月が凍っている。
見えるか見えないほど細い鎌の形が、まるで自分の心のようだ。
藤尾はコートの胸元を握りしめた。


もう耐えられない気がする。
幾度も現実に刺し貫かれて。
負けたくない。けれどもう、つらい。

クリスマスなんて永遠に来なければいい。
空の月のように、消えてしまいたい。


もう大人だ。
社会人になって結婚もして。
叶うわない望みだって、知っているのに。


自分の意志だけれど。
諦められなくて始めた不妊治療は、たやすくなかった。

朝、体がだるくて起きあがれなくなる。
気持ちはアップダウンの激しいジェットコースターみたいに、不安定。
それでも結果が出るとは限らない。
うまくいかない。

体も心も新月だ。
やせ細って鋭く脆く。
それでもやめないの？　やめられないの？
それでも？


答えは出ない。
いっそこのまま、消えてしまえたら。


「藤尾」

はっと見たら彼がいた。

暖かそうな毛糸の帽子は灰色。
えんじ色のマフラーを巻いた、雀。

深緑色のダッフルコートは、一昨年のクリスマスに藤尾が贈ったもの。
大事に着てくれる。
彼を見るたび、藤尾の胸はきゅっと締め付けられる。


話すときも料理するときも、決して急がずあわてない、彼。
のんびり、というのでもなく、落ち着いて確実にことを進める。

そこに惹かれたのかもしれない。
藤尾はいつも不安を抱えていたから。
不確かなものには手を出せない性格だったから。

保証がないのに踏み出したのは恋だけ。
雀だけだった。


「月へ帰っちゃだめだよ」
「なに？」
突然の言葉にきょとんとしたら、雀が笑った。

「遠くを見上げてるからさ。僕を置いて行くのかと思った」

マフラーをはずして藤尾の首に巻く。
分けてくれる彼の温もり。

「体を冷やしちゃだめなんだろ？」

その言葉に涙が滲んだ。
身を寄せ、彼のダッフルコートに顔を押しつける。

「今度も、だめ、だった」
「……そう。残念だったね」
凍てついた心を、温もりと言葉が少しだけゆるませる。


雀は不妊治療に必ずしも賛成ではない。
けれど藤尾の意志を尊重して、一緒に検査も受けてくれた。

はっきり原因が特定されぬままに、タイミング法を試している二人。
無理や不快を強いられたりもするが、雀は協力的だ。
失敗しても、落ち込むことなく慰める。

その冷静さに藤尾はいらだち、怒りをぶつけることもあった。
理不尽だとわかっていながら。

けれど彼はここにいる。うまくいってもいかなくても。
あの誓いのとおりに。


『健やかなる時も病めるときも』


藤尾が欲したもの。
保証のない恋におののきながら、それでも。


「帰ってあったまらなきゃ」
「雀」
「うん？」
いつもと変わらぬ彼に、藤尾は告げる。

「望んだのは、あなただけよ」


雀の目が大きく見開いて、それから優しく和んだ。

「知ってるよ」


凍てついた月の夜。
心は溶けて涙に代わり、藤尾をゆるゆると解き放していった。





　　　　　　　　　　　　　＜　ice　moon　night　／　end　＞