新しい年が明けて睦月が過ぎ、如月の半ば。
　日高の実家は竣工した。引っ越しと前後して、初音は元気な女の子を産んだ。その慌ただしさに誰もが目を回しそうだった。

　ハットトリックの二月に続き、三月の初めに乙女が大学を卒業した。
　そしていよいよ、メインイベントがやってきたのだ。


　今日、鉄が着ているのは乙女が見つけてきた白のタキシードだ。鏡の中の自分は間違いなく七五三だが、あきらめた。それだけの価値があった。乙女のドレス姿は鉄の想像を超えたから。

　きれいな両肩を出した身頃の胸元はハートにくられ、生地は真珠色できらきらしている。膝丈のミニスカートはレース地で、上から淡いピンクの薄地が何枚も重ねられていた。ボリュームがあるのに軽やかで可愛い。裾からすらりと伸びる足が真珠色のヒールに収まり、レースのベールがまとわっている。

　一度も染めたことがないという漆黒の髪を、リボンのついたカチューシャがおさえる。背中に流れたベールには薄桃色の桜の花がちりばめられ、ベールと一緒に桜がひらひら揺れる。

　式場に入る前、列を作った親族の先頭で、初めて乙女を見た鉄は絶句した。得意そうに、そのくせ恥ずかしそうに乙女に聞かれるまで、声も出なかった。

　「どう？」
　「…………」
　「鉄ちゃん？」
　促されてなんとか口を開く。
　「……びっくり仰天。乙女？マジ？　別人みてえ」
　「何それ、ほめてなくない？」

　もともと鉄にはボキャブラリーが足りない。足りないだけならまだしも、少ない語彙から無理に選ぶと、妙なオリジナリティーを発揮する。こんな風に。
　「驚き桃の木桜の木じゃん。すっげえ別嬪。鬼みてえな別嬪。鬼も裸足で逃げるぞ！」
　「は、あ？」
　危険信号にも気づかないほど調子づいた鉄は、止まらない。

　「天下無敵天下御免、鬼ヶ島でも足柄山でも天下無双！」
　「あたしは桃太郎でも金太郎でもなぁあああいっ！」
　地を這う声に我に返った。眉を吊り上げた花嫁の形相に後ずさる。

　「まさかりは担がないし熊にもまたがらない！　鬼退治もしない！　鬼みたいな別嬪？　鬼が裸足で逃げる？　ほめてないよね？　ぜぇえええったいほめてないよね！」
　「いや、その、えーっと」
　「驚き桃の木なら、山椒の木でしょうがーーっ！」

　頭に血が上っても突っ込むか。
　助けを求めて振り返った鉄は、腹筋を鍛えに鍛えている家族を見た。

　真後ろで小町が必死で笑いをかみ殺し、鋼は遠慮なく笑い転げている。眉をしかめた銀の唇は『バカ野郎』と繰り返すし、赤ん坊のおくるみに顔を伏せた初音の肩が激しくふるえている。

　産まれて半年の護秋を抱いた夫の守に、桐子が縋って笑いをこらえるそばで、母と手をつないだ夕花が「もーもたろさーん」と歌っている。藤尾は笑い死にしそうだし、雀すら声もない。天を仰ぐキヌと叔父叔母たち。

　臨月間近の葵は、大きなおなかで苦しそうにかがみこんでいた。光が青くなってこっちをにらみ、怒鳴る。
　「アホ鉄！　式前にコントやる新郎がどこにおる！　笑いすぎて赤ん坊が生まれてまうやんか！」
　「ええーっ？　俺、すっげえマジなのに」
　「よけいあかんやろ！」

　参列者全員がとどめの爆笑に陥ったせいで、しばらく入場できなくなった。タキシードを着ていてよかったと切実に思った。この格好でなかったら、あの場で乙女にしばき倒されたに違いない。くわばらくわばら。

　それでも彼女から目が離せない。

　どうにか式は始まっていた。神主が祝詞のりと　があげる。会うたびに　「てつぅ、げんきかぁ」って言いながら頭をなでるおっちゃんが、尖った帽子と袴を身につけ、厳粛な顔と声で場を仕切っている。

　祝詞のあとは三三九度に誓詞の読み上げ、それから指輪の交換だ。銀の式も葵の式も見た。感動したけど、ひとごとだった。あたりまえだが自分の式だと違う。隣に乙女がいるだけで全然違う。

　杯に口をつけるピンク色の唇とか。つっかえつっかえ読み上げた自分の後に続く、しっかりしているけれどか細い彼女の声とか。指輪をはめた指の先、桜色の爪にきらめく桜色のビーズとか、どれもこれもあり得ない。

　いつもの鉄なら間違いなく逃げ出すのに、今はどっぷり浸かっている。
　浸かって、溺れていた。
　桜色の乙女に。


　「えー、このあとは親族同士の杯と紹介になるんだが……今更か？」

　神主の態度がざっくばらんになると、あちこちから笑いと同意が起きた。なにしろ一年前と同じ顔ぶれ、場所は違ってもわずか一年に、この家族で三度目の結婚式だ。結納やら顔合わせやら入れると何回目なのか。そういうパターンも珍しかろう。

　「なら、ふたりの幾久しい幸せを祈って、式を終えようか」
　「おう良明。ありがとよ。去年今年と世話になったな。結婚に家の立て替えに宮参りに」
　「そりゃこっちの台詞だ、鋼さん。日高はめでたいこと続きで何よりだ。あやかりたいね」
　「神社がどこにあやかるってんだ、馬鹿野郎」
　江戸っ子の会話は基本が喧嘩腰で困るが、神主は全く気にせず、乙女をつくづく見て感嘆した。

　「日高の女衆は、娘も嫁さんも別嬪ばっかりだなあ。うちの神社にこんなハイカラさんを迎えられて嬉しいよ。ポスターにして貼りてぇくらいだ」

　絶賛されて、乙女がはにかんだように頬を染める。その初々しいこと。もはや鉄はにやけ顔を隠す気もない。
　「良明さん、俺の嫁さんだぜ」
　その場にいる全員からの呆れた視線も今さらだ。

　「うちのご神体もさぞや目の保養と喜んでるだろうよ、この幸せ者！」
　神主に力一杯、背中をはたかれた。
　「うわ」
　「鉄ちゃん！」
　転びかけた鉄を乙女が支えてくれる。さすがだと感激しそうになった鉄だが。

　「記念写真撮る前に汚さないで！」

　ずっこけた。
　再びの大爆笑だ。葵が光にすがってうめいている。
　「もう、勘弁してよぉ」
　そこを救ったのは待ちかねていたカメラマンだった。

　「あのーお写真いいですか？」
　「はい、今いきます！」
　挙手したのは花嫁だ。まだ笑いの発作が収まらない家族を残し、乙女にひきずられるようにして、鉄は式場を出た。





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