鉄はドラッグストアが苦手だ。

買い物自体、あまり好きじゃないうえに、ドラッグストアは小さいものがごちゃごちゃしすぎて、入るのすらためらう。

シャンプーひとつとっても、こんなに種類はいらないだろう。とりあえず清潔ならいい鉄は、これまでシャンプーの種類など気にしたことがない。葵が買ってくるもの、もしくは兄の銀が選んだものを粛々と使ってきたという男だ。

ましてや化粧品に至ってはわけがわからない。口紅と頬紅の違いなど考えたことがないし、マニキュアとネイルとペディキュアはどうなのか知りたくもない。男が踏み込んではいけない領域だ。

百九十センチで大きな図体した自分とは、どう考えても相入れないものばかりの場所だと再認識せざるをえない。

そんな自分がここにいるのは、彼女がいるから。
恋は危険で、愛は偉大だ。

クリスマスソングが流れるドラッグストアの真ん中で、どこからひねりだしたのかわからない哲学的な悟りを、鉄は開こうとしていた。なのに乙女ときたら、さらに難問を投げかけてくる。

「鉄ちゃん、どっちがいいと思う？」

自慢じゃないが、学生時代にテストで満点をとった覚えはない。成績がよかったのは体育と工作と給食だけで、あとは全滅に近かったんだぞ、そう言ったところで柳に風だ。

「テストの話なんかしてないじゃん。リップクリームよ」

鉄の目の前に、ピンク色したグミのようなリップクリームが突き出される。リップクリームは口紅と違うのか？

「こっちがピーチの香り。　で、こっちが蜂蜜味だって」

二つの違いも全く不明だ。色で言うならもう一本もピンク色。最初のとは確かに違うピンクだが、ピンクはピンクでしかないし、緑色とか黒とか紫でなければ問題はない気がする。

「ピーチって桃か？　桃の香りねえ。食べるんならともかく。蜂蜜？　甘いとしかわかんねえよ」

乙女が無言で答えを要求するので、なんとか意見をひねり出してみるものの、言葉に困る。

「俺の意見より、おまえが好きなのにすりゃいいじゃん」
「リップクリームよ？　鉄ちゃんが好きなほうがよくない？」
「なんでさ」

すると周囲を確かめた乙女は、ちょっと身を寄せてささやいた。
「味見するのは鉄ちゃんなんだし」

鉄の頭が突然、妄想に占拠された。

サンタ帽子をかぶっっているのは流れるジングルベルのせいだろう。赤いモコモコの上着にミニスカート、ブーツまではいた乙女が、突きだしてくるつやつやの唇。その味は。

男ならごく普通の妄想といえ、押さえがきかなくなりそうだ。これからラブホに寄っていこうと思っていたら、なおさらだって。
「こっちだ。俺が買う」
乙女の手から片方をもぎとって、鉄はさっさとレジへ歩きだした。

「ちょ、鉄ちゃん？」
「覚悟しろよ。たっぷり味見してやるからな」

財布を取り出しながら、手のひらをにらむ。こんな小さなものに頭を吹っ飛ばされるとは。ミサイルみたいなリップクリームも、そんな類いが山ほどあるドラッグストアも恐るべし。

一番危険なのは、隣で面白がっている乙女だけれど。


蜂蜜味のリップクリームは、鉄の困った婚約者のように、素知らぬ顔で無垢を装っていた。





　　　　　　　　　　　＜　honey　taste　lip　cream　／　end　＞