＜yuiko-side＞


ついばむような感触の唇を、気持ちいいと思ったのは初めてだった。
２度、３度。
そのくせ、何が起こったのか頭は認識していない。見開いた眼に彼の顔が至近距離で映る。

まつげが長い。
そう思ったとたんクイッと頭を傾けられる。踏み外したようにキスが深くなって、目を閉じてしまった。

忍び込んでくる舌は、急ぐでなく焦らすでもなくただ探ってくる。
歯列。上あご。
絡める舌。

なされるがままだったのはやっぱり、気持ちいいと思ったから？


背中をたどる指にビクッと眼が開いた。
『我に返る』ってこのことだろう。自分に気づく。

「……っ…やっ……！」

いつのまにか抱き寄せられて、その腕に身体を預けきっていたらしい。びっくりして逃げたあたしに、相手もやっぱり我に返った。

「っ……悪い」


真夜中ひとつ部屋で何やってると言われそうだが、ついさっきまでそんなつもりは皆無だったのだ。

なんで？


日頃冷静沈着な彼が焦っている。あたしだってどう言えばいいのかわからない。人の部屋なら飛び出してるけど、ここはあたしの部屋だし。


「ほ……んとわるい。俺何やってんだか。その、おまえが。妙に色っぽくって」
あぁもう、言わなくていいよ。余計に困る。
「唇が。　……紅子さんに似てて、つい」

そこで。思いがけなく刺さる棘。
真正面から彼を見据えるのと怒鳴ったのは同時だった。


「馬鹿！」

誰に言ったんだか。　相手に？　自分に？
唇の甘さなんてどこかへ吹っ飛んでいた。





＜sei-side＞


やばい。

本気でやばい。何やってんだ、俺は。
深くなるキスも。探り始める指も止められなかった。現実味が無くて。気持ちよくて。

貴船が自分から逃げてくれなかったら、どこまでエスカレートしたか自信はなかった。彼女に負けないくらいあわてる。

どう言い訳するんだ。情状酌量してもらえるか。強いて言うなら？
掠めた理由についすがったのは逆効果だったらしい。

「似てて……つい」

彷徨っていた視線を貴船がねじ伏せるように合わせた。にらみつけられて焦り倍増。なんだ？

「馬鹿っ！」

投げつけてきた言葉にはムッとした。一応こっちはあやまってるのに、その言い方はありか？

「鞍馬くんって彼女もいたよね、今まで。いつもそうだったわけ？」
「そうってなんだよ。」
「身代わりの吐け口にしてたのかってことよ。」
「……おまえな、言っていいことと悪いことがあるだろっ」
さすがにいきり立つ俺を意に介さない。

「そうよ。あるわよ！　このタイミングで紅子さんの名前出すのって、そういうことよ！」
切れかけていた俺の頭に冷水を浴びせるような叫び。そのくせ顔は今にも泣き出しそうだ。


「……そ、んなつもりないぞ。おまえだって思ったことあるだろ。」
「そんなことしない！　あたしもそりゃ、いっぱいつきあったけど。崇さんにすり替えてキスしたりsexしたことなんてないっ！　馬鹿にしないでよ！」

力一杯の抗議にたじろいだ。確かに失言だ。実はほんとに紅子さんを思い浮かべてたわけじゃないけど、口にしたら……同じ事だよな。

小さな呟きがさらに思いがけなかった。

「…初めて。気持ちいいって思ったのに……バカみたい」
「……へ？」


俺の前で貴船は、膝の上で組んだ両手を握りしめる。肩が震える。噛みしめた唇。おい、それじゃ切れちまうって。
やっぱり吸い寄せられてしまうのは、似てるからじゃない。断じて。

伸ばした指が触れる直前に、ビクッと俺から逃げる彼女。
苛立つのはなんでだ？


にらみ合う視線は一方通行。
貴船の言葉はさらに思いがけなかった。

「ちゃんと。紅子さんに告ったら？」
俺は黙る。


「わかってる結果でも、必要なけじめってあるよ。でないといつまでも堂々巡りで自分の中にため込むよ。毒とか棘とか。知らないうちに。」

まっすぐに見つめてくる、眼。


「いいじゃん。１０年も保護者やってくれたなら甘えても。失ったりしないよ。バッサリ未練切ってもらったら？　進むために。」

でないと周りが刺されて痛いよ、と。
そう言った眼が寂しげだった。



新たに刻まれた、紅と似て非なる彩は。

緋色の唇。
棘に刺されて、血を流したような。





−「棘」　了