闇の中に浮かぶ液晶が時刻を表示している。
電話帳を開くと登録されている名前は二人だけ。


ついこの間まで持ってた携帯は、メモリをフルに使っていた。大部分は友達とすら呼べない「知り合い」。逢ったこともない「メル友」。幽霊のように増えていくそれら。

毎日誰かの名前を入れた。毎日誰かのメアドを足した。
毎日どこからか届いたメールに着信が鳴って。
意味のない返信にまた鳴って。


過食症という言葉は携帯をもつ人間にも適用されるんじゃないだろうか。決してあたしだけでなく、周囲を見ても皆必死で液晶を睨んでた。メールを打ち、メールを待つ。飢えて死にそうな顔をして。

誰も満たされていないように見えた。



空っぽだと気づくのも突然だ。求めるひとつを得られないことが、底なし沼に似た暗い淵を自分の中に作る。何度逃げても、よけても、避けても、必ずたどり着いてしまう淵。

諦めるしかないと。


果てしない回り道ばかりした挙げ句にやっと気づいて、メモリをひとつひとつ消去した。自分の馬鹿さ加減を肝に銘じて、事実を受け入れる。それは儀式。

ひとつも残さずカラにしたそれを、夜明けの光に濁った川へ放り投げた。水面はチャポンいう音もすぐ呑み込んで黙った。





１７の誕生日。
遊園地からの帰り道に連れ込まれたのが携帯ショップ。

「連絡とれなくて疲れた」
引っ張ってきたのは迷子のあたしを引き取りに来たクラスメート。
「でもお金が」
一人暮らしを始めたばかり。前のも自分で捨てちゃったのに。

「バイト紹介してやる。それまでなら立て替えてやるし。利子はとらないぜ」

買ってやる、なんて言わないところがいい。
ないとやっぱり困る。崇さんが心配してるだろう。
もしかしたらこの人も？

「……お願いします」



最初に登録した番号とメアドは　『　鞍馬　青せい　』
なんだかお守りみたいで笑った。



崇さんに連絡を入れた。２週間ぶりだ。
「ゆいちゃん？」
その声が伝えてくる心配と安堵。優しさ。

「携帯、買ったんだ」
「そう。番号入れておいてね」
「新しい処はどう？」
「大丈夫」

うん。大丈夫。


「ゆいちゃん、僕は」
「今度」
「え」
「逢いたいな。崇さんの彼女」
彼の沈黙にごまかされてなんてあげない。

「もう若くないんだから、ためらってると幸せ逃がすよ。明日死んでも悔いのないよう。父さんと母さんみたいに」
「兄さんと義姉さんは悔いがあったさ。君を置いていったっていう」
「それは悔いじゃないよ。心残りかも知れないけど」

「そうか」
「だから早くつかまえなきゃ駄目」
「……ありがとう」
「またね」

「あ、ゆいちゃん」
「ん？」
「１７歳。おめでとう」

こみあげるものに声が詰まった。きっとばれてる。堪えている涙。
なんとか泣かずにすんだのは、新しい携帯のおかげかもしれない。

「ありがとう」

そう言ったあたしは、笑顔だったよ。
見えた？





かけたばかりの番号をメモリに登録した。
二人目は『崇おじさん』。　前の携帯では「崇さん」だった名前。
けじめって言うと大げさだけど。

今夜は静かだ。携帯も無口で、それでも健気に灯りを点してくれる。
このメモリに入れた名前、入れる名前を大事にしよう。

誰のためでもない、自分のために。





−「携帯電話」　了