朝っぱらから食卓がひしめいてる。

オムレツにスクランブルエッグに目玉焼き。ベーコン・ソーセージ。サラダが２種。フルーツがてんこ盛り。クロワッサンにベーグルにトーストに。この人たちはダイエットという言葉を知らないに違いないと葵は思う。確かに必要なさそう。実にナイスバディばかりだ。


楕円形のテーブルの上座に彼らの親玉は鎮座して、眼があった葵ににっこり微笑んだ。微動だにしない母親を疑問に思う者はここにはいないらしい。


キッチンで奮闘する他の４人はお互いの動きを熟知しているのか決してぶつからず、そのくせ誰もが忙しく動く。黒一点で混ざっている光も浮くことなく邪魔でもない。有名バレエ団の群舞を見ているようだ。ごちそうだらけの美形揃いで気分だけならおなかいっぱい？


「葵。嫌いなもんとかある？　うちは朝、パン食なんやけど」

いましがたコンロの前にいた男が、いつのまにか横にいる。


「葵は和食党やろ」
「どうしてわかるの」
「そらなぁ」
「何でもいいんじゃない？　据え膳なんだし贅沢よ」

左から八頭身美人の皮肉めいた声がする。まだ名前がいまいち。


「あら。主張はしなくちゃ」

ほうき頭美人がドレッシングをふりふり口を挟む。確か藤尾さんとか。


「和食もいいわよね。うん」

フワフワ美人が夢見るように言うと八頭身美人はすがめになった。


「初音が考えてるのはどうせ緑茶に合うスイーツとかでしょ」
「あたり。乙女わかってるじゃない」
「職業病」
「求肥ぎゅうひ　を使って何か作ってよ、今度」

ゆっくりだが名前が認識されていく。ほうき頭美人・藤尾のリクエストに、フワフワ美人・初音は別の夢を見始めている。八頭身美人・乙女は目玉焼きを口一杯ほうばって。


「葵も食べ」

促されてフォークをとった葵はいつのまにか呼び捨てを受け入れている自分に気づいた。今更よね。二日酔いもどこへやら、すっかり腹ぺこだ。とにかく食べよう。３種類はあるドレッシングに迷うなんてほんとに贅沢、と思いながら葵は朝食に専念した。





「コーヒー、紅茶、ハーブティー、ジュース、水。何がよい？」
「日本茶を」

言ってしまってからまずいと思う。


「ご、めんなさい。紅茶で」

あれだけ並べられたのに、わざわざないものをリクエストする自分はどう考えても厚かましい。好みを口にしただけだが相手にわかるはずもないし。

葵の懸念をよそに、実は光の母だという女性は口をすぼめ、葵に向かってチッチッと指を振った。


「妥協するものじゃないわ。主張は大事よ」
「は、ぁ」

さっきも誰かに言われたセリフだ。


「でもごめんなさい。日本茶は守備範囲じゃないの。紅茶にさせてもらうわ」

流しで洗い物をしている光が突っ込んできた。


「小町さん。はじめっから紅茶出しといたらええやん」
「お客様なんだから礼儀でしょ。あんたもさっさとすませるなら入れてあげるわよ」
「ダージリンスペシャル？」
「ほんと贅沢。手抜いたら承知しないから」
「へいへい」


息子に皿洗いを任せて真剣に紅茶を入れる母親。なかなかだ。姉妹はさっさと消えてしまい、手伝おうとした葵だったが。

「今朝は俺の当番やから」

家によってルールがあるのは当たり前かしら。そういえばさっき確か。


「小町、さん？」
「ああそう。私の名前。素敵でしょ？」

にっこり言われると頷くしかできない。


「うちは昔から子どもに名前呼ばせてたんや。ちっさい頃はよう聞かれたんやで。光くんはお姉さんは仰山おるのにお母さんはおらんの、て」
「呼ばせてたんじゃなくて、融とおる　さんが呼ぶからみんなが覚えちゃったのよ」
「おかーさん言うても返事せんかったくせに」

光の文句を小町という名の母は聞き流している。


「融とおる　さんて」
「私のダーリン」

笑みに艶がましてどっきりする。


「小町さん。おとんがあの世で真っ赤になっとるわ」
「あ、あの世？」

葵は頭がくらくらしてくる。情報量が多すぎてついていけない。だが相手はお構いなしだ。


「俺が中学んときに早死にしてな。乙女のブラコンはほんまはファザコンやわ多分」
「あんた融さんに生き写しになってきたものね」

小町の目が光を通して遠くを見ている。


「遺伝子って凄いわねぇ」
「全然嬉しないわ小町さん。進歩してへん」
「してるわよ。似てるのは顔だけって分かってるもの」
「ほんまかいな」」
「いいから洗い物はどうしたの」

仕方なく流しへ戻った光を紅茶をカップへ注ぎながら、小町が少し声を潜めた。



「ね。ほんとはどうなの？」
「は？」
「光と。どの辺まで」
「どの辺って」ここは世田谷のはずだが。


「いつから？」
「・・・昨日が初対面ですけど」
「きゃー、一目惚れ？」
「はいぃ？」

「小町さん。ちゃうて言うたやろ」

熱い紅茶を飲もうとした葵がむせる。洗い物を終えた光は母親の後ろで腕を組んで疲れた声だ。


「だって。逢った日の夜にベッドインでしょ」
「ちがいますっ」
「服着とったやん」
「じゃあれほんとに」
「何もしてません！眠っちゃっただけで」
「正確に言うと未遂やな」

ギロッとにらんだが隣に座った光は涼しい顔だ。


「そうなの。残念」
「はぁ？」
「光の趣味も少しは変わったかと思ったのに」
「・・・年上やで」
「え」
「うそ」

同時に起こる疑いの声。葵が光に聞いた。


「あなたいくつなの」
「２９やけど」

ふたつも下とは思わなかった。黙った葵に小町が聞く。


「あなたは？」
「・・・３１です」
「藤尾より上？　見えないわねぇ」
「おかん」
「その呼び方やめて」
「…あたしの年がなにか」

「あぁごめんなさい。気にしないで。お茶もう一杯いかが？」
「俺にも欲しなぁ」
「あ忘れてたわ」
「いけずや」

小町がまた嫌そうな顔をする。どう歪めても美人は美人だ。


「その言葉。東京生まれの東京育ちのくせしてそこまで染まらなくてもいいのに」
「そういうても１０年やで。人生の三分の一があっちになってもうたし」
「・・・またそれをいう」

上目遣いに睨む小町の目が潤んだようにみえたが、すぐ横を向いて紅茶のポットをもう一つ取り出した。光の声が優しい。


「小町さん。せやから戻ったし。もう行かんから」

黙ってポットに茶葉をひとさじ、ふたさじ。


「ほんとね？　約束ね？　破ったら・・・ご飯作っちゃうわよ」
「それだけは堪忍してほんま」

顔をしかめた光を見て小町が笑った。意味はよくわからないまでも、確かにそこにある家族の絆。


羨望に、苛立ちを隠さねばならない葵だった。