「タコ同心捕物帖」 その後
弐 「冬の陽ひ(同心と女房)」 |
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その日、タコ同心は朝帰りだった。 お手柄の後、しばらくはおとなしくしていたのだが、長くは続かない。 しょうがない奴だ。 江戸も冬の気配。あけやらぬ闇はしんしんと重い冷気。 「ううっ。寒い。あいつ、寝てるといいんだけどな」 長屋が見えた。灯りが漏れてる。 やばいな、もう起きたのか。ひょっとして角が出ている? 立ち止まって逡巡したが、帰らぬ訳にもいくまい。 覚悟を決めて戸を開けた。 「帰った・・・」 語尾が消えてしまった。 女房が正面に座り込んでいる。顔が怖い。 「お・・・まえ、何してんだ?」 「待ってたのよ」 「ずっとか?」 「帰ってこないからでしょ」 怖い顔なのに声が静かだ。却って不気味。 いつもなら怒鳴って物が飛ぶのだが。 「どうした?」 「どうした? 朝帰りで聞くの?」 それはそうだ。そうなんだが。 「あんたにちゃんと聞こうと思って」 「何を?」 「あたしと別れたいの?」 ギョッとする。 「な、なんだよ。いきなり」 「言っても言っても朝帰りじゃない。別れたいならはっきり、そう言ってくれるほうがいい」 ほんとにどうしたんだ? こいつ切り口上。 俺ものらりくらりだが、それを適当にかわしてるのに。 目がやばい。本気だ。 そこは勘のいいタコ同心。女房の前にきちんと座り込んだ。 「悪かった。そんな気はない。知ってるだろ? 俺はいいかげんだけど、仕事とおまえには真面目だぜ。ちゃんと」 滅多に見せない真剣な顔と言葉。 これはタコ同心の本音だ。 いいかげんさは身上だが、女房にはきっちり惚れている。 こんなにいいかげんでいられるのも、この女房がいてくれるからだと知っている。 こいつがいなくなったら本末転倒。糸の切れたタコだ。タコ違いだが。 女房の思い詰めた目から、ぽろっと涙が落ちた。 タコ同心、大慌てでにじり寄る。 「お、おい。ほんとにどうしたんだよ。そんなに怒ってたのか? 悪かったから。泣くなよ」 泣かれるのは弱い。 気が強くて滅多に泣いたりしない女房だから、余計に焦る。 しゃくり上げる女房の肩をつかむ。 「おい」 「ほんとに?」 涙を手の甲でこすりながら、女房が聞く。 「え?」 「ほんとに別れたりしない?」 「あったりめえだろ。何言ってんだよ」 もう一度タコ同心をみつめてからやっと泣きやんだ女房。 「一体どうしたんだ?」 「・・・子どもがね」 「何?」 「子どもが出来たの」 ポカンとする。 「誰に?」 「あたしに決まってるでしょ」 「誰の?」 パカッとそばにあったしゃもじで思いっきり頭を殴られる。そりゃそうだ。 「あんたの子に決まってるでしょ! バカ!」 「・・・ほんとか?」 「嘘言ってどうすんのよ。だから聞いたんじゃない」 最後まで聞かずに、タコ同心はいきなり大声で叫んだ。 「やったあ!!」 女房びっくり仰天。 「どっちだ? 男か? 女か?」 「んなのまだわかるわけ・・」 「おまえ、寝てなきゃ駄目だろ! ゆうべ寝たのか?」 「あんたが帰ってこないから」 「布団。布団。あ、飯食った方がいいのか?」 「だ、大丈夫だって」 あまりの大騒ぎに、そろそろ起き始めた長屋の住人達が、 何事かと集まってきた。 「聞いてくれ、子どもだ! 赤ん坊ができたんだ!」 同心、有頂天で皆に触れ回りだした。 「ちょ、ちょっと、あんた」 「そりゃあめでたい」 「やったね、タコの旦那」 「祝いだ、祝いだ」 気のいい長屋の住人達は、早速お祝いの言葉をくれる。 気さくなタコ同心と女房は好かれている。長屋の住民は皆暮らしは楽じゃなくても、心はたっぷり持っているから一緒に喜んでくれる。 笑顔と祝いに埋もれながら、女房は喜びに駆け回っているタコ同心をみて笑う。 「ほんと、どっちが赤ん坊なんだか」 その目にまた涙がにじんだ。今度はほんとのうれし涙だった。 遅い冬の陽が上ってくる。 < fuyu-no-hi / end > |
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