光のすぐ下の妹だという初音は、末っ子の乙女が綿菓子みたいと語ったイメージとはずいぶん違うと鉄は思った。仕事中だったせいかもしれない。

『今日は定時であがれるから待ってて。いい？　逃げないでよ？』

詰め寄られた顔は綿菓子どころか喉笛にくらいついてくる土佐犬のよう。大きな眼には威嚇と不審があった。なんだろう。歩きながらも鉄は首を傾げていた。


鉄と乙女と銀は「ma　mere」から通り一本越えたところにある洋風居酒屋に入った。土地勘のない三人にここを教えてくれたのは初音だ。地味な外観だが入ってみると天井が高くて、二階もある広い店だった。そのせいか込む時間帯にもかかわらず、あっさり入れたのはありがたかった。

四人掛けのテーブルの右に乙女が、左に銀が座ると、続こうとして鉄は迷った。乙女の隣に座るべきか銀の隣に座るべきか。固まった鉄を乙女が不思議そうに、銀はじろっと見る。兄の隣に並ぶのも嫌だが、乙女に兄の顔ばかり眺めさせるのもおもしろくないし。

思案に負けて銀の横に並ぶとへえと言わんばかりに兄の眉が上がった。ぐしゃぐしゃ頭をかきながら天井を仰ぐ。乙女が銀にメニューを差し出している。モデルの仕事をしている彼女は初対面の人にも怖じたりしない。怖じるどころか。思いだし笑いがこみ上げた鉄は下を向いてごまかした。


乙女と会うのは三度目だ。弟と妹という互いの立場を認識した最初の出会い。ぴーちくぱーちくやたらうるさかったが、彼女とやりあうのは悪くなかった。光の妹と知って興味が薄れるどころかもう一度会いたいと思ったのは自分でも意外だった。

メアドを聞いたわけでもなければ、住所を教えてもらったわけでもない。ツテは幹事だった悪友だけ。尾田のガードは思ったよりも固く、食い下がったら散々問いつめられてしまった。

『鉄の好みじゃないだろう。おれも彼女は仕事がらみの知り合いだから、軽率に教えたくないね』
『逆ならいいだろ』
『逆？』
『俺の連絡先を彼女にメールしてくれよ。ケー番とメアド。連絡ほしがってるって。するかしないかは彼女が決めればいいさ』

むうと唸ったものの尾田はどうにか承知してくれた。待つこと数日。おそるおそるかかってきた電話の向こう、彼女の声を聞いた鉄は、風呂上がりの自分の部屋で思わずよっしゃと拳を握りしめてしまった。

『日高、さん？』
「鉄でいいって。散々怒鳴り合ったくせに、気持ち悪い」
『……間違いないわね』

あきれた声だったが誘いは断られなかった。二度目の待ち合わせは彼女の希望で日曜の真っ昼間、ファミレスという健全さ。

「こっちは学生なの。安いし気楽だし」
季節メニューだというピンク色のパフェを前に、長いスプーンを構えて乙女は食べる気満々だ。奢らせる気が皆無なのはうれしいような悔しいような。

「いきなりパフェかよ」
「悪い？　結構好きなのよねここの。しばらくきてなくて」
「悪くない、っつーかなんでひとつなんだよ。俺のも頼んどいてくれりゃ」
すぐに店員を呼んでパフェを追加した鉄を、乙女が意外そうに見る。

「酒飲みのくせに、甘いの好きなの？」
「おうよ。うまけりゃなんでも」
「江戸っ子がパフェなんぞ食えるか、って言わないんだ」
「正直に言うと生クリームよりあんこ派だけどな。お江戸はとっくにはるか昔だ。クリスマスもお盆もハロウィンもばっちこいの現代で細けえことなんか言ってられっか、お茶の子さいさいってもんよ」

わけのわからぬ説明に乙女が眉間を押さえる。
「思い出しちゃった」
「なにを」
「最新設備」
一瞬考えて、ああと思い出す。結局確か。
「最強装備だっけ」
「才色兼備！」

「おまちどうさまでした」
叫んだ乙女の鼻先に鉄の注文したパフェが現れた。絶妙のタイミング。待ちかねた様子でスプーンを握った鉄は生クリームをこぼれんばかりにすくって、ぱくり。あきれ顔の乙女ににんまり笑う。

「うまいじゃん。生クリームってのはやっぱあれだな」
「あれ？」
「スイーツでいう最強装備」
「……わけわかんない」

「でもってこのパフェは才色兼備。なんたってイチゴの美人さんだ。あんたも食べれば？」
「言われなくても食べるわよっ」
ぷんぷんしながらパフェを口に運ぶ乙女の様子がおかしくて、楽しい。やっぱりそうか、これはたぶん。

才色兼備のパフェがそろってふたりの腹に片づくと、スプーンをおいた乙女が改まって頭を下げたので鉄はびっくりした。

「こないだはごめんなさい」
「へ」
「いろいろその、探ろうとした挙げ句に酔って絡んで」
「まあ確かに」

謝ってるくせに肯定したらにらんでくる。あわてて手を振る。
「そんなつもりで連絡したわけじゃねえぜ。なんだよ突然」
「でも。光にも怒られちゃったし」
ふうとため息をはいた顔が子どもみたいだ。

「ほんっとにブラコンだな」
「自分だってシスコンでしょ」
「確かに今までその気になるのは年上ばっかだったけどな。甘えさせてくれるっての？」

「ああ、そういうところはあたしもあるかも」
「だからってそれが全てでもねえし」
テーブルの上、パフェの器をよけると上半身を乗り出すようにする。驚いた乙女が思わずのけぞり背によりかかる。

「どうもあんたに興味あるらしいんだよな」
「……誰が」
「俺が」
「誰に？」
「あんたに」
「……気は確か？」
「確か確か。なあ、俺とつきあってみない？」

絶句した顔を眺めてやったと鉄はほくそえんだ。出会った夜から先んじられてばかりだったのが、ようやく一本とった気がする。もちろん言ったことに嘘はない。

年下で細くてきゃんきゃん威勢のいい甘ったれ。これまでの好みには全く引っかからないけれど、確かに彼女に惹かれてる。なら当たって砕けろ。ものは試し。こういうことわざは間違えようがなくてありがたい。

空気を求めるように何度か口をパクパクしてから、乙女が困り果てた声を出した。
「あなたって、軽い」
「そうでもないぜ」

「あたしの理想は光よ？」
「俺の理想は葵らしい」
「似ても似つかないじゃないのお互い」
「だからいいんじゃねえの？」

鉄の言葉に乙女が首を傾げる。
「似ても似つかねえのが好きなら、本物だろ」
乙女がぱっと顔を朱に染めた。あわててそっぽを向くその仕草が新鮮で、こっちむけよと言いたくなる。

「……タチ悪い。結構たらし？」
「ひでえ言われよう」
「だって。江戸っ子ってそんなこと言わないと思ってたのに」
「江戸っ子の売りは竹を割ったようなストレートさだぜ。そもそも思ってること言ってなにが悪い？」

真顔で聞いたらちらっとこっちを見た乙女の顔がさらに赤くなった。
「信じらんない」
「信じるのはこれからでいいし」
「だって」
「興味ない？　それはないよな？」

そこは自信があった。案の定、見栄はあっても嘘はいえないらしくて口ごもっている。そういうところも悪くないと思う。

「興味は、ある、かも」
「よっしゃオッケー」
「えっ、えっ、でもあの、ぜんぜんあやふやでどっちに転ぶか」
「そりゃお互い様だし」
鉄の返事に自分で言っておいてむっとしている。

「そういうもんだろ。一寸先は闇」
「闇じゃまずいでしょ」
「だから、一寸の光陰軽んずべからず、だっけ」
「光陰の意味わかってるんだか」
「一寸の虫にも五分の魂ってな」
「誰が虫なの誰が」
「あーもうとにかく。とって食やしねえし。いいだろ。な？」
「食われそうだから困ってんでしょうが」

猪突猛進、突進邁進。
なんだかんだの抵抗を押して押して押しまくって、とうとう乙女に承諾させたわけだが。


三度目の今日は乙女から誘われた。甘い物が好きならとびきりおいしい店に姉が勤めてるからと。まさか顔を合わせようとは。それどころか父兄同伴デートを双方そろってだ。参るよな。

とりあえずビールとつまみを頼む銀の顔をちらりと見る。乙女と話しているのは初音のことだ。当たり障りのない話題というわけか。

「お姉さん、ずっと今の店に勤めてるのかい？」
「はい、専門学校出てそのまま」
「優秀なんだね、老舗でしょあそこ」
「初音はずっとパティシエになりたかったんです。小さい頃からたくさん作ってくれて」

銀に対しても興味津々の乙女は、自分が聞くより素直にしゃべってるようで憎たらしい。このままここにいていいものか。さっきの威嚇を思うと、あの姉さんが来る前に逃げるべきじゃなかろうか。ない知恵を絞ったがそっちの機転は鉄の守備範囲ではない。いつのまにか話し込んでいたら、テーブルにもう一人の影が落ちた。

「待たせてごめんなさい」

現れた初音は別人のようだった。ひっつめにしていた髪がふわっと肩にほどけてなるほど綿菓子っぽい。もっとも鉄に対する土佐犬みたいな眼は相変わらずだ。くわばらくわばら。

助けを請う気分で兄を見た鉄は、初音に向ける銀の視線が似たようなものであることに驚いた。どうしたんだ銀の奴。そういえば自分たちのことばかり気にしてたけど、銀はこの人といつどこで知り合ったっていうんだろう。もてないわけじゃない兄は何度かつきあったのも知っているが、これといって執着した相手はいなかったはずだ。それなのに。


自分を客観視することなど滅多にない鉄だが、今さらこれってどうなんだろうと考えた。つきあっている兄と姉の、妹と弟がふたりずつ。テレビドラマでありそうな設定は現実だと余計に奇妙奇天烈きてれつ　。やっぱり逃げときゃよかったか。あとの祭りだ。


初音と銀。自分と乙女。
一体どんな話が始まるのか、鉄には予想もつかなかった。