「信じられる？　社長の目の前でよ？　私じゃなくて社長に聞くのよ？　何なのあの男、人を馬鹿にするにもほどがあるわ！」
「あ、葵？　落ち着いて」
「だってね、美羽」


人気のアジアンカフェ・ダイニングは６時半でもう人が一杯。予約で正解だ。高い天井を熱帯のイメージで布と緑が覆う。木漏れ日を模して灯りが落ちてくる。テーブルにはそれぞれヤシに似せたスタンドライトが寄り添い手元を淡く照らす。その色はオレンジやブルー、パープル。不思議さも醸し出している。


葵の鬱憤晴らしの相手をさせられているのは、親友である白兎美羽しらとみう　だ。同じ会社の総務部所属。一見地味な容姿だが、恋愛開運ウサギ神社の巫女と呼ばれ多くの社員の恋愛相談を受けること数えきれず。

美羽自身が最近、社内一、二の人気を争う男性の彼女になったことで一段とその名はあがったのだが本人にそんな自覚はない。のほほんとした雰囲気は自前だ。


「あたしの身になってよ。朝からずっと源氏だ光の君だってわけのわからない人のこと聞かれ続けて。遅刻しかけたところへ現れた本人にからかわれたのよ？」
「まぁ、そう、ねぇ」

美羽は異議を挟めない。


「大体何者だっていうのあの男。入社以来ずっと大阪なのになんで本社まで大騒ぎするの」
「ああ、なんでもね。彼は社長が就任時に大阪へ送り込んだ隠し球なんだって」
「かくしだま？　なにそれ」

ようやく葵の口が止まった。


「ほら、今の社長が大抜擢された頃。当時は本社も各支社もまだバブルの後遺症を引きずってて活気もなくて。社長は見事にそれを一掃したわけだけど」

美羽がグラスで口を湿す。

「関西の要である大阪は東京に劣らず大きくて改革も大変で、何より営業の刷新が重要課題だったらしいのね。そこへ経営陣と一緒に、営業を担う実働部隊の先鋒として赴任したのが源さんなんだって」

常の美羽には縁のない話題だろうに実に細かな説明で、葵が目をぱちくりさせるが美羽は気づかずさらに語る。


「入社試験で源さんを直々面接したのは社長だって。いろいろユニークな経歴で社長と意気投合して。彼なら使えるって見込んだらしいわ。実際、赴任してから繰り出した営業改革のアイデアって数え切れないくらい。あっという間に成績トップはもちろん周囲もすごく鼓舞されて。支社の雰囲気自体が変わったそうよ。トップをゆずったことないってのもすごいよね」


今朝の二人を思い浮かべた葵はツーカーの仲を納得する。あの若さでそれだけ有能で。

「おまけにあの容姿とくれば」
「社内はもちろん取引先まで『光の君』って大人気だそうよ。確かに美形だしねぇ」
「・・・美羽」

つい興が乗ってしゃべりまくった美羽だが葵の声に我に返った。
なんだか。


「あんた、詳しすぎない？」
「へ？　あ、えっと」
「いつもは噂とかてんで興味ないくせに、なんで大阪の事そんなに知ってるの」
「だ、だからそれくらい有名で」
「あたしは知らなかったわ」
「そ、そうだ。丈さんがこないだ大阪に行ってきたから、それで」

「美形」
「は」
「美形、だ、し、ね、え？」

復唱されてようやく美羽は失言に気づく。


「今日聞いた話だと彼ってこの３日間客先の挨拶回りばかりで。社内は配属先の営業部に初日１時間居ただけだって。社長室のあとはまた外回りって言ってたわ。つまり総務部に顔出すヒマなんてなかったはずよね」
「えっと、えっと」
「・・・白状しなさい。どこで会ったの、あの男に！」


「はいはーい、ここやでえー」


真後ろからの返事に葵はギョッと振り向いた。そこには男性二人。
苦笑を堪えるのは美羽の彼氏である亀沢　丈　かめざわ　じょう　。　開発部のホープで女性社員の憧れの的だ。彼はいい。予定内。だが。

その隣でニコニコしているのは当分会いたくないと願っていた源・本人ではないか。開いた口が塞がらないとはこのことだ。


一方の光はというと、自分をみつめて驚くと同時に思い切り眉間に縦皺を寄せた彼女がなかなか新鮮。これを解きほぐして笑わせるのは挑戦のしがいがありそうや、なんて葵が知ったら罵倒されるに違いないことを考えワクワクしていたのだった。





「どういうことなの？」


とりあえず４人でテーブルを囲み、適当に飲み物とつまみを注文する。その全てを黙ってみていた葵がようやく一言。地を這うような声だが光は意に介さず。

「秘書さん、声もセクシーやん」
「亀沢さん？　あたしは美羽と３人でって聞いたけど」

向かいの男は黙殺したまま斜め前の丈に詰め寄る。隣の美羽はすっかり縮こまり、申し訳なさそうな顔で葵を見ては丈に助けを求めている。
俺にどうしろっていうんだ。　そうか、こいつの首を絞めりゃいいだけか。真横の光をチラッと見て丈はため息。


「高校の後輩なんだよ」
「高校？」

意外な返事に葵がとまどう。

「正確に言うと中高の。入社時のオリエンテーションで再会するまでかなりブランクあったけどな。大阪行ってからはさっき美羽が言ったとおり八面六臂の活躍で。俺たち開発部としちゃ感謝すること山の如し」
「おー、カメさんにそない言われたん初めてやん。感激やわ」

状況を読まないはしゃいだ声に葵はもちろん丈も脱力する。


「・・・暮れに出張した時には辞令が出てて、一緒に戻ってきたんだよ。美羽と待ち合わせてたのがばれてついてきたあげくにデートまで邪魔しくさって」
「よういうわ。当てられっぱなしだったやん俺。でもそんとき美羽ちゃんに、イテッ」

パシッと丈に頭をはたかれ光が呻く。

「・・・ええやん名前くらい。秘書さんかて呼んどるで？」
「それはそれだ。男に呼ばせる寛容さはない」

赤くなった美羽と赤くなりもしない丈。葵と光が額に手をやる。


「と、にかく。そんときウサコちゃんに、美人の秘書さん紹介してもらう約束とりつけたんや」
「・・・こっちの意向を確かめもしないで」

葵が睨むので美羽がしょげる。

「そんな怖い顔せんと。華燭の典でふたりして司会せなあかんかもしれんし」
「はい？」
「カメさんとウサコちゃんの披露宴。なぁ？」

何を言われたかわからぬままに、丈と美羽を見比べた葵の顔がなんだか強ばった。


「嘘。結婚？　決めたの？　いつ」
「その、暮れに逢った時にプロポーズされて」

美羽が恥ずかしさで語尾を消え入らせると丈が続ける。冷静を装いつつ籠もる嬉しさ。

「年明けに親に挨拶に行って、婚約の了解はとった。」
「・・・なんであたしだけ聞いてないの？」

美羽はハッとした。忙しくて紛れてしまっただけだけど、葵にすれば。
その顔つきにひどく焦った。


「ごめん！　お正月は挨拶に行ったり来たりであわただしくて、おまけに父さんが」
「実は思い切りへそ曲げられてるんだよな。俺の家じゃ逆におふくろがうれし泣きで。正月中どっちも大騒ぎ」
「せや。俺はたまたまカメさんに用あったから連絡入れたついでに聞かされてやな」

全員で葵をひたすら宥める展開。光にすれば何故と疑問は浮かぶが、貼り付けた仮面のような笑みで美羽をみつめる彼女の背中に怒りの炎が見えるのだから。

目の前の火事は消すしかあらへんし。迫力やわ。


「ねえ葵、ごめんって」

美羽が泣きそうになったところで葵は目を伏せた。歪めた口元は今、笑ってるようにも泣いているようにも見える。

「しょうがないわね。この辺で勘弁してあげる」
「葵？」
「人の都合も聞かない人たちをちょっと懲らしめただけよ」
「ひ、ひどい。あたしもう怒っちゃったと思って」
「怒ってるわよ。昨日今日逢った人が知っててどうしてあたしが知らないの」

怒ってる、というより？　光は葵を見つめる。


「だからごめん」
「日高。俺もあやまるから」

見かねた丈のセリフに、カラリと葵は笑った。

「わかったって。ほら、飲み物頼み直して乾杯しましょ。すみませーん」


美羽と丈が安堵する向かいで、ウェイターに注文する葵の横顔を光はやっぱり注視した。彼女の、隠してる感情はなんだろう。

視線を感じているだろうに葵は何も言わず、その後はただにぎやかに祝いの酒盛りとなった。





始めるのも早かったとはいえ、９時半なんて宵の口もいいところ。
お開きには早すぎる。

光の主張は丈にあっさり蹴飛ばされた。


「俺たちは明日、また美羽の実家へ行かなきゃならん。二日酔いでなんて行けるもんか。即破談だ」

あながち冗談でもなさそうなのが怖い。申し訳なさそうに美羽があやまる。


「ごめんなさい。父がまだ拗ねてて、丈さんにすぐあたるの。子どもみたいで困っちゃう」
「掌中の珠をもってかれるんだからしょうがないわよ。それに」

葵が丈を見ながらサラリと言う。


「亀沢さんは絶対邪魔される方が燃えるタイプだし。せいぜいお父さんに頑張ってもらいなさい。大事にされるわよ、きっと」
「あのな。俺が大事にしてないみたいじゃないか」
「反論はそこかいな、カメさん。秘書さんやっぱ鋭いわ」

葵と丈のふたりに睨まれながらも、光はいつのまにかタクシーを捕まえていた。


「ほなお二人さん」
「いいんですか？」
「明日ふたりで出かけるんやったら今夜別々に帰るわけないやん。せやろ？」
「もちろん」

丈にあっさり肯定されて真っ赤になる美羽。今夜何度目だろうと葵は思う。彼女が幸せなのは嬉しいし望んでいたことなのに、取り残されたみたいなこの気持ち。

今は考えまい。


「さっさと乗って消えたら」
「せやせや。ええ加減のろけも聞き飽いたし」
「葵は？」
「ウサコちゃん心配せんと。秘書サンは俺が送るし。な？」

にっこり言われてムッとした葵だがここで反駁するとまた話が長引く。聞き流しても害はない。
納得したのか丈と美羽はようやく車中の人となった。


「おい源、大丈夫だろうな？」
「なんやカメさん。仕事の話はまた来週」

丈の意図を百も承知で、まるっきりあさっての答えを返すと光はタクシーのドアを閉めた。

「おめっとうさんー」


テールランプの群れにタクシーが紛れていく。
見送った葵の真上から聞こえるのんきな声。この人背が高いんだ。何気なく振り仰いだそこで葵は固まった。やたら優しい瞳で見下ろされていたから。


「ほないこか」
「行くって、あたしタクシーを」
「あかん」
「あかん？」

なんだそれは。きょとんと葵は見返す。


「とりあえずメインイベントはすんだけど、俺的にはこっからがメインやし」
「何が」
「秘書さんとの親睦」

ニカッと笑う顔は単純に楽しげで、こっちにすれば憎たらしい。


「勝手に決めないで。それと秘書さんって呼び方、変」
「可愛いやん」
「どこが」

ヒステリック気味に響く自分の声。酔ってるかも。自制しようとした矢先。


「ほな、葵の上？」


手が出た自分に驚いた。まさか。もっと驚いたのは受け止められたこと。

「・・・っぶな」
「あなた」

お互い眼を丸くする。腹に打ち込んだ葵の拳は食い込む手前、光の手のひらで柔らかく阻止されていた。行き来する人が気づかぬほどの至近距離の攻防。


「刺激的やん」
「ご、ごめんなさい。つい」
「つい？」

眉を寄せて聞かれてしまうと答えないわけにはいかない。


「その呼び方キライなの」
「そんだけ？　素人やったら確実にくろうとるで」

今更あせる。その通りだ。何を考えていたのやら。


「ほんとにごめんなさい。受け止めてくれてよかった　・・・でもあなたよく」
「ペナルティやわ。次の店つきおうてくれるやろ、葵？」

訝しがる葵の手首をつかんだ光はそのまま歩き出してしまった。


「ちょっと。呼び捨て？」
「この際や」
「あのね、名字が」
「仕事ではケジメたるし」
「プライベートなんて二度とないから」

ずるずる引きずる相手に抵抗するが、ヒールでは踏ん張りもきかない。


「俺のことは、光でえーよー」
「聞きなさいよこの、自己中男！」
「異議は却下。店は選ばしたるよって。俺って太っ腹やなぁ」


ああもう。どうかしてる。
金曜の夜はにぎやかとはいえ、大声でわめきながら引っ張られていくなんて目立ちすぎ。恥ずかしいやら腹が立つやら。やっぱり天誅下してやればよかった。



胸の中で沸き返る怒りは悪酔いの前兆だったに違いない。
あとから思えばだけれども。