ガンガン！
ガンガンガン！

耳障りな音が響く。
気持ちのいい眠りの中で葵は眉間に皺を寄せた。全身が何かに包まれぬくぬくと暖かい。こんな安らかさは滅多にないと思うのに。


ガンガンガンガン！
鳴りやむどころか音はさらに大きくなる。


「開けるわよー」
バタンと扉が開くのがわかった。直後。
「ひかり？」


驚いた声が、まだ眠くてたまらない葵のまぶたをようよう押し上げた。
そこにいたのは見事な八頭身スタイルの女の子。
二十歳前後だろうか？


ヘアバンドで上げた髪は背中へと無造作に追いやられている。長Ｔシャツの袖をめくり、膝下でカットしたジーンズにサンダル。首にタオル。手にはモップ。掃除姿がスタイリッシュに見えるのはスレンダーな体つきのおかげか。

射抜くような眼。みつめあうというよりにらみつけられている。
この視線は・・・嫉妬？


「光！　その人誰なの」


半分泣きそうな声音に目が覚めた葵は状況にうろたえた。なにしろ自分は彼女が呼ぶ男の腕に抱き込まれたまま、彼のベッドに二人で横たわっているわけで。


この娘、　彼女？　ひょっとして修羅場？


「・・・んやもう朝っぱらから・・・乙女かぁ？　休みの日ぃくらい勘弁てゆうとるやん」

寝ぼけた声は相手を確認しているのにあわてもせず、葵を抱えた腕をほどきもしない。緊迫感がなさすぎる。


「ちょ、ちょっとねぇ」
「ひ・か・りやて。ええかげん名前呼んで欲しなぁ葵は」
「なんであたしが」
「光！　女を連れ込むのはルール違反でしょ！」
「そやったっけ？」


「乙女ー、なに大きな声出してるの？」


また一人現れた。
ふわっとした髪はバンダナで首の後ろに結ばれている。白いレースのエプロンが嫌になるくらい似合う。七分袖のシャツ。すとんとした巻きスカート。理由もないのに美羽を思い出したのは葵を見て浮かべた笑顔のせい。


「初音ぇ。パンが・・・おっと」

まだいた。頭の上に上げた髪がほうきみたいだ。たぶん葵と似た年頃。グレーのカットソーと黒いスウェットをベージュのカフェエプロンがまとめている。その手にナイフ？


「あんたたち、食事だって何遍・・・あら」

真打ち登場。舞台ならスポットライトだ。
それくらいゴージャスな美女だった。うねる髪もはっきりした目鼻立ちも。
セーターとパンツのスタイルも。

ゴージャス。


……ハーレムだわ。
葵の脳裏にはその単語しか浮かばなかった。


一体何人彼女を囲ってるわけ？　何処の御曹司よ。年も雰囲気もよりどりみどりで美人ばかり。どこか似てるのはそういうタイプがスキってことかしら。これだけいるともう感心するしかない。

ゴージャスな美人が目を細める。余裕たっぷり面白がってる雰囲気。


「光。帰るなり連れ込みってのはどうなの」
「連れ込みってあの」

葵の抗議は誰も聞いていない。


「やーあれもこれも久々やから。まずかったやろか？」
「まずいに決まってるでしょ！」

八頭身美人が振り上げたモップを押さえながら、ほうき頭美人が睨んでくる。


「うちにはまだ青少年がいるんだから。考えなさいよ」
「青少年？　今年成人式やん。乙女だって彼氏おるやろ？」
「光ったらわかってないわね」

ゴージャス美人が肩を竦める。


「光だからじゃない。乙女はブラコンなの、ね？」

フワフワ美人がにっこり笑顔でぐさっと言い放った途端、八頭身美人は真っ赤になって悲鳴を上げた。


「初音のバカーっ」


振り上げたモップは今度こそ投げつけられた。飛び出していった彼女が階段を駆け下りる音が大きく響きわたる。

目の前でキャッチされたモップに瞬き一つ。あ然とした葵だったが、聞き流せない単語が頭にひっかかった。

ブラコン？


「うそ。妹？」

信じられませんという顔つきと口調でモップ越しに見上げられ、相手の方が驚いている。


「せやけど。何ておもうとったん」
「彼女」
「はあ？」

短い断言に素っ頓狂な返事。


「仰山おるけど？」
「全員。ハーレムかなって」
「ハーレ・・ええ？」

「はーれむっ？」
「あたしも？」
「ひゃーはっはっは」


絶句した光。覆い被せるように三人分の爆笑でしばし部屋中が包まれる。倒れんばかりに笑い転げる美女三人。その意味が分からず途方に暮れた葵のとなりでは、光がこれも深くため息を吐いた。


「さいっこうね、光」
「そんな甲斐性あったら凄いわ」
「ねえじゃあこの人、彼女じゃないわけ？」
「俺はその気満々なんやけど夕べはふられて。口説くんはこれからや」
「へぇ。有望かも」

ほうき頭美人が面白そうに言うとフワフワ美人も頷いた。


「ほんと。一晩一緒で落ちなかったなんて。有望だわ」
「・・・はい？」

誉められてるのか皮肉られてるのか判断がつかない。眉根を寄せた葵に構わず自己紹介される。


「光の姉よ。藤尾」
「妹の初音です。　さっきのは末っ子で乙女」
「あ、はい。日高　葵です」

タイプは違ってもどこか似てると思ったのは間違ってなかったようだけど。姉と妹。え、じゃこっちの？　ゴージャス美人はすでに半身をドアに隠していた。


「ともかく朝食よ。　光、あとで乙女の機嫌とりなさいね。あの娘、すねると面倒なんだから。着替えて下りてらっしゃい。あなたもね」

眼で促されて葵があわてる。

「いえもうお暇を」
「食べて行・き・な・さ・い」
「・・・・はい」


負けたと思った。話題は朝食なのにこの迫力。光が苦笑している。

「わかったて。初対面で脅さんといてや、おかん」
「・・・その呼び方やめて」


心底嫌そうな顔で去った彼女を、残りの二人があわてて追いかけた。ポカンとしていた葵はまた振り返る。
確かめずにはいられない。まさかまさか。


「おかん・・・って」
「ん？　おふくろ。母親や」
「・・・・・・・・・嘘ーーーっ！」


二日酔いも吹っ飛ばしてくれた朝の出来事だった。