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  17話  「君は誰」



その言葉が導いたのは確認。

ああやっぱり。
くそったれ。馬鹿女。
思いつく限りの罵詈雑言。

彼女は再び俺を捨て、俺も彼女を捨てた。
記憶と同じように。





表だった宣伝なんて何もしていない「Rouge」だが、上質な店として定評を得ている。時々有名人が忍んでくることも珍しくない。
わかっても騒ぎ立てないのが暗黙のルール。そこがまた人を招く。

今夜は一段とゴージャスだった。


レイラのステージがいつものとおり拍手喝采で終わる。おざなりでない感嘆が広がりしばらく余韻に浸る中、カウンターに客がひとり近寄った。
「久しぶり」

顔を上げた紅子が浮かべた笑みを凍らせた。
そんなことは滅多にない。

「まるで幽霊との遭遇ね」
「……紫里 ゆかり 
「知らなかった。紅子が店をやってるなんて」

「いらっしゃいませ。ご注文は……え?」
まだ言葉が出ない紅子。フォローに入ったグンまで相手に気づいて絶句すると、ようやく紅子が気を取り直した。

「そりゃ驚くわよね。人気実力ともにナンバーワンの大女優が、うちなんかへ来てくれるなんて」
「紅子。皮肉はいいわ」
「事実よ。あなたの活躍は拝見してるわ。今回の映画も大ヒットだったわね。おめでとう」
「……ありがと」

親しいようで他人行儀な会話はつぎはぎに聞こえる。


「どうして来たの」
「この店は業界でも人気があるのよ、実は。プロデューサーとか役者仲間から耳にしてたの」
「光栄だわ」
らしくもない。紅子の笑顔は貼り付いた仮面。

「カクテルをもらえる?」
動きかけたグンを、紅子が何故か目配せで抑えた。

「もちろんグンは一流なんだけど、せっかくの大女優には、荒々しくても新鮮な感性をお目にかけたいわ。彼に任せていい?」

指す先にはさっきから微動だにしないセイがいた。呼ばれた名前にビクッとする彼へ視線を走らせた紫里は、興味なさげに頷いた。
「あなたのお薦めなら」

紅子を見たセイは黙ってグンに頭を下げると、目を閉じ息を吸って。
作りはじめる。


シェーカーを振る彼に見惚れる客は多い。興じている話を止めるほどの魅力溢れる即興舞踊。刹那のステージの後、グラスにはシンプルで深みあるゴールドが注がれた。

「ハリケーン」
色を楽しんだ紫里が静かに口に含む。

「……美味しいわ。他で飲んだのより苦みが強いけどそれも魅力ね」
「ありがとうございます」
寸劇のような会話にも緊張は緩まず、不自然に見つめ続けるセイに紫里はもう一度口を開く。


「ずいぶん若いわね。 ……君は誰?」

見開いた眼をすぐ細めたセイの口元が歪んだ。答えはない。
一礼してスイッと他の客へ位置を移した彼を紅子は咎めなかった。





その深夜。帰りがけに紅子は青を呼び止めた。
「青
せい。 紫里は」
「気にしなくていい。今更、赤の他人だ」

何も言わせまいとする乱暴な口調。
ジーンズのポケットに両手を突っ込んだ彼が紅子には逆に幼く見える。

「俺には親父の趣味は一生わからねえな。わかりたくもない。紅子さんの方が百万倍いい女だ」
「青」
向けた背中が尖っていた。紅子にはそれ以上言えなかった。





今をときめく大女優、  縹 紫里 はなだ ゆかり 。

親父と結婚した彼女が俺を産んだのは17年前だ。まだ二十歳。売れない女優の卵だったらしい。

夢を捨てきれなかった紫里にある日チャンスが舞い込む。必死でつかんだその先でまたチャンスをつかみ、何度か繰り返し。やがて親父と別れ、俺を残して消えた。

最初の傷。


以来逢ったことはない。親父が死んだ時も花が届いただけだ。
彼女は何故結婚したのか。何故俺を産んだのか。

知っているのは、命果てるまで親父が紫里を愛していたということだけ。
恨みもせず愚痴も言わず。死の床で尚満足そうに、輝きを増す彼女をテレビでみつめていた。親父の心も、俺にはわからない。


逝った夫も。置き去りにした子どもも。
紫里にはすでに振り返る必要のない昔なのだろう。

親父と生き写しと紅子さんが言う俺をみつめて、彼女は言った。

 君は誰 ?



紅子さんに感じる痛みは、甘く優しい癒しもあるのに。テレビで、スクリーンで眼にする紫里は、いつまでも俺の傷を突き刺しえぐって、塞ごうとしない。
それでも命を与えられたことを感謝すべきなんだろうか。
母親と言えるんだろうか。


月ですら欠けても満ちる。
彼女は、その言葉は、 どこまでも俺を切るだけ。



   きみ は   だれ   





「君は誰」 了



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