食事を楽しみながらも葵は、左半分の様子も懸念していた。
声高に応酬が始まるとあぁと思ったが、まさか夕花が飛び込むとは。

江戸弁と関西弁、向かい合ってにらみあう父と光は子どもみたいだ。そこに両手を広げて割り込んだ夕花が、懸命に父から光を守ろうとしている。どっちが子どもなんだか。情けないやらおかしいやらだ。

夕花が一段と声を張り上げる。
「おじしゃん、ひーちゃをいじめないで！」

凛々しい。
ドラゴンに立ち向かう勇者もかくや。思わず拍手をしたくなる凛々しさに、さすがの鋼も面食らっている。

「や、別に、おりゃあその」

目を泳がせ、居心地悪そうに手酌で酒をついでごまかそうとするが、攻撃は容赦ない。

「いじめちゃだめ！　ひーちゃはゆーかのおーじしゃまなんだから！　やさしくてぇかっこいいおーじしゃまなんだから！」
「落ちつけ夕花、あんなぁ」

かばわれている光が、鋼と同じくらい困っているのがおかしい。げほげほっと盃の酒にむせながら鋼がむっとした声を出す。

「ずいぶん年喰った王子だな。おひめさんもちっちゃすぎだろ？」

ぎろっと見たのは夕花の向こうに言ったつもりだろうが、自分が言われたと思ったらしく夕花の目がみるみる潤んだ。拳を握りしめ泣くまいとしてしゃくりあげる。光があわて、鋼も焦る。

「ゆうか？」
「お、おいおいおい」

幼い子どもの泣き顔は保護欲をそそる。身内となればなおさらだ。
「夕花を泣かさないでください！」
すっとんできた小町が二人の後ろで両手を腰に仁王立ち、鋼をはったと見下ろした。

「子どもを脅すなんてどういうつもり？」
「脅すだ？　俺がいつ脅したってんだい」
「その口調が怖いんです、おとなしい女の子に乱暴な」
「人の喧嘩に割り込んできたのはお嬢ちゃんの方だぜ？　おとなしいが聞いてあきれらぁ」
「なんですってえ？」
「文句あんのか！」
とうとう鋼まで立ち上がる。

「お父さん」
「おかん、やめえ」

腕をつかむ葵にも、光の制止にも、ふたりして耳を貸さない。困った葵が祖母を振り返るが、こういう時の祖母は、面白げに傍観者を決め込むタチだ。どうしよう。

火花を散らせるふたりを、止めたのはまたしても夕花だった。
「ちっちゃくないもん！」

女の子特有の甲高い声に皆の視線が集まる。大きな目にためた涙は表面張力ギリギリ、こぼれないのが不思議なくらいだ。両手を拳に力一杯握りしめた姿に葵はなぜか、既視感を覚えた。どこを、なにを？

「ゆーか、ちっちゃくないもん！　おっきくなるもん！　おっきくなっておしめさまみたいにきれいになって、それでそれでっ……」

鋼をにらんでいた夕花が、その腕をつかんでいる葵を見て不意に黙った。と思ったら。

「っっひぃいいーーーんっ！」

これまでとは比べものにならないほど大きな声で泣き出した。大きな目の縁で止まっていた涙が突如、噴水のように吹き出して、その場の大人をあわてふかめかせる。日高家の面々はどうしたらいいかわからず、源家の面々は右往左往だ。その間も響きわたる悲しげな声。

「ひーーーっんっ」
「ゆ、ゆうか？　ゆうか！　泣くな、泣かんとき、泣くんやないて」
「夕花、夕花ったら」
必死でなだめる光と小町に乙女が容赦なく突っ込む。

「光ったら活用形やってんじゃないわよ、小町さん、事をややこしくしないで！」
「あっ、あたしのせいじゃないわよ、怖いおじさんのせいでしょうが！」
小町にびしっと指さされて鋼がまたむくれる。

「怖いおじさんってなあ俺のことかよ」
「ほかにいるもんですか」
「ならあんたはこわいおばさん、じゃない、怖いおばあさんてとこだな」
「なっんですってえええ、意地悪じいさんがなに言ってっ」
ばちばちっと性懲りもなく喧嘩しようとするふたりに、光があきれる。

「ええ加減にせえてほんま」
「なんだとを？」
「ひかり！」
「うわ、……って？」

双方からにらまれた光の、手を夕花がつかんだ。しゃくりあげながら小さな声が光に尋ねる。

「あの、おねー、しゃん、ひーちゃ、の、およめしゃん、なるの？」
葵を指さすぷくぷくの指が可愛らしい。
涙で赤い目が切ない。

「せや。大好きやねん」

のろけにしか聞こえない返答だ。葵の方が赤くなってしまう。源家と銀鉄の罵倒の中でも、夕花の声はちゃんと届く。

「おねー、しゃんの、おじしゃん、意地悪、なのに？」
葵が鋼をじとっとにらむが、鋼はしらっと視線を避ける。
「意地悪やないて、夕花。大事なもんは簡単にあげられんやろ」
首を傾げる夕花に光の言葉は柔らかい。

「大事なもんは大事にしてくれるひとにあげたい、大事にしてくれるんか確かめたい、そう思わんか？」

小さい子には難しすぎるかもしれないのに、一生懸命考えようとするのは、賢いからか、大人に囲まれて育っているからか。すんすんと鼻を鳴らす仕草の可愛いらしさ。光がしみじみと付け加える。

「……夕花が嫁に行く時はきっと、夕花のお父ちゃんも意地悪やろなあ」
「ゆーかのパパ、意地悪、ないもん」
「せやろか」
「ゆーか」
「うん？」
「ゆーかが、ひーちゃの、およめしゃん、なりたかったよぉ」

小さな告白に目を見張った光は、あげた眉をなだらかに下げ、夕花を両手でふわりと包み込んだ。真っ赤なうさぎ目をのぞきこむ。

「ごめんなぁ。せやけど、夕花のことも大好きやねんで？」

夕花の顔がくしゃっとつぶれて、ひーーーんと新たな涙になる。光の首っ玉にしがみつく小さな手に、葵の胸がきゅんと鳴る。憧れで鈴のように鳴る。

「そっくりだな」

びっくりして真上を見ると鋼が不思議な表情をしていた。すぐそこを見ているのに遠くを見ているような。
「あんなだったぞ、泣き虫なのに意地っ張りで強情な」

そう言われても葵は疑問符ばかりだ。
そっくりとかあんなだったとか。

誰が？

見れば夕花を泣きやませようと、光の姉妹たちがおろおろしている。
「ねえもう泣かないで」
「光よりかっこいい王子様がいるわよ絶対」
「光なんかあげちゃえっ」
「いやだあ」
「でもほら、もう泣きやんで？」

本人も懸命に泣きやもうとしているようだが、勢いで自分ではどうにもならないらしい。
「なっ、みだっ、とまっ、ないよ、おー」

いつのまにか座卓をぐるりと回った鋼が、夕花のそばへ割り込んだ。小町が警戒心むきだしにするのも頓着しない。

「よう、嬢ちゃん。手ぇ出してみな」
「なっ、に？」
「手だよ手」
まだべそをかいている夕花は、目を覆った両手の間からおそるおそる鋼を見ている。

「ほい」

小さな手をつかんで手のひらをひろげさせた鋼は、懐から取り出したもう一方の手をその上に掲げて、振った。
コロリと。

「……おほししゃまぁ？」

たなごころに散らばった色とりどりの小さな星、その感触に夕花が涙を忘れて声をあげる。

反対側から見ていた葵の、記憶の扉が開いた。菓子にではなくそれが入っていた、振り出しと呼ばれる入れ物によって。

ブルーガラスの丸みのある小さな瓶から、色とりどりの星が手のひらに落ちてくる。父の手の振り出しを目を輝かせてみつめていた自分は、いくつだったろう。

「ほれ、食ってみな」

鋼に促されて夕花がおそるおそる口に入れる。その顔がミルクに入れた砂糖のように溶けた。

「あっまーい」
「金平糖ってんだ」
「こんぺーとー？」
「昔っからある菓子さ。うまいだろ」
「うんっ」
元気いっぱいの返事にくくっと鋼が笑う。

「泣いたカラスがもう笑ってらあ。ちっちぇ頃の葵とおんなじだな」
「葵と？」
光が驚いた顔で鋼を見て、こちらを振り返る。

「強情で意地っ張りで俺にかみついてばっかりいてな。そのくせ泣き出すと止まんねえんだ。いつまでも泣いてる時の奥の手が、これよ」

鋼が懐から出した手に握られている、スゲ蓋のついた青いガラス瓶。金平糖が星のかけらのようにしゃらしゃらと鳴る。目をきらきらさせて見上げている夕花が。

昔の、私？


「おじしゃん、もっと」
「気に入ったかい」
「甘くてきれえ。もっとちょうだい」
「これ、夕花」
「いいさ、あんたのために持ってきたんだ。こっちで手ぇ出しな」

その場で胡座をかいた鋼がひざを叩く。
誰もがまさか、と思ったが。

「うんっ」

さっきまでの騒ぎを忘れたかのように、夕花はあっさりと鋼の膝に座ってしまった。
「ゆうかったらぁ」
悔しげな小町の声など聞いてない。光たちも唖然としている。


「懐かしいものを見たねえ」
隣からおかしそうな声がした。鋼と夕花をみつめる祖母は楽しげにほほえんでいる。

「あの振り出しは、鋼が、あんたのために買ったんだよ」
「……ほんと？」
初めて聞く話に葵が目を丸くする。

「ちっちゃい頃の葵はほんとに強情で、泣き出したらなだめられるのは千代さんだけでね。千代さんがいない時に怒られるともう、泣きやまなくてみんな往生したんだ」
小さすぎて葵の記憶はない。

「鋼も気にしてたんだろうさ。どこからかあの振り出しと金平糖を仕入れてきて、どうにもならない時だけ、あんたにやるようになってさ」
「そう、だったの」
「文句言いながら案外楽しそうだったっけ。よくまあ今まで取ってあったもんだ。しかもわざわざ持ってくるなんてさ」
祖母が葵を見てまた笑う。

「懐かしかったのかねえ、あんたのちっちゃい頃が、さ」

祖母の向こうで銀が、何の話だよって顔をしている。振り返る父が、見たこともないような甘い顔で夕花の相手をしていた。過去がだぶる。夕花が自分に見える。

怒らせて、叱られてばかりだった気がするのに。あんな風に甘い顔もあったのだろうか。自分相手に。


「おじいちゃん、ですってえ？」
小町が金切り声をあげている。

「あんたがおばあちゃんってこたあ、あんたの息子の義理の父親になる俺は、おじいちゃん、じゃねえか」
「あのね、夕花はあたしの娘が産んだ正真正銘のあたしの孫で」
「だから義理のおじいちゃん、な？」
「おじーちゃん？　夕花の？　ほんと？」
「おう」
「きゃーっ」
夕花に抱きつかれてと少しよろけながら、鋼が光ににやっと笑う。

「おーじさまのお株を奪っちまったか？」
「あは、あはは、そないなこと」
ついていけないのか、光の声からは力が抜けていて気の毒だ。祖母が耳元で悪戯っぽく囁く。

「おやおや、こりゃ葵はさっさと産んでやらないとねえ」
「産む？」
「正真正銘の初孫を、さ」
「おっっ、ばあちゃんったら！」
「おーこわっ」
「……ばあちゃん、さあ」

銀の脱力した声とキヌの笑い声に、頬が熱い。祖母の膝をバンバン叩きながら葵の心は、甘くキラキラした金平糖で一杯だった。