二人の懸念にもかかわらず、食事会は穏やかに進んだ。互いの紹介を終えるタイミングを読んで食事が運ばれたおかげもあった。先付けが並べられ、その見事さに誰もが喜ぶ。葵を含めた右半分では女性陣が嘆声を漏らした。

「綺麗ですね、食べるのがもったいないくらい」
桐子のつぶやきが皆を代弁する。
「ありがとうございます。うちの板前には京都で修行したものもおりまして、味はもちろんのことですが、見た目も工夫しております」
女将が嬉しげに応えている。

夕花が小町を見上げた。
「コチママぁ、食べてもいい？」
子どもへの配慮か、夕花の前は伊万里の鮮やかな絵皿で、先付けにお凌しの　ぎの箱寿司が足されてあった。わくわくした様子が笑いを誘う。

「夕花、おばあちゃん、でしょ」
桐子が注意すると、女将が驚いたように小町と夕花を見比べる。
「お孫さん、ですの？」
「ええ、初孫なもので甘やかして」
「あらまあまあ」

「おばあちゃぁん」
「コチママでいいわよ。頂きますをしてね」
「いたっきまーすぅ」
夕花に音頭をとられて全員が手を合わせた。キヌが口元をほころばせながら、小町に話しかける。

「ほんとに可愛らしいお孫さんだ」
「ありがとうございます」
「あたしは孫が十人いるんだが、この娘が初孫だったんですよ」
隣の葵を指す目が懐かしげだ。

「まだ鋼たちと同居してた頃で、そりゃもう可愛くて可愛くて。あの鋼がご近所に紅白まんじゅうを配って歩いたくらい」
「おばあちゃん、そんな話」
苦笑しながらたしなめる葵から鋼へ、小町がちらっと目を遣る。

「意外、と言っちゃ失礼ですけど、男の子の跡継ぎを待たれてたんじゃ？」
「あたしもそう思ってたんですけどね、開けてびっくり玉手箱って奴でねえ、ご近所が呆れるほどの騒ぎでしたよ」
「たばてまこ、ってぇ、うらしまたろーがおしめさまにもらうんだよね？」

夕花の口の回りきらない可愛い割り込みに、大人三人が顔を見合わせ笑いだした。桐子の困った顔。口元を隠して笑いをこらえる銀に、小町が声を低めて聞いた。

「ねえ、お父様はあなたと初音のことや、乙女と鉄さんのこと、ご存じないの？」
「ええと、その」
銀が珍しく歯切れ悪い言葉で濁すと、キヌが食いつく。

「おや、銀はこちらさまへご挨拶に伺ったのかい？」
「挨拶っていうか、成り行きなんだ」
「銀さんも鉄さんもいい青年ですわ。でも、兄妹そろってつきあってるなんて思ってもみなくて」
「そりゃそうだ。乙女さんは鉄と一緒にあたしんところにも来てくれたんですよ。あん時ゃもう笑った笑った」
「おばあちゃん」
葵が膝をつついてもおかまいなしだ。小町はむしろ面白そうに尋ねる。

「あの子何かやりまして？」
「正座が苦手みたいで、足がしびれてすっころんでねえ」
「あら」
小町が吹き出す向こうで、桐子が眉間を抑えてすまなそうに言う。
「お行儀がなってなくてすみません」
「今はみんなそうですから」
葵があわててフォローする。銀も同調する。

「人の失敗を笑う方が行儀悪いだろ、ばあちゃん」
「だって嬉しかったんだからしょうがない」
「嬉しかったって？」
いぶかしがる銀にキヌはあっけらかんとしていう。
「初めて鉄が連れてきた彼女があんなにいい子だなんてさ」
「なるほど」
「その上お兄さんも葵とつきあってる言うから。あたしはねえ」
キヌの声がしみじみとしたものに変わり、葵を見る。

「この子の花嫁姿をみたいみたいと首を長くして待ってたんですよ。いろいろあったけど、光さんのおかげでどうやらその夢が叶いそうで、嬉しくて嬉しくて」
「お礼を言うのは私の方ですわ。いいご縁に恵まれてほんとに良かった。おばあさま、どうぞ」

小町が酒を勧める。しゃべりながらもそれぞれが箸をつけ、お椀の横にお造りが並べられていた。
「そう言って頂けるとあたしも安心ですよ」
喉を潤すように盃を含んで、キヌは満面の笑みだ。

「私、着物には疎いんですけど、おばあさまのお召し物すてきですね。小紋でいいんでしょうか、小さく飛んでいる柄がとても粋で」
小町が感心した様子でキヌの着物をほめる。
「お若い人はご存じないでしょう、打ち出の小槌とか宝珠とか、宝尽くしっておめでたい柄でね。食事会にあんまりかしこまるのも野暮だし、でも葵のご縁をせめて祝おうと思って」
「……おばあちゃん」

隣で葵は切なくなった。祖母は芸者だったこともあり、高価な品やおもしろい品など着物もいろいろ持っているが、今日の着物は初めてだ。宝尽くしに自分への祝いを込めてくれた祖母の優しさ。小町が葵を見遣る。

「おばあちゃんってありがたいものよ、葵さん。私も祖父母に育てられたから、よくわかるわ」
「おや、ご両親は」
「事故で早くに亡くなりまして」
「旦那さんもでしたねえ」
「……ええ」

キヌがついと、テーブルの向こうへ手のひらを置いた。怪訝けげん　な顔で、それでも小町がそこに手を乗せると、ぎゅっとにぎって微笑む。

「あたしの亭主もねえ、鋼が一人立ちするかしないかで死んじまって。子ども四人抱えてどうしようと思ったもんです」
「そう、だったんですか」
小町が言葉に詰まる。
「あなたもさぞや苦労されたんだろう。でもごらん。お嬢さんも息子さんもみんな立派に育ってる。大したもんだ」

思ってもみなかったキヌの言葉に、小町が驚いた顔になる。葵と目が合って口ごもった。

「違うんです。子どもたちはそれぞれ自分で育ってくれたんですよ。私は情けない母親でそんな風に言って頂く資格は」
「商売もやってちゃんと成功させてるとか？　情けなくなんかないさ」
祖母の口調がどんどん砕けていくのは、相手が気に入ったからだ。

「人生は長いんだ。良い時も悪い時もある。誰かを傷つけて泣いたり泣かされたり。あたしだってねぇ、若い頃は色々あった。自分に愛想尽かしたことだって何度もあったさ」
「おばあちゃん」
「でもね、生きていくなら立ち上がらなきゃ。立ち上がったから今がある。頑張ったんだろ？　頑張って良かったねえ」

小町の手に手を重ねてぎゅっと祖母が握る。見開いた小町の目が少しずつ潤み、とうとう顔を伏せてしまった。あわてて葵が取りなそうとする。

「すみません小町さん」
「おやおや、ごめんよ、悪かったかね」
「お母さん」
「コチママ？　泣いてるの？」

両側から夕花や桐子にも声をかけられ、小町はなんとか顔を上げた。押し寄せた感情は抑えたようだが、潤んだ目はどうにも隠せない。キヌに、そして葵に、絞り出した言葉はただ。

「光を、お願いします」

「そりゃこっちの台詞だ。葵を、そうそう、願わくば銀も鉄も。どうぞよろしく頼みますよ」
「おばあちゃんたら」
「やめろって、ばあちゃん」

葵と銀が止めに入り、桐子が母にハンカチを差し出す。その間もキヌと小町の手は繋がったままだ。

二人を、それから葵を、夕花が物言いたげな表情でみつめていた。