夢なのはわかっていた。

『おめでとう』
『おめでとう』
たくさんの人に祝福される。誰もが笑顔で祝ってくれる。

『ありがとう』
自分も笑顔で答えている。なんの疑問を持っていない。そりゃそうだろう夢だもの。何を祝われているのかもわからないのに、のんきなものだ。

『おめでとう、葵』
とうとう美羽まで現れた。さすが夢だ。祝われるのはあなたの方でしょ、と夢だからつっこみもしない。
『ありがとう。でもなにが？』

なんて惚けた質問だろうと思うのに美羽はにこやかに答えてくれる。
『何言ってるの、そりゃあなたと源さんの……』


夢をぶったぎったのは携帯の着信音だった。それもコラボだ。葵の着信曲「お祭りマンボ」にもう一曲混ざって、耳障りなことこの上ない。

「うるさ……っ」

起きようとした葵はものすごい頭痛に襲われてまた突っ伏した。二日酔いはこれまで何度も経験あるが、その比ではない。正拳突きの連打を絶え間なしに頭の中からくらっているみたいだ。気持ち悪い。

ごちゃごちゃした曲が相次いで途切れたのと入れ替わりに、いかにも寝起きのぼやーっとした声がした。

「うーるさいなぁ……って葵？　なにしとるん」

頭痛と吐き気で涙目になりながらなんとか隣を見上げると、半身を起こした光が眠そうでいておかしそうな顔をしていた。寝起きのくせにどうしてこうイケメンなんだろう。

同じ毛布にくるまっていた光は裸で、葵はキャミソール一枚だ。色っぽい挨拶を交わしてもおかしくない状況なのに、こっちはそれどころじゃない。いつもと変わらない彼が憎らしくて顔面に二、三発拳を打ち込みたくなる。その余力がなくて命拾いしているのも知らず、光は笑っている。

「しんどそうで安心したわ」
「……どう、いう、意味」
聞き捨てならない。

「せやって披露宴から二次会までエンジン全開で走っとったやろ。あれで二日酔いにならんかったらかえってびびるて」
「そ、んなに、飲んでた、かしら」
「そらもう。つられて俺まで飲み過ぎたし」
「うそ、ばっか」

しゃべるそばからガンガン鳴る頭を抱え、朝の光にぴったりのさわやかな笑顔で何を言うかとにらんでみせる。

「ほんまやて。ふたりとも酔うとったのにホテルまでよう戻れたなあ。カメさんとウサコちゃんを送ったあとから記憶がすっぽり抜けてしもうとる。先に精算すまして正解やった」

光の声が低くてよかった。高くて響く声だったらとっくに口を塞いでしまっている。話している内容が頭を素通りする。あぁ気持ち悪い。話し半分で毛布に潜り込んだ葵を、光はまた笑いながらぬいぐるみのように抱き込んだ。

「やめてぇ」

葵が頭痛と吐き気で悲鳴をあげているのに、仰向けにされてシーツに押しつけのぞきこんでくる彼。囁く声が甘い。

「めでたい席やったせいか、夢までめでたかったわ。えらいぎょうさんの人にお祝い言われとった」
「……あたしも」
「うん？」
「みんなにおめでとうって言われてた気がする」

「ほんまに？　夢まで一緒やんなぁ」
「バカ」
「葵のバカは好きと一緒やろ」
「バカバカバカ、、、うう」
止まない頭痛に顔をしかめると皺が寄ってるだろう眉間にやさしく唇が触れた。

「ルームサービスでスープでも頼もうか。二日酔いの薬も」
「恥ずかしいったらないわね」
「気にせんとき」

自分もかなり飲んだだろうに平気そうなんて不公平だ。そう思う一方で彼への愛しさが湧いてくるのだから悔しい。素肌にバスローブをひっかけて帯を締め、電話へと歩いていく光を複雑な心境で眺めていたら、また携帯が鳴った。しかも二つ同時で。

葵の着信は和洋を問わず威勢のいい曲ばかりだ。「お祭りマンボ」は最近のお気に入り。光の曲は対照的にムーディーなスローバラードが多い気がする。今流れているのが大ヒットアニメの主題歌なのはご愛敬だ。

どっちにしても二日酔いには音の暴力にしかならない。再び毛布をひっかぶった葵に苦笑しながら、光がまず自分の携帯をとった。相手を確かめて首を傾げる。

「もしもし？　どないした……ちょ、まて、怒鳴るなて。嬉しい？　めでたい？　まてまてまて、何の話やんて、おかん」

光がおかんと呼ぶのは母親の小町だろう。毛布の中で考える葵に「お祭りマンボ」がわっしょいわっしょい早くとれとせかす。取らなきゃだめか。誰よ。

不承不承携帯を取った葵がぐらぐらする頭で液晶を見たら「実家」とあった。「銀」でも「鉄」でもない「実家」？　何かあった？　あわてて通話ボタンを押す。

「もしもし？　銀？」
「あーおーいー？　葵だな？　このやろう、どこで何やってるんだ！」

二日酔いの頭に父・鋼のどら声は凶器だ。ものすごいダメージをくらってまた突っ伏す葵だが、父は容赦なく携帯からわめき続ける。

「てめえ、夜中にあんな爆弾落としといてしかも帰ってこねえとはいいい度胸じゃねえか。俺はまだ許しちゃいねえからなっ」

朝っぱらから、いやもう昼かもしれないが、爆弾とか許すとか何なのよ。こっちはそれどころじゃないのに。

「聞いてんのか、葵！」
「何言ってるのかわかんないってば」
「なんだと。寝ぼけやがって」

寝ぼけてるんじゃなくて二日酔いだとはさすがに言いづらい。うるさい。だが続く父の言葉は葵の不調を吹っ飛ばした。

「いきなり結婚だあ？　おめえは友達の披露宴に行っただけじゃなかったのか。突然、しかも電話で結婚宣言なんて、親をなめんじゃねえぞっ」

………はあ？

あまりの驚きに怒鳴り返すのも忘れて携帯を手に動けなくなる。寝ぼけてるのはそっちでしょ。それとも自分の耳がおかしくなったんだろうか。


「何言うとるんかわからんて、おかん。俺が結婚て誰がそないなこと、ああ？　俺が？　せやからってなんでそないに浮かれとんや、アホかいな」

光の悲鳴が覆い被さってきた。察するに向こうも母親から同じ内容を問いつめられている。動揺した顔が自分と同じだと安堵して、いやいやと首をふってまた頭痛に突っ伏す。その間中握っている携帯から父の怒鳴り声は続いている。

「冗談じゃねえぞ、犬猫じゃあるまいし電話一本で結婚を承伏できるかこのやろう、葵？　葵！　返事しろ、どうせ電球野郎も一緒だろうが、とっとと帰ってこ」

ぶち。

気づいたら切ってしまった。まずい。絶対まずい。案の定、間髪入れずにまた「お祭りマンボ」は鳴り始める。光はまだあっちで怒鳴ってる。

「せやから違うて言うとるやろ！」

何がどうしてどうなってるの。
誰が結婚？　あたしが？　光と？　ゆうべの夢は正夢だったの？
混乱した頭にぞわっと別の可能性が浮かび上がった。

あれが夢じゃなかったとしたら。


二日酔いさえ除けば甘くのどかだった朝は一転、風雲急を告げていた。