卒業式のあとの帰り道。
二人で並んでるのは何故だろう。あれ。
一人足りない？


「巴くん、いないね」
「たぶん。緑んとこ」
言われて納得する。そうか。

「あのさ」
珍しく鞍馬くんが、あたしに言葉を発する。

「うん」
「頼みがあるんだ」
「何？」
「モデル−やってくんない？」

システムエラー発生。回路中断。
そんな感じであたしの足がピタリと止まる。
モデルというと。

「……ファッションモデルとか？」
「バカ」
一刀両断の切れ味だわ。

「なんでそうなる。絵だよ」
「絵のモデル？　誰が描くの？」
「俺」

回路ショート。電源シャットダウン。
歩き出していたあたしは再び固まる。
瞬き１０秒でリセット開始。


「……鞍馬くんって絵を描くの？」
「言ってなかったっけ。俺、これでも美術部」
「嘘っ？」
初耳。

「なんだよ、その反応」
「だって」
「でも部活は適当」

見上げたあたしの表情は、かなり胡散臭そうだったらしい。
視線を反らす彼。


「で」
「へ？」
「やってくれんの？」
「え……っと。　なんであたし？」
「さぁ。でも描きたい」
仮にも頼むときにそんな台詞ありかな。

「こないだ、そう思った」
「こないだって」
「満月の夜」

カチリと合わさった視線。あれっきりお互いに触れなかった時のこと。
２，３歩彼より前を歩きながら、あたしは考えた。


「見せてくれたら」
「何を」
「鞍馬くんが描いた絵」
クルッと振り向いて彼を見る。

「あたし、ついさっきまで何も知らなかったんだもん。描いてもらう人がどんな絵を描くのか、やっぱり確認したい」
「見て決めるのか？」
「見たいだけ」

ちょっと思案顔になった彼は、ポケットに突っ込んでいた手を抜いて。
「ほら」

いきなりあたしに何か放り投げた。
綺麗に放物線を描いたそれを、あたしはなんとか受け止める。
鍵？


「俺今からバイト直行。９時頃戻るから。それまで部屋にある絵、好きに見ればいい。戻ったら返事聞かせて」
「いいの？　入っちゃって」
「絵、見たいんだろ？」
「うん」
「ついでに晩飯とか？」
ニヤッと笑われた。そっちが目的か。

「わかったわよ。味に文句言わないでね」
「腹ペコで戻るから。へーき」
「その言い方、むかつく」
「じゃな。あ、絵以外はいじるなよ」
「了解」

交差点で別れた後ろ姿。
やっぱり不思議。彼と絵が結びつかない。行けばわかるのかな。
きびすを返したあたしは、鍵を握りしめると急かされるように走り出した。



初めて入った彼の部屋はすごくシンプル。広さはあたしの部屋と大して変わらないけど、間取りと住む人でこうも違う。
モノトーンで直線的な家具は最低限しかない。コンパクトオーディオとベッドに座卓。クローゼットは作りつけ。全て壁に貼り付けられ、対照的に部屋の真ん中を占拠してるのは。

キャンバス。

絵の事なんてろくに知らないあたしは大きさもわからないけれど、イーゼルに乗せてあるそれは、大きな存在感を放っていた。真っ白なまま。


しばらく見つめて我に返る。
いかんいかん。真っ白なキャンバスを見に来たんじゃない。
とりあえず頼まれたので、簡単に晩ご飯の準備をしよう。

悩む時間が勿体なかったから、パスタに決めて材料を買ってきた。完熟トマト缶でトマトソースを作ってしまえば、あとはパスタをゆでるだけ。グリーンサラダで形にはなる。

終えてホッとした。さて本題。


オーディオの横から壁まで大小のキャンバスが立てかけられている。座り込んで手を伸ばしたあたしは、それから時間を忘れた。



風景画と人物画。
彼が描いていたのはそのふたつ。

風景画はいろいろ。どこかで見たような、初めて見るような。
記憶を探したくなる風景に、降っている彼が嫌いなはずの、雨。

青い絵の具が切なかった。


もっと切なかったのは人物画。
あらゆる角度の紅子さんがそこにいた。紅子さんだけ。
笑顔、でも視線は彼方。彼女はみつめられるだけ。彼はみつめるだけ。


どんな絵、だなんて言えない。彼の想いがそこにあった。痛くて。辛くて。反らすこともできない張り裂けんばかりの切望。
それはついこの間まで、あたしも持っていたものだったから。



求めて。　悩んで。　泣いた。
迷子だった。　あたしも彼も。

出口が見えなくて彷徨う迷路を、彼もたぶん抜け出したんだ。やっと。
あたしを描くことに意味があるのかどうかわからないけど。
誕生日、迷子の引き取りに来てくれたのは彼だから。

伝えたい。



ドアの開く音にふりむく。
瞳に映った人に、精一杯の笑顔であたしは言った。

「おかえり」


迷路の出口はどこへ繋がっているのだろう。





−「おかえりーyuhiko」　了