＜Home　＜侍目次　＜弐へ　　四へ＞

参
闇に浮かぶ家の灯りに、侍はやっと肩の力を抜いた。かなり急いだ帰り道。わずかに息があがってしまったのは、どちらかというと心のせいだ。 いないかもしれない。 子どもみたいな恐れがチラチラと浮かんでは消えた。今、灯りを眼にして改めて自分を嗤う。それほどの執着をも。 カラリと戸を開けると、土間の火の前で娘が振り向いた。 「お帰りなさい」 笑顔がいつもとよく似た双子みたいだ。同じようで違う。取り繕えない。心がそのまま出てしまう娘。 「まっすぐ戻ったのか」 「ごめんなさい、先に帰ってしまって」 口ごもってうつむきかける娘に、侍は言葉をおっかぶせた。 「腹へった。飯にしよう」 「……はい」 顔を上げた娘は、一拍おいて素直に頷いた。 「何を言われた？」 夕餉の間黙って食べるだけだった侍は、娘が後かたづけをすませるとすぐ問いかけてきた。 「何、って」 問われるだろうと思っていたが、どうにも返答を用意できず娘は言葉に詰まる。 「おまえが仕事を放り出して帰るほどのことを言われたんだろう？」 『仕事を放り出して』という事実に身が縮まる。あの女ひと　の言葉はそれに価するだけのことだっただろうか。事実に過ぎないのに。 「……許嫁いいなずけ　だったって」 予想していたのかしていなかったのか。 侍はどちらともとれる顔のままで深くため息を吐いた。 「それか」 彷徨い始める視線が、迷いを表していた。何をどう、どこまで伝えるべきか、伝えぬべきかと。あぐらの上に両手をのせて侍が言葉を押し出す。 「幼なじみだった」 ピンと娘が背筋を伸ばした。緊張に顔がこわばった。 「察しはついてるだろう、俺の父はある藩主に仕える侍だった。宿の亭主やあの女の父も同じだ。幼い頃は転げ回って一緒に遊んだ」 侍の視線が遠くを見ている。家の薄い板壁を突きぬけたもっと向こう。 「俺の家とあの女の家は懇意にしていた。いわゆる家柄とか力関係も拮抗していたし、父親同士の役職もつり合いがとれていたんだろう。俺たちの婚姻は生まれてすぐ成されたものだったが、幼い子どもが特に意識をする必要はなかったな。聞かされてはいたが、実態の伴わないただの約束事でしかなかった」 侍の口調がどこか固く、いつもの侍よりもしゃちこばった物言いに思える。眉が寄っているのは思い出しているけれど、思い出したくないからかもしれない。 「双方年端が行けばそれらしい話も形も、もっと具体的にあったのだろうが、その前に」 唐突にぷっつり言葉が切れる。噛みしめられた唇。 「思いがけぬことが多々起こった。どうしようもないことが次々と」 センブリの汁を混ぜたような苦みを口調に入り混ぜる。 「とにかく……家はなくなった。俺は亭主の実家に身を寄せて以後、故郷に戻ったことはない。あの女にもそれきりだった。先夜まで」 言いたくないことを勢いで言い切ったのか、侍の軽いため息がまた聞こえた。あの女のことより侍の語らなかったことが気になって考える前に口をついてしまった問い。 「……お父っさんは？」 即座に舌をかみ切りたくなった。向けられた顔はまるでお面のよう。表情を隠したその奥が怖い。 「言ったとおりだ。家が亡くなった。親父は切腹。お袋も同じ日に自刃して果てた」 そこでお面が割れて、浮かべた笑みが悲しかった。 「最後まで仲のいい夫婦だった。」 この人だけ残されたのか。 それ以上は聞けない。聞いても語ってくれないだろう。武士の世界、しきたり。娘には想像もできないことだ。でも、一人残される悲しみは痛いほど知っている。 「だから」 言葉を継がれて我に返る。 「許嫁といっても名前にしか過ぎなかった。何も残っていない。少なくとも、俺には」 そう言ったあと、考えこんだ侍を娘はただみつめていた。小さな家に吹き付ける夜風よりも、心に吹き込んだ突風の方が強くて、怖かった。 そう、怖いと思った。 あの女は違うのだろうか。侍は不思議に思った。 子どもの遊びと同じ、空約束に終わった関係。 『おまえと逆や』 亭主の言葉がよみがえる。 『思い出すことで生きてきたんや』 思い出す。 何を。 幼い記憶は幸せなものだからこそ、断ち切られた後の辛さもまた鮮やかで、思い出すこと自体避けてきた。今になって探ってみても家族のことはともかく、彼女と自分の間に生きるよすがになるほどのことなど、あった覚えはない。 なのに何故。 小さな家には土間に続く囲炉裏の間と、奥の寝間しかない。夜になると敷かれる布団も一組だけだ。特に理由など考えず、一組でいいとどちらも思った。それだけのこと。 江戸を出たその日に共寝して以来、離れることはなかった。体を重ねることこそ毎夜ではないが、娘は必ず侍の腕の中で眠った。どんなときもそれで安心できたのに。 侍は囲炉裏のそばでみじろぎもせず考えにふけっている。この時間になればどちらともなく一緒に腰を上げるのが常なのだが。声がかけられず縫い物をする気にもなれず。とりあえず寝間の用意をと奥へ移り、布団を敷く。そこで娘は困ってしまった。 どうしよう。 先に眠って悪いわけではない。だが今夜は、侍の腕におさまるそれ自体にためらいがあった。大体こんなにざわついた想いで眠ることができるだろうか。 一組しかない布団を初めて悔やむ。 悔やんだことに気付いて悲しくなる。 ほぅと吐く押し殺したため息。数珠のように連なる物思いに疲れた娘は、あきらめて帯をほどき始めた。寝間着に着替えて先に休もう。侍が来ないうちに寝入ってしまえば。無理とはわかっていても。 カリ、と炭が崩れた。 意識が目の前に戻る。あたりは静まりかえっている。瞬きをしてから背筋を伸ばした拍子に、ゴキと鳴った首。音がやけに大きく聞こえた。 もう何時か。向かいにいたはずの娘が消えている。休んだのだろうか。必ず声をかけていくのに。自分が聞いていなかったのかもしれないとも思ったが、いつもと違うことに焦りを覚える。埋み火にさらに灰をかぶせて立ち上がった。 家も古いから雨戸も古い。移ってから軋むあちこちを、侍は飽きもせずこまめに直した。戸締まりはきちんとできるようになったが、所々の隙間はあたりまえ。今夜漏れ入ってくるのは月だ。縁側を伝い這い上がっていた淡い光の筋は、障子を開けたとたん奥の寝間へと貫かれる。 静まりかえった空気の冷たさに怯んだ心は、おぼろげにとらえた布団のこんもりした円味まるみ　に融ける。ホッとした直後にまたか、と思う。今日は一体何度繰り返したのか。重ねた不安を癒す方法はひとつしか知らない。 布団にそっと身を忍ばせると、おもむろに伸ばした腕で娘を抱き取ろうとした。慣れたあたりまえの仕草だったのに、眠っていると思った娘の体が強ばり、逃げた。胸に走ったヒリつくような痛み。強ばった背中に、一日いちじつ が過よ ぎった。 娘が囚われているだろう物思いは想像できる。許嫁だった女と、昔。さっきまで己をも捉とらえていたそれらが互いを隔てるようでなんとも苛立たしい。 湧き上がる劣情は全てを押しやる怒りに似ていた。 逆らわせるつもりはなかった。 起こした体を覆い被せるようにして、素早く娘を押さえ込む。強引さが侍の意志を伝えている。間近で見下ろす娘が息を呑んだのがわかった。ゴクリと喉が動く。唇が言葉を紡ぐ前に封じ込める。 問われることも答えることも望んでいない。確かめる術すべ として体を重ねたのは自分に有利だからだろう。つまり、不利だと自覚しているわけだ。苛立ちは娘のせいではなく、強いていえば己自身のせいだというのに。今このとき、矛先はどうしても娘へ向けられる。 斜めに塞いだ唇の奥で絡め取る舌。柔らかな味を楽しむよりも、本能がその先を急かしてくる。両手が寝間着のあわせを押し開くや、唇は柔肌へ吸い付いていく。滑らかさと温もり。 「まっ…てっはっ…んっ…」 舌が胸の先に辿り着いた拍子に、娘の制止とも吐息ともつかぬ声が漏れる。含んだまま幾度もねぶる。声に艶を乗せるように。 はねのけられた掛布団。重く沈んでいた部屋の冷気は体と体で熱せられ、汗がにじむ。腰紐一本でまとわる寝巻き。娘の下肢は侍の脚に裾ごと割られ、薄い床に縫い止められている。浮かび上がる白い両腿へ這い降りた手。 再び感じる、常にない微かな抵抗。視線を戻せばまぶたは閉じられ、口元を食いしばって声を殺している。侍の眼が険しさを増す。 「嫌か」 弾かれたように娘が侍を見た。乱れた黒髪の上で、赤い唇が言葉を探すように開く。のぞく歯の白さすら煽る。 「駄目だ」 塞いだ唇。舌でかき混ぜる意識。見開かれた眼が焦点を失っていく。 「逃がさない」 それきり、言葉に意味はなさしめなかった。軽く一回りは違う二人の年齢。経験はさらに。娘は侍しか知らぬ。どんなことにも素直な性格は、閨ねやをもこだわらずに侍の導くまま。 それが楽しみでもあり、だからこそ侍も自制してきた。荒々しく身勝手な男の性さが　に脅えぬよう。いやがらぬよう、抗われぬように。 その枷が、はずれた。 息も絶えるほど弄ばれた上半身。やっと解放される頃には娘の声はかすれていた。白い喉が上下する胸と震える。ころりと返され力尽きたようにうつぶせる体。すべらかな背中。口づければビクンと反らせて喘ぐ。 「あっ」 起きあがろうと肘をたてる脇から、つかまれる双の乳房。あつらえたように侍の掌てのひらにすっぽり収まる。固くなった頂きは、かすめるだけで娘をまたのけぞらせる。 「やっ…めっ」 懇願に返答はない。無骨な指先は容赦なく先を擦り続ける。声が高みを目指す。 「あっ　あっ　だっ　やぁっ」 ふっと指が消えた。のぼりかけた階段から放り出される。安堵と失望は一瞬。ぐいと、腰をひかれて立てた膝。腕に力が入らず頬を床にすりつけた。 自分がどんな姿勢でいるのか気付く前に、ひらりとまくられた裾。触れてきた手が確かめるように尻をつつみむと、秘めたる奥を指がなぞった。 「ひぁっ」 しなる背中。カッと頬が燃えたのはすでにそこが濡れていたから。間髪入れずに指に侵される。奥へ奥へ。 「あん　あっ　はぁっ」 上半身を投げ出す。閉じたまぶたに浮かぶ今の自分。淫らな姿を消そうとしても意識は、出入りする指が引き起こす感覚だけ追ってしまう。逃れようにも腰も尻もしっかりつかまれていて、娘にできるのは切なく喘ぐことだけ。 足りない。 でも足りない。 数えきれぬほど夜を経た体は求める。さらに穿たれようとする体の芯。そこを埋められるのは。 「欲しいのか」 囁きは意味がとれずとも、触れる指が促す。上り詰めようと締めつけるそこを、意地悪くさまよう。どうすればとどめられる。 「言え」 その声に逆らうなんてできない。この坂を上らずにはいられない。 「やっ、ちょっ、……だいっ」 訴えようとねじりかけた背中は難なく押さえ込まれ。だが願いは即座にかなった。熱く硬く大きなそれが、ぱっくり開いた欠落を埋めてくる。四つん這いの後ろから貫かれ、悦びに啼く。 全身を抱え込まれ、ただただ突き上げられる。果てては引き戻され、また突かれ、求めて果てる。獣のような交わりだった。 それに狂ったのは、獣になっていたからだろうか。 そんなことを思い至ったのは眠りの淵。全て受け止めて崩れ落ちた後。いつもと同じ腕の中。詫びるように髪を撫で続ける手が優しかった。 雨戸の向こうはすでにあけぼのー。 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　四へ＞
＜Home　＜侍目次　＜弐へ	back／薫風館	四へ＞