彼が逝ったときに。
泣き尽くして、涙は涸れ果てたつもりだった。

この後は泣くことも。
同じ意味で誰かを愛することも、ないと思っていた。
青せいですら。


いつのまにか、静かにそこに居た人。


あなたの言葉に驚かされて、逃げた。
最初は笑って。次は冗句にして。
なのに三度目、逃げ切れなかったのは、困惑の後ろに隠れている喜びに気づいてしまったから。


彼の記憶。彼への想いは。
根雪のように積み重なり降り積もって消えないのに。
その奥底から。

「紅子」

呼ぶ声が私を揺り起こす。暖める。
芽吹かせる。



「知らない男を抱え続ける女よ」
「いいよ」
「思い出すわよ」
「そのままでいい」
「消せないのよ」
「話して」

それから、笑ってと。



たぶんがっかりさせるのに。ほら今だって。
頷きながら涙を止められない。
それでもいいの？

「紅子」


あなたと、新しい世界へ歩き出すことは。
苦しくて痛くて。でも嬉しくて。
１０年ぶりの涙は、生まれ落ちる瞬間に似ていたかもしれない。


世界が眩しい。





−「涙　beniko side」　了