カランカラン。
店のドアに取り付けたカウベルは、ひっきりなしに鳴る。

開店祝いに訪れるご近所さんは絶えることなく、その一人一人に感謝しながら、小町はカウンターで次々注文の紅茶を入れていた。



ティーサロンを開こうと決めてすでに３年。独学だった紅茶について勉強し直し、ここぞと思った店に頼み込んで修行させてもらう一方、自宅の土地の一部を売り払い小さな店を建てる資金に充てた。

子ども達の必死の努力でこれまで手をつけることがなかった融の生命保険。小町もそれは使わないでいたかったのだが、娘達は皆。光さえ電話で賛同を伝えてきた。


「親父は絶対喜ぶし。あの金、小町さんのために使うんなら」

あっという間に染まった関西弁が耳に残った。あぁ駄目。光のことを思うと泣いてしまう。


融の死後ずっと、自分があの子になにをしてきたのか。母親として、父親を失った子ども達を慰め支えなければいけなかったのに、自分一人の悲しみに溺れ、融を求め狂って。

光を傷つけて。



「小町さん、１２番テーブル。ダージリンとアップルティー。チーズケーキレア二つ」
「６番テーブルのミルフィーユ、持って行くね」

母と揃いのエプロンで初音が注文を告げる。横から乙女が同じエプロンで危なげなくケーキの皿をふたつ、トレーで運んでいった。


「すごいわね。ご近所さんってこんなにいた？」

藤尾は小町同様カウンターの中で、洗い物に徹している。


「ここ１年自宅でやってたティーパーティー、いい宣伝になったみたいね」
「小町さんが拝み倒して契約したスイーツ、絶対評判になるわよ」
「そりゃあね。三拝九拝したもの」

「舌だけはいいのよねぇ小町さん」
「藤尾。お茶の腕を忘れないで」
「あれ失敬」


こうして娘達と笑いあうまでに、流した涙で海ができただろう。

光、ごめん。

カランとまたベルが鳴る。藤尾が声を投げつつ顔を上げた。


「いらっしゃいま…　桐ねえ、おかえり」
「ただいまぁー。うわぁ盛況。小町さん、開店おめでとう」
「おかえり、桐子！」

国際線のフライト帰りだというのに、もうエプロン姿で現れる長女。

この娘がいなければ家族は路頭に迷っていたかも知れない。感謝してもしきれない想いで抱きしめる。自分をとっくに追い越した背が頼もしくて、申し訳ない。


「エントランスの花、すごいわね」
「開店までお世話になったいろいろなところが、皆さん祝って下さったの。有り難いわ」
「小町さんの人徳よね」

皮肉なんてかけらもないセリフが、痛いのは自分のせいだ。長女は尚も聞く。


「店名、小町さんが考えたの？　World's　End　って」
「ふふ。どう？」
「うんお洒落。ちょっとびっくり」
「ね、カッコイイよね。この世の果て、なんて。あたし気に入っちゃった」

乙女が割り込む。小学６年生はそういう響きに憧れる年頃なんだろう。


「それにしても人多すぎ。アルバイト雇う？」
「開店祝いよ。明日からスッカラカンかも。様子見ね」
「毎日はねぇ。あたし無理っぽいし」

藤尾がぼやく。


「藤ねぇは卒論しあげなきゃだめ。あたしと乙女が手伝うから」

初音がポットとカップを運びながら釘を刺す。フワフワしてると思っていた三女も高一。いつのまにかこんなにしっかりしている。

ふと、乙女がドアを透かすようにした。


「…光、来ないねやっぱり」

ポツンした呟きにハッと皆が乙女を見た。お湯をそそぎかけていた小町の手が止まる。カタカタカップが震える。


あぁ、光。


横からカップをとった藤尾が優しく笑んだ。


「乙女ったら。関西から来られないわよ。元気でいればまた逢える。でしょ？」
「…そう。そうよね」

辛うじて堪える涙。小町は鼻をすすって別の茶葉を取り出すと、二人分のポットに放り込み、湯を注ぐ。


「桐子、これ２番に」
「了解」
「小町さん。ごめん」

泣きそうな顔で見上げてくる乙女のほほを、小町はそっとなでた。


「ううん。ごめんね。光に逢いたいよね、乙女」
「大丈夫。小町さんもみんなもいるもん」
「…ありがとう」

光が盾になり支えになって守った家。今度は自分が守らなければ。光が帰る場所を。でなきゃ融にあわせる顔がない。


「初音ー、１４番にこれ」
「はいはーい」





サロンは１日ごった返し、夕方ようやく閉店となった。

「お疲れ様。桐ねえも」
「あたし先に戻って晩ご飯支度するね。乙女早く」
「初音待って」
「お祝いにごちそうよ。藤尾、買出しはいいの？」


にぎやかに４人が消えたあと、後かたづけをしていた小町。カランとベルが鳴った。

「すみません閉店で」
「お届け物です。源さんはこちらで？」
「あ、はい」
「小町さん宛に」


差し出された品が小町は信じられなかった。上の空でサインをすませるとまた一人になる。


融が死んでからは一度も手にしたことのなかった、かすみ草。


『初めて逢った時、君はかすみ草に見えたんだ』
『うそ。みんな私のこと、バラとかダリアとか言うわよ』
『いいや。君はふわっと頼りない、でも真っ白でどこまでもひろがるかすみ草だよ』


何かあるたびに融が贈ってくれた花がとびきり大きな束で。
一体、誰が？


送り状を見た小町はまた涙をこぼす。そのメッセージにも。


『またいつか親父に逢える。小町さんの　World's　End　で。頑張れ』


光。　光。

あんなにも傷つけて。憎しみすら抱かせて。ついにはここから逃げ出させてしまったのに。

あなたはやっぱり、融さんの代わりをしようとしてくれる。



ポタポタと涙は花束に注がれ、花束は小町を包み込んで囁く。

『またいつか』



融さん。

過去は消せないけれど。あなたも帰ってこないけれど。
生きるから。
力のかぎり頑張るから。


見ていて。
そしていつか迎えに来て。


『この世の果て』で。



待っているから。





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜　09　/ end　＞