 番外編４ Anniversary −ふたりの始まり− 前編
最初に誘ったのは美琴の方だった。 「琉斗さん、来週の週末空いてる？」 「週末？ 土曜？」 「えーっと・・そう、土曜日。」 学校は夏休み真っ只中。 とはいえ、受験生の美琴は予備校通いが必須の夏。夏期講習に忙しい。 羽矢の方もなんだかんだと学校に顔を出す用は多い。 夏はストバスも小さな大会がチョコチョコと入って、そっちもそれなりに忙しい。 そんな二人はやっぱりすれ違いが多いものの、隙間を縫うようにして、時間は作っている。 逢いたいから。 「土曜日、なんかあるのか？」 「・・・やっぱ覚えてないよね。」ボソッとつぶやいた美琴。 「ん？」 「う、ううん。何があるわけじゃないんだけど、逢いたいなって。」 「変な奴。土曜日限定か？」 「そりゃいつもだけど・・・予定入ってるの？」 「いや。ストバスもこないだ試合だったから。その日は休みだし。」 「逢える？」 「ああ。」 あのね。今さら聞くなよ。羽矢の苦笑は美琴には見えない。 「よかった。じゃ約束。絶対ね♪」 そう、約束って言ったのは美琴の方だったのに。 この夏はまた猛暑が続いている。 朝から晩まで。ただただオーブンの中で焼かれ続けるローストポークの気分。 でもちっとも痩せないなぁ。 夏期講習の会場はもちろんクーラーがガンガン効いているけど、なにしろマンモス予備校。 人の多さも尋常でなくて、クーラーは効く場所と効かない場所が大きく別れていて。 そのどちらも極端なのはあまり気持ちのいい物じゃない。 美琴や美那子たちは早めに来て、ほどよいあたりを確保するのが常だったのだが。 たまたま、美那子が家族旅行で休んだ日。 つい気が抜けてのんびり来たら、いつもの席は取られていて。 美琴はクーラーど真ん前の席に座らざるを得なかった。 猛暑の中、始めはいいんだけど。 授業が進むに連れそこはどんどん冷え込んでくる上に直接冷気が吹き込む。 生徒の苦情で一応、ついたてがわりにホワイトボードが立ててあるのだが、 上下から吹き込む風はどうしようもない。 なんとか授業を受けてはいたものの。 今日に限っていつもより授業がずれこんで、終わったのはとっぷりと日が暮れてからだった。 予備校を出た美琴は、一瞬肌がザワッと総毛立つ気がした。 思いっきり冷やされた体に、アスファルトからたちのぼる熱気は、心地いいを通り越して当てられてしまう。 まずいなぁ。自分でもそう思うものの、とにかく急いで帰るしかない。 この予備校は繁華街のはずれにある。 家への帰り道はいくつかあるけど、繁華街を抜けるのが一番近い。 いつもは通らない道だが、今は距離を優先した。それが仇になってしまった。 すでに日は暮れていて、だからってネオンが煌々とした通りは暗くもない。 暑さに疲れた仕事帰りのサラリーマンやＯＬが、集団でウロウロと場所を物色している。 夏休みの若者が三々五々、フラフラとそれをすり抜けていく。 雑踏に紛れている美琴。 体の表面はやたら焙られる気がするのに、体の芯は今だ冷えていて、 そのギャップについていけず、軽く歯の根が震える気がする。 あー、ほんとにマズイ。早く帰らなきゃ。 でも意志とは関係なく、足はなかなか進まず、時にふらつき。 ゲーセンの前を抜けようとして、襲われためまい。 美琴は出てきた人に、思いっきりぶつかってしまった。 「きゃっ・・！」よろけて転がる体。ハッと気づいて体を起こしながらオロオロする。 「ご、ごめんなさい。ちょっとふらついちゃって・・。」 相手を確認して言葉を飲む。遊び人風の男。その後ろにも２人。 「あれー。どうしたの？ ふらつくなんて。」 なんだか危ない。危険信号を感じてあわてて立ち上がる。 「いえ、ちょっとよそ見しただけだから。ご、ごめんなさい。」 だが見るからにおぼつかない足もと。 「具合悪そうじゃん？ 俺らが介抱してあげよっかー？」 「け、結構です。すいませんでした。じゃあ・・きゃっ。」 急いで通り過ぎようとした腕をつかまれる。 「そうつれなくしなくてもさぁ。せっかくぶつかった縁だし。」 「は、離してくださいっ。」 「あんた、高校生？ 可愛いじゃん。夏休みなんだから遊ぼうよ。なぁ？」 クスクス笑いながら、周りの仲間も近づいてくる。 やだ、怖い。なんで今日に限って。 いつもは美那子も含めて、４，５人の友だちでの行動。 それが今日は席も離れていたし、 調子が悪かったせいか、ボーっとしているうちに皆帰ってしまったらしく。 「夏休みってこの辺、結構あぶないよねぇ。」 そんな話も出てなかったわけじゃないけど。まさかと思ってたのに。 美琴の怖れを楽しむようにつかんでいる相手。 「そんな邪険にしないでさ、俺たち優しいから心配ないって。」 「いやっ、誰かっ！」 ふりほどこうとして引き戻される。まだおぼつかない足元では逃げることもままならない。 どうしよう。琉斗さんっ。 人はたくさんいるのに、遠巻きで通り過ぎるだけ。 携帯を取り出したくても、背中に背負ったバックパックの中で。 美琴の眼が恐怖で潤みかけたとき。 「離せよっ。」 唐突に割って入った声。 美琴の目の前に背中。琉斗さん？ ・・・違う。それほど背は高くない。 「なんだ、このガキ。」 「嫌がってるのに手を出す方がガキだろ。」 「なにを？」 この声。 「き・・・桐辻くん？」 そう、桐辻だった。こんなところで。 「俺たちはそっちの子に用があるの。どけよ。」 「嫌だね。あんたたちこそ、こんな人の多い場所でみっともないことするなよな。」 「なんだと？」 にらみあっているその時、美琴に小さく囁く声。 「先輩。逃げて下さい。危ないし。」 「え？ だ、だって。」 「できたらおまわりさん呼んで。いいですか。１，２の。」 「桐辻くん？」 「さんっ！！」 片手で美琴を後ろへ突き飛ばしながら、 桐辻は正面の男の顔に手に持っていたカバンをクリーンヒットさせていた。 「早くッ！」 確かにここに自分がいては逆効果だ。 美琴はうろたえながらも決断して、交番へ走った。繁華街の反対側にあったはず。 体調の悪さも吹っ飛んでいた。そんなこと言ってる場合じゃない。 後ろで怒号が飛び交うのに、後ろ髪引かれる思いだったが。 繁華街の向こうから、お巡りさんを引っ張ってもどってくるのに何分かかったのか。 そんなに時間は経ってないと思うのだが。 「桐辻くーん！ おまわりさんよーっ」 そこはまだ乱闘していたが、美琴の叫びとその横の警官に振り返って、あわてて３人が逃げ始めた。 「まてーっ。」 追いかけるのはお巡りさんに任せて、美琴はそこに転がっている桐辻にとびついた。 「ねえっ、桐辻くん。大丈夫ッ？」 「てっ。いや、だ・・いじょう・・ぶ。」 結構やられたようだが、見る限りそれほどひどくはない。 「手とか、足とか、折れたりしてない？ 頭は？」 もともと救護に強い美琴は、ためらうことなく体中を確認していく。逆に桐辻が焦る。 「うわっ、みっ・・美琴先輩っ。だ、大丈夫ですっ。」 どうやら打撲くらいでそれも大したことはなさそうだった。ホッとする美琴。 そこへ警官が戻ってくる。 「逃げ足の早い奴らだ。」逃げおおせてしまったらしい。 「大丈夫かい？」 「ええ。すいません。」 悪びれずに頭を下げる桐辻と、横の美琴に苦笑する。 「時々あいつら悪さをするんだよね。気をつけなさい。よかったね、あなた。しっかりした彼氏で。」 「えっ？ い、いえっ。違いますっ。」 びっくりして答える美琴だけど、警官は照れてると取ったのか、カラカラ笑っている。 横で桐辻の複雑な顔。 被害者である美琴の証言があったので、それ以上は桐辻もきかれずに帰らせてくれた。 一人で帰れるという美琴だったが、やっぱり桐辻は送ると聞かなかった。 「ほんとにごめんね。あたしのせいで。」 「先輩のせいじゃないでしょ。悪いのはあいつらだから。」 「でも。いつもはあの道通らないんだけど。・・・ちょっと急いだもんだから。」 「急用だったんですか？」 「ううん。調子悪くてね、早く帰りたかったの。」 「ええっ？ 大丈夫なんですか？」桐辻がまたあわてる。 「予備校のクーラーで体が冷えすぎたせい。今のバタバタで・・戻ったみたい。」 苦笑する美琴にホッとした顔。 「でもほんとにありがとう。桐辻くんいなかったら、どうなってたかわかんないよ。」 「そんなに大げさじゃないですよ。」 「でも。おまわりさんも言ってたし。」 あまりタチの良くない連中らしく、高校生や中学生の女の子を連れ込んだりすると言う話。 それを聞いて美琴はゾッとしたのだ。 「桐辻くんが来てくれてよかった。」 美琴が心から感謝を述べる。桐辻にすればそれで満足だったのだけど。 「ね、なんかお礼しなきゃ。なにかおごろうか？」やっぱり言葉だけでは申し訳ない。 「いいですよ。」 「だって。そういうわけにも。」 「たまたま通りかかっただけだし。」 「だからって。じゃあたしに出来ることならなんでも。」 桐辻の好意を知っている割には罪な美琴。 そこまで言われて、桐辻がチャンスを逃すわけもない。 「・・・じゃあひとつ、お願いしてもいいですか？」 「何？」 「今週の土曜日、僕につきあってもらえますか？」 「土曜？」あ・・と思う。 「ほら。ずっとふられっぱなしだから。」 チクリ。そう言われると辛いところだ。おまけに。 「昨日、僕の誕生日だったんです。お祝いとして先輩につきあってもらえれば、すごく嬉しいんですけど。 ぼくも予備校があるし、日曜から部活合宿なんで、できたら土曜に。」 こんな風に言われて美琴が断れるわけもなかった。言い出したのは自分なのだ。 「・・・わかった。土曜日ね。いいよ。」 「ほんとに？ ほんとにいいですか？」 「うん。」 「やったぁああっ！！」 桐辻はまさしく跳び上がって喜んだ。 それは美琴にしても、ほほえましいかった。 感謝の気持ちだ。実際桐辻がいなかったら、逃げられたかどうかわからない。 だから１度つきあうくらいはって思う。 ただ。土曜日−か。 これも言い出しっぺは自分だったのだから。 承諾はしたものの、羽矢に一体なんて説明すればいいんだろう。 すでに頭はそっちにとんでいる美琴だった。 帰ってきて。 今夜は母は夜勤の日だから、夕飯も一人だ。適当に軽くすませて。 さて、自分の部屋で携帯を睨んでいる美琴。 なんて説明しようと帰り道で散々悩んだものの、結局嘘がつけるわけもなく。 そのまま言うしか思いつかなかった。 決心して鳴らす。 当てた耳の奥で聞こえる発信音は、３回で途切れた。 「美琴？」 「うん。今どこ？」 「部屋。割と早く終わったんだ。」 今日は教科の夏休み研究会だと聞いていた。先生同士もそういうことやるんだな。 「あ、あのね。土曜日だけど。」 「ああ、どっか行くのか？ そういや急にさ、練習試合が入ったんだ、実は。」 「え？」あ、ラッキー？ 「じゃあ。」 「断ったけど。」 「ええっ？」 美琴の驚いた声に、羽矢が驚く。 「なんだよ。」 「だって。」 「約束が先だから。いいの。」 「で、でも。試合。」 「練習試合だから。」 「でも〜。」 食い下がる美琴に何かを察する。 「・・・おまえ、なんか都合悪くなった？」 ギク。鋭い。 「ご・・めんなさい。ちょっと駄目になっちゃった。」 ちぇっと舌打ちが聞こえる。 「あのさ、おまえが言いだしたんだろ？」 「うん。わかってる。ほんとにごめん。」 美琴のこういう声には弱い。しゃあねえなぁ。 「わーったよ。練習試合に行ってくるかな。」 「あ、あ。でもその日は絶対逢いたいから、夜でもいい？」 ちょっと甘えるような口振りに、羽矢が仕方ないという声になる。 「いいよ。で、なんの用が入ったわけ？」 ギクギク。聞かなきゃいいのに〜。でも聞かれたら言わないわけにもいかない。 「えっとね。桐辻くんと一緒に・・。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 沈黙が１００屯くらい重さを増した。その気配がビンビン伝わる。 「り、琉斗さん？」 「・・・どういうことなのか、説明はしてくれるんだよな。」 地の底で閻魔大王も逃げ出しそうな険悪な声が聞こえてきて。 美琴は携帯を放り出したくなるのを必死でこらえた。 どうにか今日の顛末を説明し終えて。 「・・・桐辻くんがいなかったら、あたしどうしようもなかったの。」 「・・・・」 「そしたらやっぱり、お礼はしなきゃって思うでしょ？」 「・・・まあ・・。」 「で、何か奢ろうかって言ったら、それより、土曜日つきあって欲しいって。」 「・・・なんで土曜・・？」 「・・桐辻くんの都合なんだけど、昨日が誕生日だったんだって。それでお祝いも兼ねて。」 ピキッ！ 沈黙がさらに、冷凍ビームで凍ったのが見えた。あーん、どうしよう。 「・・・なんであいつの誕生日をおまえが祝うわけ？」 「そ、そんなこと言われたって・・。」 「礼ならそれこそ、なんか奢るとかお菓子でもやるとか。」 「その・・ずっと誘われたの断ってたじゃない？ でどうしてもって言われたら・・。」 まあ美琴じゃ断れないよな、その状況。 それはわかるものの。羽矢が納得できないのもしょうがない。 「それでおまえは、先約の俺よりあいつを優先したわけね。」 口調が思いっきりすねた。こういうとき年は関係ない。 「ゆ、優先ってわけじゃ・・。」 「優先だろ？ ふつうは先に約束した方が優先されるはずだけどな。」 「それは・・・そうだけど。」 「大体、言い出したのはおまえなのにさ。人に約束させてないがしろか？」 「だからごめんなさい。謝るから。」 「その調子じゃ、夜だってあいつにつきあいかねないじゃん。」 「そんなことないっ。だって絶対・・」 「初めに、絶対って言ったのもおまえだ。あてにならねえなぁ。俺は草太たちと飲みに行くかなー。」 いつもならこの辺で美琴が半べそになって。 それでしょうがないフリで羽矢が折れる。それがパターンだった。 だが、すねた羽矢は相手が桐辻だけに相当口調がごねていたし。 美琴は美琴で自分に負い目がある分、いつになく追いつめられたような気がして。 さっきの恐怖の反動もあったのかもしれないが、珍しく切れた。 「もういいっ。」 「・・・なんだよ。」 「そんなに言うなら無理しなくていい。 どうせ逢いたかったのはあたしで、無理言ったのもあたしだもん。 全部あたしが悪いんだもん。ならいい。やめるっ！」 「おい、美琴。」 「土曜日キャンセルッ！ 飲みにでもなんでも行っちゃってっ！！」 ブチッと携帯は切れた。 まずった。逆切れさせたか。あわてて携帯をかけ直したけど、どうやら電源も切ってしまったらしい。 「あのやろっ！ 約束反故にしたのはそっちだろうがっ！！」 頭に来た羽矢が携帯を放り投げた。 電源を切った携帯を握りしめて。 美琴が眉を寄せている。 あんな言い方しなくたっていいのに。逢いたかったのはホントなのに。逢いたいのに。 だってあの日はー。 だけどしょうがないじゃない。悪いと思ったから、一生懸命謝ったのに。 泣き虫の美琴だが、怒ってしまって涙も出てこない。 思いがけずに。 ふたりにとって、初めての本格的なケンカとなってしまった−−。  |