ハムレットだってこんなに悩まなかった。
考えすぎて頭が痛い。それでもショーコは訴えた。
「そりゃ問題ねぇええ」
エヴァの声は決して同意ではなく、呆れ果てている。
しかしショーコはひるまなかった。
「でしょでしょ? 大問題。どうしたらいい?」
「何が問題なのよ」
ちょうどいいタイミングでヒデミも現れたので、ショーコはもう一度繰り返した。
「だからケーキ! クリスマスのケーキよ! 生クリームのとチョコレートと、どっちがいいと思う?」
ヒデミが目をぱちくりさせてからエヴァを見た。エヴァが肩をすくめてうなずいた。椅子に座ったヒデミががっくりカウンターに突っ伏す。
「人をわざわざメールで呼び出した理由が、それ?」
「だってクリスマスケーキよ?」
わかってもらえない苛立ちでショーコは繰り返す。
「んなものぉ、美味しければどっちでもいいでしょぉお」
「どっちも美味しいの。だって『ビジュ』のだもん」
「うわ、贅沢」
「なんですってぇええーっ?」
ヒデミが驚き、エヴァが目をむいた。無理もない。フランス語で「宝石」という名前の『ビジュ』は材料も味もデコレーションも一級品で、誰もが絶賛する高級菓子店だ。
「『ビジュ』のケーキ? よくまあ予約がとれたわね」
「キングのつてで、っっぐえっ」
カウンター越しにエヴァが容赦なくショーコの首を絞める。魔女のように長い爪。今夜はスワロフスキーでキラキラだ。殺されそう。
「エヴァ、ブレークブレークってば。今殺したらクリスマスは留置場よ」
ありがたくない仲裁だが、エヴァには効き目があった。息の根を止められそうだったショーコが、はあはあと息を継ぐ。エヴァはいまだに殺気に満ちて呪いをかけられそうだ。
「なんで教えないのよぉ、『ビジュ』のケーキだなんてぇええ、両方持って来なさいぃ! あたしが食ってやるわぁああ!」
「待って、待ってって。キングに言われたのは夕べなの。それで、二人の分も頼んであげるって」
「なぁんですってぇえええ!」
「マジ? きゃあ嬉しいーーーっ!」
今度こそ殺される。思わずカウンターからソファへ逃げたショーコを後目に、エヴァとヒデミはがっちり抱き合って高々と腕を上げ、まるで試合に勝ったサッカー選手みたいだ。
「それを先に言いなさいってばぁああ」
「あぁ『ビジュ』のクリスマスケーキ! 憧れてたのよ! 『ビジュ』のケーキを頼むなら、真夜中でもいいから颯を呼び出さなきゃ。どれだけ忙しくてもなんとかするわ!」
「リングケーキなんてもう、その名の通り宝石よ宝石。クリスマスプレゼントだわ、キング最高!」
歓声と悲鳴をひとしきり連ねたあと、抱き合ったままでぐるりと二人がショーコの方を向いた。
二卵性の双子みたい。トィートルダムとトィートルディーとか。あれって一卵性? でも卵が二つよね?
とりとめのないことを考えていたショーコに、活を入れるのはいつだってエヴァだ。
「カタログはぁあ? あるんでしょうねぇえ」
「そうだ、はいっ」
あわててバッグからカタログを取り出した。付箋をつけたページをぱっとカウンターに広げる。
「こっちが生クリームメインで、こっちがチョコレートメインなの。ねえどっちがいいと思う?」
「うわ、美味しそう」
「あぁんどれも涎が出そうじゃないのぉお」
「でしょでしょ? だから困ってるんだってー」
ほんとにどれも美味しそうなのだ。
パールリングはつやつやした真珠を思わせる半円形で、真珠のような白い玉が王冠のように飾られている。
ホワイトスノウリングは雪のように白い。デコレーションも白くて見た目もまさしく雪、ふわふわだ。
バブルエッグは何をどうやっているのかわからないが、白い表面が泡風呂のように波立っていて、上から金色の粉がふりかかっている。
チョコレートだって負けてはいない。
ピジョンブラッドとはキングによると元々、血のように赤いルビーを指すらしいが、このケーキは魔女のような赤を思わせる色のチョコレートで全体がコーティングされていて、その上にルビー色が点々と散りばめられていた。
デビルズリングは濃厚なチョコレート細工で飾られた繊細なリングケーキだし、カカオプリンセスはお姫様が着るドレスのようなふわりとした形を側面のダイヤ模様が囲み、中央にティアラがのっていて可愛らしい。
ほかにもいろいろ。
「あたしならぁ、ピジョンブラッドぉお、でもデビルズリングだってぇえ、けどパールリングもぉお」
「バブルエッグ! うーんカカオプリンセスも素敵! けどけどホワイトスノウだって」
「ほら迷うでしょ」
「全部頼めばいいじゃないぃいい」
ぶんぶん、とショーコは首を振った。
「キングが一つだけって。何しろ人気の店だから、ツテとはいえそれが限界って」
「あらぁあ」
「そりゃそうよね。頼めるだけでも奇跡よ」
「ちょっとぉおヒデぇえ、こっちのシュトレーゼ見てぇええ」
「きゃーっ、プチフールもあるの? いっそこっちに」
「ねえってば!」
ショーコが叫ぶと二人が冷たく振り返った。
「どっちも美味しいんだから、ショーコの好きな方にすれば?」
「そーよぉ。あんたはどっちかっつぅとぉ、生クリームのほうが好きじゃなかったっけぇえ?」
味の好みまですっかり見通されてる。間違ってない。
「だったらパールリングでいいじゃん」
「でもでもでも」
「だからなによぉお」
「でもね、キングはチョコの方が好きなんだもん」
まさかこの一言で、二人がこんなに驚くとは思わなかった。
「キングってチョコの方が好きなの?」
「ほんとにぃいいい?」
「え? え? 違うの?」
聞き返されて逆にびびってしまった。
あれ、あたし、間違ってる?
「キングってぇ、どっちが好きってあるわけぇえ?」
「美味しければなんでもあり、っていうか、どっちがどうって言わない人かと思ってた」
噛み合わない会話を投げあって後、三人は見つめあった。一応(いちおう?)ショーコは恋人だけれど、キングとのつきあいはエヴァやヒデミの方が遙かに長い。こんな時にまだ自分が正しいと、言い切れなくて困る。
「別にその、チョコがいいって本人が言ったわけじゃないけど」
「けどぉお?」
「あたしが観察してるとね、チョコの美味しいのを食べる時の方が表情がこう、豊かっていうか」
「ゆたか」
「ご機嫌っていうか」
「ご機嫌」
「そんな気が」
「ふうん」
「ふぅうううんんん」
ヒデミとエヴァの声音が、目配せしあう顔が、含みありすぎて怖い。
「なに? 何なの? あたし間違ってる? だったら言ってよ教えてってば。ねえ二人とも!」
すると双子みたいににっこり笑った二人が、ショーコを左右からはさみうちする。エヴァがショーコの左耳を、ヒデミが右耳をひっぱって思い切り息を吸った。まずいと思っても後の祭り。左右の耳から大声が同時に、ショーコの頭のてっぺんまでつんざいた。
「バカ!」
「おバカぁああ!!」
きーーーーん、と耳鳴りがした。気が遠くなりそうなくらいの轟音。倒れ込んだのがカウンターで良かった。
「……んで……ええ?」
「バカだからよぉお」
「ほんとにもう」
二人はそれですっとしたのか、あっけらかんと笑っている。
エヴァが言った。
「あのねぇえ、キングは好き嫌いなんて言ったことないわぁあ。主役の振りして周りをたてて、さりげなく後ろで見てるのがキングなのぉお」
ああ、そうかもしれないとまだジンジン鳴る頭の隅で思う。ヒデミも言う。
「誰かと同居したのもショーコが初めて。だから、キングの好みなんてショーコしか知らないのよ。ショーコがそう感じるなら、それはキングがショーコにだけ見せてるの」
「……そう、なの?」
エヴァに聞くとふん、とそっぽを向かれた。メンソールに火をつけてふかしてから、しぶしぶ同意する。
「そうでしょぉ。でもキングは意識してないかもねぇえ。だから、あんたが好きに選べばいいのよぉお」
「好きに?」
「このクソ忙しい時期に、わざわざキングがツテをたどって高級菓子店でクリスマスケーキを頼んでくれるなんて、それ自体あんたを喜ばせたいがためじゃないのぉおお。あぁ胸クソ悪いぃいい」
ショーコはただ、ぽかんとした。
「そもそもクリスマスケーキを頼むってことは、クリスマスに、一緒に過ごしてくれるっていう約束みたいなものだしね」
ヒデミが優しく説いてくれると、目から鱗が落ちる気がする。
「だからあ、あんたが選んだケーキが、キングにとっての正解なのよお。あんたが好きな生クリームだろうとぉお、あんたがキングの好みだと思うチョコレートだろうとぉおお、どっちでも大正解ぃいい。なんなのけったくそ悪いわ、マジでぇえええ」
「どうどう、エヴァ落ち着いて」
「決めたわぁあ、このいっちばん高いやつにするぅうう!」
「あぁそれね? クリスマススペシャル。よし、あたしもそれにしようっと」
「絶対美味しいに決まってるわぁああ、アダムに内緒で食べちゃおうかしらぁああ」
「ええー? あたしは颯と食べるわよ絶対」
「ヒデのいけずぅうう」
「いけずはエヴァでしょ」
途切れない掛け合いを聞きながら、ショーコはひどく幸せな気持ちになった。
ケーキの予約を約束してくれたキング。
ぐだぐだな文句や悩みを、なんだかんだ言っても聞いてくれるヒデミ。
罵って叱り飛ばしながらでも、見過ごしがちな真実を伝えてくれるエヴァ。
ああもう、みんな素敵なんだから。
素敵な人に囲まれている。
あたしって幸せだな。幸せ者だな。
高まる気持ちのままに、ふたりに抱きつく。
「ふたりとも、大好きーーっ」
「きゃあぁあ」
「あぁもうやめなさいってばぁ、このおバカぁあ!」
生クリームかチョコレートか。
ハムレットにも負けないつもりだったショーコの悩み。
その選択は、クリスマスのお楽しみとなった。
< Whipped cream, chocolate, and it is a problem. / end >
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