運転は小町に任せた。
その特徴は「安全第一」だ。

破天荒な性格に似合わず、制限速度と交通規則を奉じた運転をする。度が過ぎてイライラすることもあるが、妊娠している自分と夕花が同乗しているのだからその方が安心だ。高速に入って流れはさらにスムーズになる。


まだまだ体調の不安な桐子のために、宿泊先以外の予定は立てない旅行になった。

「行き当たりばったりよ。気に入った場所があったら車を止めるから。ホテルには夕方までに着けばいいわ。ね、夕花」
「うん！」
応える夕花はずっとハイテンションで、チャイルドシートから乗り出すようにして窓に張り付いている。

反対側に座った桐子は、シートベルトと毛布でガードされた自分のお腹を見下ろした。まだほとんどわからない。ずっと食べられなかったせいだろうか。もっと食べなきゃと思う。

山間部に入って高速を降りると、そこら中が緑に染まっていて、桐子は目を見張る思いだった。季節は止まることを知らず、春の女王が夏の少年へ冠をかざそうとしている。

なのに、立ち止まっている自分。


避暑地に入ると駐車場に車を止めた。メインストリートは連休であろうとなかろうとにぎやかだ。

遅めの昼食はこじんまりとした洋食屋にした。美味しそうなオムライスのメニューに夕花が張り付いたからだ。期待は裏切られなかった。ケチャップ味のチキンライスを卵が美しく包み込んだ、昔ながらのオムライスを堪能できた。

腹ごしらえのあとは軒を連ねる店を片っ端から見て歩いた。買い物に飽きる女性は滅多にいない。雑貨に食器に文房具、洋服に子ども服に帽子に小物、それからアクセサリー。疲れを覚えた桐子は、まだまだ本調子でないのを自覚する。

「ちょっと休んでもいい？」
「あそこのフレーバーティーの店をどうしてものぞかなきゃ。桐子はそこのコーヒーショップで休んでたら？　テラス席が素敵よ」
「夕花はコチママと行く」

見送った二人はさらにもう何軒かのぞくに違いない。参った。あのパワーは今の自分にはない。いや、どんなパワーも足りない気がする。でも吐き気はなくなったようだから。

ウエッジウッドのカップで角砂糖を二つ入れた紅茶を、人の行き来を眺めながらテラスで飲む。こんなのは久しぶりだ。心の重石はそのままだけれど、軽くなった気がする。このまま消えてくれればいいのに。

ソーサーにカップを置き、ゆったりと椅子の背にもたれる。湯気の流れを追った桐子の目がひとりの女性をとらえた。

首筋から斜めにボブカットした髪。ゆったりくるぶしまであるワンピースに、大判の薄いストールを羽織っている。幾つも細いチェーンをぶら下げたようなイヤリングがよく似合う。

姿形は変わっている。
けれど桐子は彼女を知っていた。

「若菜さん」

誰かに話しかけられ、柔らかな笑顔で応対している。
「どうでした？」
「孫がそりゃあ喜んで」
「良かった」

ほんとうに若菜？
よく似た別人？

「またお店に寄らせてもらうわね」
「お待ちしてます」

お辞儀をした彼女は通りの向こうの小さな店に消えた。可愛らしいポーチと二つの飾り窓がかろうじてわかる。なんの店だろう。どうしてここにいるの。あそこで働いているとか。ここで？　いつから？　疑問がどっと湧いてくるけれど。

知りたいんだろうか。
私、　私は。

「桐子」

横を見ると紙袋を両手に下げて、小町と夕花が笑っていた。
「待たせてごめんなさい。いっぱい買い込んじゃった。ねえ夕花？」
「いーーっぱいね」
「さすがに疲れたかも。ホテルに行ってチェックインしましょ」
「そう、そうね」

立ち上がった桐子はちらりと向こうを見て、顔をそむけた。脈が速い。鼓動が激しい。でも今は考える時間がほしかった。自分の気持ちを確かめるためにも。



ツインルームにチェックインした。ホテルのレストランでお腹いっぱい夕ご飯を詰め込んだ夕花は、お風呂から出るか出ないかで眠ってしまった。子どもの安らかな寝顔は母親の幸せのひとつだ。いつまでだって見飽きない。

「大きくなったわねぇ」
「ほんとに」
小町が桐子の後ろからのぞきこんだ。ネグリジェ代わりのジャージーワンピースで長い髪を巻き上げた姿は、年齢を忘れさせる。ずるいんだからと妬んでしまいそうだ。

「保育園、楽しいみたいね」
「おねえさんだから、っていうのが口癖よ」
クスクス笑った小町が冷蔵庫から水を取り出した。

「明日は夕花と出かけてくるわ」
「出かける？」
「お店にあったチラシで、子ども向けの体験企画を見つけてね、夕花がやりたいって」
「だったら私が」
「いいから。少しのんびりなさい」
戻ってきた小町は枕元に座ると、夕花の髪を梳きながら聞いた。

「ねえ、何を悩んでるの？」
逸らすことも、ごまかすこともできなかった。
見つめられて目を伏せる。

「無理に話さなくてもいいのよ。ただ、あまり見たことがないから。こんなに鬱々としているあなたは」
「……そうよね」
桐子は苦く笑った。

「私も嫌いだわ、こんな自分」
「あら駄々っ子みたい」
手を伸ばした小町に抱きしめられて、きょとんと瞬きした。
母の鼓動が聞こえる。

「あなたは小さい頃からしっかりしていて、私の方が甘えていたわね、ずっと」
「小町さん」
桐子の髪をすく母の手。さっき夕花の髪を梳いていたように。

「たまには子どもに戻ってちょうだい。あなたは私の、初めての子どもなんだから」

こんな風に母に甘えた記憶は確かになかった。小町は融が生きていた頃ですら突拍子もない妹みたいなところがあって、桐子は父と二人で嘆くふりをして、でもそれで幸せだった。

父はもういないけれど、母はいる。
なのに、胸の思いはごちゃごちゃで見せられない。
見せるとしたら？

さっき見た姿が浮かんで、桐子は驚いた。

若菜に？
まさか、どうして。
でも。

桐子の心はわけのわからない葛藤でいっぱいだった。





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