初めて入った貴船の部屋。

リビングは広くないけど、一辺が大きくベランダへの窓になっていて開放的な印象だった。半分開いているカーテンから差し込む月の光は、さっき俺を切り刻んだ同じものに見えない。フローリングに寝転がったままそんなことを考えていたら。

「ねぇ？」

声に向いたすぐ真横。やっぱり寝転がった貴船の顔があった。ここはこいつの部屋だからどうしようと勝手ではあるんだが、焦るじゃないか。俺の思惑など意に介さず貴船は言葉を続ける。


「すぐわかったの？　崇さんに逢ったとき」
「あ？」
「あたしの……好きな人って」
俺は視線を天井へ戻す。

「そうだな」
「どうして」
「紅子さんに惚れてるのはわかってたし」
「え？」

「店の常連。おまえの叔父さんとは思ってなかったけど」
「……そっか」
「でも踏ん切りつけたんだろ。偉いよ」
俺の言葉に、貴船がこっちを向く。愚痴は似合わないってのに。

「俺なんかまだ引きずってる。情けねえよな」
「あんまり踏ん切りついてないみたい。かなり動揺してるもん」
貴船の苦笑いが聞こえた。

「あたし他に夢中になれるものがなくて、ずいぶん足掻いたよ。ひとつでもあればもっと楽だったかも知れない」


寝転がったまま貴船が手を伸ばす。見上げれば今にも届きそうな指。
でも天井との間にある距離を俺も貴船もわかってる。

「そうでもないさ。逃げられるかも知れないけど逃げでしかない」
俺のセリフは経験に基づいてる。

「だから、おまえは偉いよ」
繰り返すのは本音。ぶち当たることも昇華することもできず、ウロウロしてるだけの俺に比べれば。


「ねえ、紅子さんとキスした？」
こりゃまた唐突だ。
「……ほっぺたなら」
「あのねぇ」
「そっちは？　叔父さんとキスとかしたのか？」
「あるわけないでしょ」
たぶん唇を尖らせてる。

「じゃ聞くなよ」
「だって。あたしは仮にも血の繋がった叔父さんなのよ？　鞍馬くんはその点問題ないじゃん。なんで告らないの？」
なかなか厳しい指摘だが。

「あの人は今まで全部兼ねてくれたんだ。失うのはおっかなくて」
「失う？」
「血のつながりがあると逆に怖くないのかもな」

元が赤の他人だからこそある、孤独への恐怖と不安。
微塵に消えてなくなるかもしれない寄り処。


ゆっくり起きあがる貴船。見上げると赤茶の細い髪が月の光を湛えて浮かび上がってる。オーラのように。
「ごめん」
ああ、こいつにはわかるんだな。

「謝ることない」

ニヤッと笑った俺に返る笑みが、人肌。
そこでまた寝転がる彼女。

「あーでも、崇さんとキスしたかったぁ」
「そりゃ俺だって今でもしたい。すげぇ濃いやつ」
肉欲のコントロールだけは学んだな。自嘲で振り返る過去。


「男の人ってやっぱり、ディープキスが好きなの？」
「ハードな質問だね」
真夜中に二人きりっつーのに。

「好きずきだろ。なんで？」
「つきあったのがみんなそうだったから」
そうだった。外見に騙されちゃいけない。初対面は化けまくってたんだよな、こいつ。

「こう、sex　の食前酒みたいなキスばっかりしたがるの」
うーん、含蓄ありすぎの台詞。
「まだ、気持ちいいってキスがないもん」
月の光にむけた白い頬がさらに白く見える。

「大体、女の子って毎日sexしなくてもいいんだよ。寄り添って体温感じられれば満足なの。それと同じ。キスも、思いっきりコアでディープなのもそりゃ悪くないけど」
「けど？」

わけもなく見つめる。
白い肌に塗りつけられたみたいな緋色の、唇。

「あたしが憧れるのってバードキスなの。わかる？　１回、２回、３回って。one kiss.　two kiss.　 bird kiss.」
夢見るような口調とは別の、痛そうな瞳。


「昔ね、休みの朝とかまだ寝ぼけてる時に、両親がしてるの見たことがあって、刷り込みかもね。あんまり幸せそうだったから。でもそういうキスって男の人は好きじゃないのかな」
「……そうでもないさ」
「えー？」
「好みより相手って気がする。しょうもない奴ばっかだったんだろ」
「……う、ん……」

貴船は俺を見下ろすと瞬きして、もの思いに沈んだ。無意識だろう、指先が唇をもてあそぶ。なぞる。

見ていた俺にゾクリと走るものがあった。
月に浮かぶ緋色に引き寄せられて。
煽られた。

なぞっていた指先をつかみとり、緋色に自分のそれを押しつける。

One　Kiss.　　温かい。

一旦離れてもまだ動けない彼女。
また重ねる。軽く。

Two　Kiss.　　柔らかい。

開ききった瞳はガラス玉みたいに俺を映す。　……何だ。

Bird　Kiss.　　気持ちいい。


この感情は？



貴船、悪い。前言撤回。
確かに男はディープキスの方が好きかも知れない。

彼女の後ろ頭をつかまえキスを深く切り替える。
しょうもない奴だな俺。

だから？


理由も言い訳も押しやって。
ひたすらに。まるで命がかかってるみたいに。
俺はキスを貪り続けていた。





−「３Ｋ　kiss-kiss-kiss」　了