暮れ時の繁華街は人が増えていくばかりだというのに。

通りを無表情で突き進むアダムの周囲は、バリアでも張っているかのように空間ができていた。１８０の上背とがっちりした図体の彼には元々近寄りがたい雰囲気があったが、押し殺した怒りがさらにバリアを強化している。

そうアダムは怒っていた。惚れた相手がいて想いは通じ合っていても、その相手が別の男を追いかける。怒らない訳がないじゃないか。


一方、沸騰する頭の片隅でわかってもいたのだ。一回りも年上のエヴァは、自分と出会うまで経てきた過去がある。つき合った相手もひとりやふたりじゃあるまい。その間も変わらず特別で有り続けた男が他でもない、キングだ。

今や彼への情熱はエヴァの生きる糧とも言っていい。表現は変だが、韓流スターに熱を上げる熟年のご婦人達と同じ。わかっているからいつものアダムは、腹が立ってもそれを隠してゆったり構えていた。必ず自分のところへ戻ってくる。彼女は自分のものだと。

だが生憎、キングはスターよりもずっと始末が悪い相手だ。すぐそばにいる上、現実にも自分より数段上のレベルときている。

そう、こんな風に。


「アダムじゃないか。珍しいな。開店時間だろうに」

げ、と声がもれそうになった。間違いなく本人だ。サングラスと口ヒゲは彼のトレードマーク。繁華街でこんな格好しているのに決してやくざに見えない、それどころかどこから見てもとびきり上等の男。

今夜だけは会いたくなかった。アダムはギロッと見返したが相手はまるで気にしない。


「ちょうどいい。ショーコを見かけなかったか？　さっきから探してるんだが」

アダムの眉間のしわがさらに増える。こんなことじゃ老けそうだ。キングに対抗できるのはせいぜい若さぐらいだというのに。


「全くあいつはすぐへそを曲げるから」
「……なんでショーコなんです」

地を這うような声にもキングは動じる気配がない。


「何？」
「エヴァはずっとずーっとあんたに惚れてる。追いかけてる。あんただって百も承知なのになんで、ショーコなんですか。言っちゃ悪いが若いだけが取り柄でしょ、今はまだ」

まだ、と付け加えたのは一応本人とキングに遠慮したつもりだが、口にするとまるで自分のことのようでさらに滅入ってきた。聞いていたキングは面白そうな、アダムにすれば向かっ腹の立つ表情へと変わる。


「俺がエヴァに惚れちゃそっちが困るだろう」
「それは別問題だ。惚れるなら絶対ショーコより」
「俺は異性愛者なんだが」
「あんたがひとこと言えばエヴァはとっくにタマとって胸つけてるさ」

くっくっとキングが笑い出したのでアダムの苛立ちは沸騰しはじめた。


「あんたのそういうところが俺は嫌いだ」
「悪かった。馬鹿にしてるわけじゃない」

笑うのをやめたキングは表情を改める。


「俺たちが長いつきあいなのは知ってるか」
「……少しなら聞いてる」

長いつきあい。一体この男は幾つなんだろう。アダムは何度も不思議に思ったものだ。エヴァと同じ世代と聞けばそうも見えるがもっと若くも見える。逆にさらに年上でも通用する。

彼には底なし沼みたいに簡単にはのぞけない部分があって、何百年も生きてきた賢者のような印象すら与えるのだ。


「俺とエヴァ、それからヒデ。俺たちは同士で、戦友みたいなものだ」
「戦友……」
「たまたま同じ街で似たような商売をしながら上を目指した。いろんなことをくぐり抜けてきた。いつも一緒だったわけじゃないが、互いが見えるところにいた。あいつも生きてる、負けるものか、そんな風に。時に張り合い時に助け合い、。時に袂たもと　を分かち、また出会って」

懐かしそうにキングが遠くを見る。アダムの知らない昔のあれこれが思い出されるのか。


「そういう相手とは色恋になりにくい。いやしたくない。戦友には代わりが居ない。勿体ないと思わないか」

本心だとわかった。アダム自身はそういう関係の異性はもちろん同性もいないからわからないが、想像はできた。勿体ないという意味も。キングはエヴァを、エヴァもヒデも決して恋愛対象としては見ないだろう。

ほっとすればいいのにそんな気分ではなかった。それどころかがっくりしている。考えてみればキングの気持ちなどエヴァはお見通しなのだ。長いつきあいなのだから。それでも彼女は追いかけ続けている。キングがアダムにどう心情を吐露しようと、彼女の行動とは無関係だ。変わるわけがない。ああ腹が立つ。


「やっぱりあんたは気に食わない」
「そりゃ残念だ。俺は君が嫌いじゃないが」
「嫌いとは言ってねえよ。勝てない相手を否応なくライバルに据えられちゃ、気に入るのが無理ってことだ」

「なるほど」
「それにショーコは」
「誰が誰に惚れるかなんてのは、永遠の謎さ。部外者がとやかく言うことじゃない」

遮った声音は穏やかだが、まなざしが厳しくなるのをアダムは感じる。


「君とエヴァだって首を傾げる奴は結構いるだろうに」

参った。それを言われれば確かに返す言葉はない。


「……悪かった」

アダムは素直に頭をさげた。


「あやまることはない。だがエヴァには優しくしてくれよ」

驚いて顔をあげるとキングは微笑んでいる。


「君も気に入った。エヴァに優しくするよう言っておこうか」
「勘弁してくれ。あんたに言われるのだけはごめんだ」

迷惑そうに返しながらアダムはさっきの台詞を思い出した。


「で、なんでショーコはへそを曲げたんだ？」

キングの答えはやっぱり笑みだけ。

永遠の謎。
モナリザみたいな男だとアダムは思った。





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