６．　偶然　


約一ヶ月半ぶりのマンションはいつもと変わりなく見えた。しんとした玄関。キングの足音を聞き分け、とんでくるジン。とはいえ久しぶりだからこそわかる、かつてとの違いもあった。

入って右手にはある鏡はキングが置いたものだが、いつのまにかその脇に小さな一輪挿し、花が添えられるようになった。今日は白いカラーだ。女性のドレスの袖を思わせる優雅な形。

花は毎日世話する人がいて生きるものだ。水を換え水揚げし、愛でる人がいてこそ。自分以外の存在を今さら意識した。抱き上げると甘えてくるジンも毛並みもつやつやして丸っこい。

「太ったんじゃないか、ジン」

にゃっとジンの声が鋭く尖った。こいつも女だったな。時々ほんとうに言葉がわかっているような気がする。

玄関からまっすぐつきあたり、ショーコの部屋へ向かった。ノックしたが返事はない。念のためドアを開けると暗い室内。ベッドにもどこにも姿はない。やっぱりまだ帰ってないか。どこにいったやら。

ため息を抑えてリビングの照明をつけたキングは、初めて見るものに驚かされた。

「……七夕飾り」

どこから持って来たのか、キングの背よりも高い笹竹が植木鉢ごとソファの横に置かれている。金銀、赤青黄色に紫白と短冊やら飾りでいっぱいに彩られている。

腕から飛び降りたジンは笹竹には目もくれずにソファに飛び乗った。もう見飽きたとでもいいたげだ。

「よくまあこれだけ飾ったな」

呆れながら近づいたキングは、短冊に記されている言葉に気づいた。願い事か。七夕に何を願ったのだろうと興味津々。ところが。

『早くキングが帰って来ますように』
『事故とかありませんように』
『病気しませんように』
『ちゃんと七夕に間に合いますように』

どれもこれも自分のことではない、でかけたキングのことばかり。それも帰りを待ちわびるものばかりだった。それどころか。

『あと２週間　　早く帰りますように』
『あと１０日　　まだかなぁ』
『あと１週間　　帰って来るよね』
『ちっとも連絡がこない　　あと５日だよー』
『メール読んでるのかな　　やだ３日前　　はやくー』
『キングキングキング　　ねえ、明日だってば』

読むのを止められなくなった。
最後の一枚はたぶん、今朝。

『今夜、会えますように』


襲ってきたのは罪悪感だ。こんなに待っていたなんて思わなかった。知っていたら。いや、知ってたじゃないかと自問し、それから振り出しに戻る。

Lemon、ブーケ。
それからどこへ。


答えるように携帯が鳴った。着信に予感が走った。

『キング。どこにいらっしゃいます？』
「ケイか。ショーコだな？」
間髪入れぬ問いに驚いたような間。

『え、え。こちらに』
「すぐ行く」

ウサギを追うアリスさながら。
キングはMan　Hall　へと家から飛び出した。





街を斜めに横断していく。その真ん中にいわゆるメインストリートがある。夜が更けると逆に人が増えるのが夜の街だ。

「キング？」

酔って群れる人を縫いながら先を急いでいたら、呼び止める声があった。振り向くと思いがけぬ顔がふたつ。


「右生？　彩芽もか。珍しいな」
「そりゃこっちの台詞」
「キング。しばらくですね。海外だったんじゃ？」
「ああ」
このふたり相手では逃げるわけにもいかない。

「こんな時間までデートか」
先を急ぐ気持ちを抑え、いぶかしげな右生の機先を制してからかう。
「久しぶりに」
「七夕ですもん。一緒にいるのが大事なんです」

彩芽の言葉にショーコが浮かんだ。
逃げなきゃいいが。
ケイ、頼むぞ。

「キング？」
「どうかしたのか？」
「いや」
雨が止んでいることに今さら気づいて空を見上げる。

「星も出会えそうだな」
「会えますよね？　右生ったら他人事なんだから」
「会えるか会えないかで人生変わるなんて言われたら参るだろ」

このふたりらしい会話だった。人を探している身としてはシビアな、だが真実を突いている。

「そこがいいんだろ」
「もちろん」
「右生！」

変わらぬふたりの様子が余計にキングの気を逸はや　らせた。
急ごう。

「じゃあまたな」
「ああ」
「また仕事で」

向き直って先を見る。
ふたりのことはすでに、キングの脳裏から消えていた。





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