「かんっぱあーーいっ！」

カチンカチンカチンと割れんばかりにグラスが合わさる。合コンも中盤になると最初のぎこちなさはどこへやら、互いの名前もとりあえず把握して酒も入ったら自ずとテンションは上り坂だ。

いい感じなんだけどな。誰よりも大きな声でグラスを鳴らしているくせに、ひとり下り坂の鉄は気分が重かった。


今日のメンツで鉄が知っているのは幹事だけ。誘ってきたのがそいつだ。尾田有次おだゆうじ　。音だけなら人気俳優と同じ名前の男は高校時代のクラスメートでいわゆる悪友。鉄と同じく高卒で働き始めたが、雑誌社の編集アシスタントを三年やったあとカメラマンの助手に変わった。だからといってカメラマンをめざしてるわけでもないらしい。

高校の頃から軽くおちゃらけて人を和ませるのがうまかった。鉄にとってはたとえば秀哉みたいに親友とは呼べないが、忙しさの中でもつかず離れずつきあいが切れない友人のひとりだ。もっとも鉄は知り合った大半の人に「友人」と呼ばれる。曰く、インパクトはあるが話してみると人好きするのでつきあいやすいとか。

仕事ではまるで繋がりのない尾田が頻繁に誘いをかけてくるのも鉄が女の子に受けがよくて、場を盛り上げてくれる性格だからだろう。それはそれで不満もない。女の子もお酒もにぎやかなのも大好きだ。今夜もそんな中の一度に過ぎないはずだったが。


「えー、じゃあ鉄くんて大工さん？」
「意外ー。まだ学生かと思った」
「マジ？　これでも２５なんだけど」
「嘘。年上だー」

いつもは楽しい女の子のはしゃぎ声が、妙に今夜は癇に障る。全員年下らしいからしょうがないよなと気づく。いつもの自分はもっと年上とのセッティングが好みだ。葵みたいな？　余計なことを考えまいとしゃべり続ける。


「俺ってなんかガキにみられるんだよね。バリバリの肉体派のせいかも」
「肉体派」
「みてみて。結構カンドーもんよ」

ぐいと二の腕を曲げて力こぶを作るのは、合コンで鉄の定番芸だ。年上相手なら可愛いなんて言われるのに、年下相手だとはしゃがれてしまう。

「きゃーすごいー」
「かっこいいー」

まぁいいか。自分的に計った今日の立ち位置はパフォーマーでイベンター、尾田の期待通り盛り上がればＯＫ、相手を物色する気力もない。投げやりな自分がらしくなかった。

やっぱりあれだな。あの、秀哉の指摘をくらってからだ。賑やかさの中でも鉄の耳にはっきりよみがえる声。

『葵ちゃんがおまえの理想の頂点ってこと』

参った。ほんとに参った。隠れていた真実を秘孔のごとく突かれてそれから調子が狂いっぱなし。つきあっていたＯＬにふられたのもそのせい……しまった。思い出しちまったと舌打ちする。


数日前のことだった。久しぶりに会ってご飯を食べてホテルに行った。言葉にすると身も蓋もなく聞こえるが、仕事が忙しいのはお互い様。慌ただしい逢瀬といってもそれなりにムードも色気もあって楽しかったはずだ。今までは。

食品会社の開発部門に所属する彼女は紗枝さえ　といった。細身のわりにエネルギッシュで全身から漲みなぎ　るパワーも、好き嫌いがはっきりしているのに人の心に敏感なところも好きだった。

敏感すぎたんだろう。
あんな風に。


『鉄くん、逢うのやめようか』
抱き合った余韻に浸っていたら、シャワーを浴びて出てきたバスタオル姿の彼女に、開口一番そう言われてびっくり。眠気もふっとんだ。

『うそ。なんで』
『上の空で抱かれても楽しくないし』
『うわのそら、って』
『今夜、逢ってから今が初めてでしょ。まともに私の言葉聞いたの』

問いただされてぐっと詰まった。言われてみるとそのとおりで、それはずいぶんなことだとわかっていたから。

その間も紗枝はてきぱきと身支度を整えていった。ブラをつけ肩紐を引っ張るとブラウスを羽織る。右前ではめていく小さなボタンは男と逆だ。襟と背中にはさまれた長い髪をかき上げる。ひとつひとつの動作の男にはないクセをいつもは脱がせながら楽しんでいたのに。

今夜は意識してなかったとはっきり自覚して、苦さと恥ずかしさでうなだれた。ベッドの上で下半身に毛布をまとわせ、所在なく胡座をかいている男なんて情けないことこの上ない。手持ちぶさたのこんな時は、親父に殴られようと銀に蹴られようと煙草を吸いたいと真剣に考える。

前に立った人影を見あげた。紗枝が笑んでいる。スーツで身を固めた出来るキャリアウーマンの姿で。


『やあね。叱られた犬よまるで』
『ごめん』
『好きな娘、できた？』

そんなこと聞かれるとは思わなかったので茫然とする。脳裏をぐるぐると巡る秀哉の言葉。違う。でも。どう言やいいんだ。


『私とは時間の埋め合わせしてるだけでしょ。もしそんな兆しがあるなら、鉄くんはそっちを追いかけるべきよ』
『そんなんじゃねえよ』

『鉄くんて女性関係に限り、楽な方へ流れようとするよね』
『そうか？』
『甘えるだけじゃ何も勝ち取れないのは仕事と同じよ。頑張りなさい』

そう言って笑った紗枝のまなじりから突然、雫がぽろりと落ちた。身を翻してバッグをつかみドアへ急ぐ彼女に、鉄は為すすべもない。

『紗枝』
『楽しかったわ。バイバイ』


振り返らずに掲げた手が格好よかったから、余計に胸が痛んだ。傷ついたのは自分じゃなくて彼女の方だったのか。別れは何度も経てきたが、相手を傷つけないつきあいのつもりだった。必ずしもそうじゃなかったと初めて気づいて、自分がひどく傲慢に見えた。


下り坂はプライベートだけじゃない。

大工の現場は毎日が真剣勝負だ。ちょっとしたことが事故や怪我につながるし、ミスすれば施工内容や日程に影響することもある。日高組でも一番下っ端の鉄が、仲間に勝る者と言えば元気と体力と真剣さしかないから、現場に入ったら他のことは考えないと決めて忠実にそれを守っていた。切り替えは出来ると自負もしていた。なのに。

この数日は気を抜くとすぐ、もやもやした不安とも不満ともつかぬ感情に襲われていて、とうとう昼間ポカをやった。こともあろうに屋根の上から金づちを落としてしまったのだ。

「バッカヤロー！」

鋼の怒声と眼下を真っ逆さまに落ちていく金づちを見た瞬間、頭が真っ白になった。幸い、資材にも仲間にもぶつからずにすんだが、何もなければよしという話ではない。日没とともに仕事を終えるや、鋼が鉄の頭にげんこつを下ろしたのも当たり前のことだった。

「ここんとこ動きも気持ちもふらふらだ。何やってる。根性据える気がねえなら、現場に入るな！」

鋼に言われなくても自分で自分を罵っていた。鉄が大工を志したのは父の鋼に憧れたからだが、大工になったのはこの仕事が好きで自分にとっての天職だと信じているからだ。その仕事中に何やってんだか。自分が悪いだけの身の置き所がなかった。


こんな気持ちで合コンに来てしまったのは、悶々と考え続けるのが鉄は何より苦手で、動いていた方が気が紛れるからだが、やっぱりうまくいかない。

賑やかな場、笑い声と女の子たち、酒とつまみ。どれもこれも元気の源のはずが、気持ちは少しも上向かず。それどころか沈んでいく。なのに周囲は誰一人として気づかない。いっそ笑える。やけだ。

「すいませんー、生ジョッキもうひとつ」
料理の皿を持ってきたウェイターに飲み物の追加を叫んだ時、細長いテーブルの向こう端で声が上がった。


「来た来た」
「遅い」
「ごめーん。撮影長引いちゃった。参ったよ」

鉄の嫌いなキラキラした甲高さがない、竹のような鋭さしなやかさを感じさせる声。思わず鉄は目を遣った。背の高い、といっても百九十近い鉄に比べればゆうに二十センチは低いだろうが、見た途端に浮かんだ八頭身という言葉。自分のボキャブラリーに含まれていたのが発見だ。

小さい頭、さらりと流れる黒髪、スレンダーだが出るべきところは出てるし、ひっこむべきところは細すぎるかも。いかにも男の目つきで上から下まで値踏みしてからようやく、本人の怒りを含んだ視線とぶつかった。勝ち気そうだ。導火線が短すぎるダイナマイトってところかな差し詰め。

「乙女ちゃん」

幹事の尾田がにやけながらかけた声に、一転して作った笑みがいかにも営業っぽくて似合わなかった。乙女ってのが名前らしい。今わかるのはそれだけ。

ちらちらとこっちに向ける視線は相変わらず怒っている。自分だって相変わらず落ち込んでいる。なのになぜか、彼女が気になってしようがない鉄だった。