東京に戻ると、季節はすでに初夏だった。
元気になった桐子を見て、誰よりも守が喜んだ。

「なんだかんだいっても小町さんはいいお母さんだね」

そう言って守は、遅ればせながら母の日と旅行のお礼を兼ねて、色とりどりのカーネーションの大きな花束で小町を感激させた。余波を食らって光が大変だ。

「守さんてほんとに理想の息子だわ。聞いてる光？　ひかりって！」
「ああもう堪忍してえな、義兄さんと比べんといて。なあ雀さん？」
「雀ちゃんはとびっきりのランチ作ってくれたわよ！」
「そないなこと言うたかて。せや、銀鉄」
「実の息子のくせして、妹たちの婿さんに負けるつもり？」
「葵ぃいい、助けてえな、へるぷううう！」

小町にやっつけられる光を見ているのは、なかなか楽しい。藤尾と雀がカウンターの中で笑い転げているし、守は庭で夕花と遊んでいる。

母の日には葵がちゃんと、二人からだと言って素敵なニットのアンサンブルをプレゼントしてくれたというのに、光がおんぶにだっこしたと見抜いた小町は、しつこく容赦なくいじめているのだ。葵が心配そうに聞く。

「お姉さん、ほっといても？」
「いいのよ。どっちも楽しんでるの昔から」

昔もそうだったと思い出す。そんな光景が見られるのも、夫と義母を見守っている葵のおかげだ。彼女の横顔でふっと思い出して声を低める。

「葵さん」
「はい？」
「旅行先でね、若菜に逢ったの」
「……えっ」
驚いた顔でこっちを見る。
あわてて周囲を確かめるが、誰も聞いていない。

「偶然ね。本屋さんで働いていて」
「働いて？　若菜さんが？」
「ええ。離婚したって聞いたけど、ご主人はどうされているの？」
桐子が覚えているのは、若菜を抱えて必死で詫びていた姿だ。

「……色々ありましたけど、元気に仕事を続けていると聞いてます」
「そう」
「若菜、さんは、どんな風でした？」
「変わったわ。前よりも好感が持てた。だからって一年前のことは許さないけれど」
「桐子さん」
「若菜にもそう言われたの。許さないでって」
葵が驚いて目を丸くする。

「もう逢うことはないのかしら。でも」
若菜に言った言葉を、桐子は葵にも繰り返した。
「会えて良かったわ」

「そう、ですか」
「守さんには内緒だけど。あ、小町さんにもね」
「どうして私に？」
聞き返されて面食らった。

「どうしてかしら。たぶん誰かに話したかったのね。聞きたくなかったならごめんなさい」
「いいえ」
ふるんと葵が頭を振った。
「教えて頂いて良かったです」
「……ありがとう」
彼女のこういう毅然としたところが、桐子はとても好きだ。

「もっといろんなこと聞かせてくださいね。光のことも、たくさん」
「任せといて。小さい頃とか山ほど話してあげる」
ふふっと笑いあったところに、当人が小町から逃げてきた。

「桐姉も葵も内緒話しとらんと、大事な弟と亭主を助けんかい！」
「待ちなさい、光！」
「せやから小町さん、何が欲しいねん！　なんでも好きなもん言うてくれたら買うたるし」
「そのぐーたらな態度が気に入らないって言ってるでしょうが！」
「もういややーっ、かんにんーっ」
「ゆーかもやるう！」

庭から戻ってきた夕花が乱入して、小町と一緒に光を追いかけ始めた。その後ろから守もやってきて、桐子の横に座る。
「あーあ、光くんに恨まれそうだ」
「いいのよ。遊んでるんだし……あ？」

突然の感覚に、桐子は両手でお腹を抱えた。守があわてる。
「どうした？」
「動いたの。初めてこの子、動いたわ」
「ほんとに？」
守の手をつかんで腹に当てた。小波のような振動を今度は二人で共有する。彼が嬉しげに笑った。

「夕花の時より強そうだ」
「男の子かしら」
「たくましい女の子かもな」
「あの、私も触っていいですか？」
葵が興味津々の表情だ。手招きして彼女の手もあててやると、驚きにかわった。

「うわ、こんななんですか？　不思議」
「ママ−、なにー？」
「桐子、どうかした？」

わらわらとみんなが集まってきた。宇宙との交信みたいに、お腹に触れた誰もが眼を輝かせる。

「桐姉、すごいな」
「ほんとね」

藤尾が気になったけれど、ふっきった顔で雀と一緒に、桐子のお腹をなでてくれる。心は痛んだがどうにもしてやれない。

だからこそ、私は私を生きていこう。
私らしく家族を、人生を愛していこう。

お腹に耳をつけて夕花がはしゃぐ。
「ノックしてるみたい」
「早く出てくるといいね」
「出ておいで−」
守と微笑みあうと、桐子は庭を見た。

伸びゆく緑が時を刻んでいる。
立ち止まっていた桐子の時も刻まれていく。

開かれた夏への扉の前で、桐子は命を感じていた。





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