ふんわりしたシフォンケーキは一切れでも大きい。

絵皿に倒すようにして乗せると、カスタードと抹茶の層が綺麗だ。軽いのに噛みしめるとしっとりしていて。


「初音。腕あげたわね」
「そう？　ありがと藤ねぇ」


我が家でフリルが似合うのは、母以外では三女が一番だと藤尾は思う。真白のヒラヒラしたエプロンドレスを翻して、にっこり笑った初音が続ける。

「それで？　また誰かふったの？」


熱い紅茶にむせそうになった。見た目に油断しちゃいけない。フワフワして見える三女が実は、姉妹の中で最も鋭い。


「またって何よ」
「またでしょ」
「……なんでわかるの」
「辛党の藤ねぇが甘いもの欲しがる時は大抵そうよ」

見透かされているのが怖い。まだ中学二年生だというのに。


「その気がないから断っただけ」
「その気があったことないよね」
「悪い？」
「もてるのに勿体ないってこと」

ふぅとため息つく横顔も母に似ている。


「ふったあと必ず落ち込んでるし」

そこまでばれてる？　狼狽と焦りで藤尾は庭へと目をそらせた。放置され荒れ放題だった状態からゆっくりと昔の美しさを取り戻しつつある。母の心そのままに。


その母は留守だ。ティーサロンのオープン目指して忙しく飛び回っている。最近ろくに家にいない彼女だが、姉妹の誰も文句は言わない。文句などない。

あの、閉じこもり引きこもり父を求めて彷徨っていた母を思えば。それを全て受け止めていた光を思えば。今の母を喜びこそすれ、文句なんてありえない。


「…藤ねぇ」
「ごめん。何か言った？」
「恋って、何だろうね」
「は？」

「好きにならなきゃ、喜びはないけど悲しみも苦しみもないのにね」


藤尾は言葉を見失う。思い出すのは昔。


相思相愛を絵に描いたような両親だった。なんて素敵と子供心に思った。光だって彼女に出会ってずっと幸せそうで。あんな風に自分も誰かに出会いたいと夢見た。でも。


物事は表裏一体だと思い知らされる。父を失った母は錯乱し、恋に破れた光はさらにどん底へ落ちた。


全ては愛したから。
心の限り誰かを想ったからだ。



「あたし怖いよ。小町さんみたいに、光みたいになったらって」

紅茶のカップを初音がスプーンでぐるぐるかき混ぜる。ミルクも砂糖も入っていない透き通った渦ができる。


「でもね。あんな風に好きになれるのを、羨ましいとも思うの」

初音の呟きに藤尾の思いが重なる。


容姿はピカイチ。数字に長けた頭脳の専攻は会計学。鋭い舌鋒で時に教授ともやりあうことから学内では　Cool　Beauty　と呼ばれる藤尾の、密かな憧れ。真実を目の当たりにして作ってしまった殻を、壊してくれそうな人はなかなか見つかりそうにない。


「生意気。あんたはとりあえず高校受験が先よ」
「……そうでした」

チロッと藤尾を見上げた初音は肩を竦めた。答えない藤尾の本音も知っていて、問いつめない。この妹は時に自分よりも大人に見える。藤尾は紅茶を飲み干すと立ち上がった。


「ごちそうさま。バイト行くわ。その後も研究室だから遅くなるけど」
「大丈夫。乙女もじき戻るし」

いつものとおり。初音は柔らかく微笑んだ。



家を出た藤尾が見上げると、秋の太陽はもう傾いている。もっとずっと西の地方ではまだ、陽も高いんだろうか。



関西の大学を選んだ光が家を出て半年。メールや電話はあるけれど、帰ってくるのはいつになるのかわからない。もしかしたらずっと？　縁起でもない考えを藤尾は振り払う。


母のように。弟のように。
誰かに恋いこがれる日は来るのだろうか。

Cool　Beauty　の肩書きはまだ当分とれそうにない。


「…やばっ、時間」



あわてて走り出す藤尾。
濃くなっていく空のグラデーションは心模様に似ていた。





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜　07　/ end　＞