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日頃広いとも思わぬ繁華街が、人を探すときはやけに広く感じる。あんなでかいガタイがどうして見つからないのだろう。
決して慌てた様子を見せずに、だが内心走り出したいのを堪え、エヴァは通りをあちこちしていた。どこか店に入っているかもしれないが、なんとなくそうじゃない気がする。あたしに探させるなんて生意気、とむかっ腹がたってしょうがない。
裏通りの角にコンビニが見えた。その前に座り込んでいる姿。見覚えのある顔がやたら明るく照らし出されている。飛んで火にいる。そろりと近づくエヴァ。
「なーにやってんのよぉ」
「えっ、んっ、ばぁ？」
カレーパンにかぶりついていたショーコは、今まさに飲み込もうとしていた塊を危うく喉につまらせかけ、なんとかそれを飲み下した。
「っはああー、死ぬかと思った」
「ばぁかぁー。人間そう簡単に死ねないわよぉ」
「あたしだってカレーパン詰まらせて死にたくないよ」
ふてぶてしく口を尖らせた顔、その頭をパシッとエヴァがはたく。
「もうバイトはとっくに終わってる時間でしょぉ。夜遊びぃ？ キングに言いつけてやろうかしらぁ」
キングの名前を出した途端ショーコの顔色が変わった。後ろめたさとか不満とか落ち込みとかがどっとよぎる。正直な娘だと思う。夜の街ではこんな馬鹿正直じゃ生きていけない。
「何かやったのぉ？ 怒らせたんでしょぉ。ざまぁみなさいぃ」
「怒らせてないもん。……やっちゃったのはやっちゃったんだけど、さ」
容赦ないエヴァの指摘にもショーコは普通に返答する。初めて会った頃のびびった態度はどこへ行ったのか。ここらじゃちょっと名の知られたエヴァにいつの間にかタメ口だ。
呆れながらもそれを許しているのは、実はこの娘を気に入っているから、などと口が裂けても本人に言うつもりはない。
「でも。怒られた方が良かったかも」
うつむいたショーコにエヴァは少し思案した。アダムの居場所にあてはない上、心配するスタッフに追い出された身では店に戻ることもできない。ここで時間をつぶしてもいいだろう。
店に出るそのままの格好でショーコの隣、コンビニ前の地べたに座り込んだエヴァに、ショーコの方が驚いている。
「ひまだから聞いたげるぅ。何やっちゃったのよぉ」
いつもと違うエヴァの態度をショーコも感じ取ったようだ。ためらいながら口を開く。
「洗い物してたら……キングのね、コーヒーカップを割っちゃったの」
「なによそんなことぉ」
「そんなことって」
「はいはいぃ。怒られなかったってことは謝ったんでしょぉ？」
「そりゃ謝るよ。あたりまえじゃん。もう真っ青になって飛んでったもん」
こういうところが憎めないと思う。隠そうとかごまかそうとか考えつかないあたり、誰かに似てる。
「そしたら、キングはもういいからって」
「それの何が問題なのよぉ」
「問題じゃん！ すごく気に入ってたんだよあれ。カップはたくさんあるのに、使ってる頻度が全然違ったもん。上品で高そうで。だから、弁償しなきゃって思うじゃん」
「弁償ぉ？」
エヴァにも話が見えてきた。ショーコは勢い込んで続ける。
「裏見たら結構有名なブランドらしいから。同じやつ買ってくるって言ったの。なのに」
「なのにぃ？」
「いらないって」
膨らんだ風船が穴を開けられたみたいに、ショーコの勢いがしゅうっと萎しぼ む。
「そりゃあたしはお金持ちじゃないけど、シザーズでもらったお金も手つけてないし、家賃とか信じらんないくらい安くしてもらってるんだし、買わせてって何度も言ったのに。要らない、必要ないの一点張りで」
「ふぅむぅ」
「とうとう口げんかみたくなって、頭にきて」
「飛び出してきちゃったぁ」
「……あたり」
いわゆる体育座り、両膝にがっくり顔を埋め落ち込んでいるショーコにエヴァは苦笑した。まだまだねぇと思う反面、この年じゃ当たり前、精一杯かと思う。ショーコの人生はエヴァに言わせれば始まったばかり、まだ翼も短いひよっこだ。つまり。
「未熟者ぉ」
パッと顔を上げこっちを向いたショーコの、心外といわんばかりの表情がまた可笑しい。
「キングのことわかってなさすぎぃ。っていうかぁ、相手に対する慮おもんぱか りが足りなすぎぃ」
「慮おもんぱか り？」
難しい言葉にショーコは難しい顔をする。
「見えてるくせに考えてないでしょぉ。どうしてキングがそのカップを気に入ったかぁ」
「へ」
「あのねぇ、キングが選ぶのはいいもの上等なものばかりなのぉ。見回したらそういうものがゴロゴロしてるはずぅ」
「う、ん」
「あんたの言うとおりなら、中でもそのカップを気に入ってた理由ってのがあるんじゃないのぉ？」
ショーコは勘の悪い顔になる。わかりそうでわからない。
「たとえば誰かにもらったとかぁ、何かの記念とかぁ。くれた人の気持ちや状況がそれを特別にするのよぉ。あんただって経験あるでしょぉ」
「あ」
「そうだとしたらぁ、たとえ同じブランド同じデザイン同じ値段のものだとしてもぉ、新しく買ったものが代わりになると思うぅ？」
事を分けたエヴァの説明にようやく、ショーコは自分の不明を悟ったようだ。目が泳いで前歯が下唇をかみしめる。
「だからキングはいいって言ったんじゃないのぉ？ あんたの気持ちはわかるけどぉ、弁償されても意味はないからってぇ」
落ち込みはさっきの比ではなかった。言われるまで気づかなかったのが余計悔しいに違いない。こういうことは性格もあるし何より経験から学ぶことだ。若いショーコをキングが諫めなかったのは当然だとエヴァも思う。でも、それが却かえ って辛いこともある。
「ならあたし、どうしたら」
問いというより独り言。途方に暮れての呟きにエヴァはしっかり答えてやる。
「気持ちにはぁ気持ちで返しなさいってぇ」
「……気持ち？」
半泣きの顔が助けを乞うてエヴァをみつめる。誰に似てるかわかった。忠犬だ。
「別にブランド品でもそうでなくてもいいからぁ。一生懸命探しなさいよぉ、あんたがキングに似合うと思うカップ。あんたがこれならって思うカップをぉ」
「あたし、が」
「そお。割れたカップに込められた何かぁ、もしかしたらそれは他人じゃなくてぇキング自身のこだわりだったかもしれないけどぉ、それに負けないぐらいの気持ちがあればぁ、あんたの言う『弁償』ができるかもよぉ」
エヴァの顔にじーっと見入るショーコの表情に少しずつ理解が浮かんでくる。ほんとに似てるとエヴァは思った。出会った頃のアダムもこんなだった。人付き合いとか商売の機微がわからなくて、それこそ手取り足取り教えて遣ったのはエヴァだ。
ふと考える。アダムとこんな風に事を分けて話したのはいつだろう。ここしばらくなかった気がする。ショーコがふーっとため息を吐いた。
「大人って複雑」
「馬鹿ぁ。そこを察するのがいい女でしょぉ？ それじゃキングの恋人なんか無理ぃ」
「無理じゃないもん。わかったから」
「ほんとかしらぁ」
「ほんとだってば。でもね。複雑が絶対いいわけでもないんだよ」
生意気な意見にエヴァが眉をあげると、ショーコは怯まず主張する。
「遠回しとか様子見とかそんなのばかりやってたら、ほんとの気持ち見えなくならない？」
年で言うと自分の半分近く、色気も強かさもない子どもの問いに何故かエヴァは答えられなかった。どんな顔をしたのやら。ショーコがぱっと立ち上がる。
「ちょっと待ってて」
コンビニのドアにぶつかるように飛び込んでいく。喉でも渇いたのだろうか。あたしも何か買おうかしら。もやもやと考えていたエヴァの目の前に突如現れるソフトクリーム。差し出すショーコの手にも同じものがある。
「お礼。マンゴー味、ヒットだよ。美味しいんだから」
「あらぁ、嬉しぃ」
コンビニのソフトクリームなんて何年ぶりだろう。いやいや、「ブーケ」のエヴァにソフトクリームをおごるなんて、ショーコしか考えまい。そういえば昔、アダムがフローズンヨーグルトを買ってくれたことがあった。ふたりでデートも最近ご無沙汰だ。だからもめちゃったのかしら。
ショーコとならんでソフトクリームをなめながら、エヴァは過去と現在と未来が錯綜する脳内迷路に迷い込みそうになっていた。
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