでしょ？ そりゃ逆に美琴ちゃんが今日、どうしても羽矢くんに逢いたかったってことじゃない。 ・・・でもさ、なんで今日なの？ また。」 素朴な疑問。 それは羽矢も知らないこと。 「わかんねえ。理由なんてあったのかな。」 「あるに決まってるわよ。じゃなきゃもともと、土曜日って言わないでしょ？」 「そっか？」 「あー、ほんとに男ってのは無頓着よね。なんか忘れてるんじゃないの？」 そう言われたって首を傾げるだけだ。 「おい、草太に羽矢。もう一試合やるぞ。」 声がかかって、休憩時間が終わった。 羽矢の不満も疑問も結局そのまま−。 テクニカルパークで散々遊んで。 ふたりが出てきたのは夕方だった。でも、いつのまにか空は一面雲が広がっている。 「あれー。雨が降りそうだね。」 見上げた美琴。雨かー。 「先輩、よかったらこれから僕の家に来ませんか？」 「・・え？」 美琴がびっくりした顔。 「あ、いや。家で家族が誕生日を祝ってくれるんですけど、よかったら一緒に。」 そう言われても。美琴は黙る。 「あ、あの。そんな深い意味はないんです。 ほら、仕事が不規則な父親なんで、祝いは休みの家族がそろう日って母親が言うんです。 たまたまだから、晩ご飯だと思ってくれれば。」 ちょっと焦ったかな。桐辻は美琴の表情に思う。 これからは学校が始まっても、そうそう顔を合わせる機会がなくなる。 だから。せっかくのチャンスを無駄にしたくなくて。つい。 美琴は黙ったまま考え込む。 別にそんなに深く考えなくてもいいのかもしれないけど。 でも。今日は−。 「あ、降り出した。」 桐辻の声に見上げると、流れ始めた銀の糸。 この季節なのに、ザッと降る夕立ではなくて、シトシトと伝うようなそれはー。 「ごめん。あたしやっぱり用があるから。」 美琴は桐辻にむかうと、はっきりそう言った。 「今日は楽しかった。なんか、あたしがお礼しなきゃいけないのに、逆だったね。」 「い、いえ。僕こそ楽しかったです。ごちそうさまでした。」 「２学期から、部活がんばってね。時々のぞくから。」 「そうしてください、是非。」 「じゃあね。」 そう言って駆け出しかけて。クルッと美琴は振り返った。 「忘れてた。桐辻くん、お誕生日おめでとう。」 にっこり笑ってそう言うと、今度こそ美琴は駆けだした。 「せ、先輩っ。雨。」 「大丈夫ー。さよならー。」 空からの銀糸をまとうように、人混みに消えていく後ろ姿。 桐辻にすると一段と想いが募っただけ。 嬉しいような苦しいような誕生祝いのデートだった。  |