昔から容姿に自信はなかった。

大人と呼ばれる年齢になってみれば年端のいかない小さな子どもはそれだけで十分可愛らしいと思うのだが、その頃だってショーコの周りにそんなことを言ってくれる大人は一人も居なかった。

生活と自分のことで手いっぱいだった母は娘を着飾ることに興味を持たなかったのか、七五三など記憶にもない。小学校の入学式は新しくはあったが特別でもない普通の服で、それでもうれしくてしょうがなかったのだろう、満面の笑みが集合写真に残っている。


大多数の中の一人として周囲に沈んでいた自分が小学校三年四年あたりから変わった。理由はわからないのに妙に浮き上がるようになった。知らない男に声をかけられたり高校生や大学生につきまとわれ腕をつかまれたり、そんなことが重なれば引っ込み思案の性格はさらに強まるし、警戒心も強くなる。みっともないから目立つから嫌がらせされているとしか思えず、自分のことが大嫌いだった。

高校に入ってから母の思いつきで化粧を覚えると事態は一変する。生まれ変わったようなとはああいう気持ちを指すんだろう。きれいになったわけではない、外見が周囲と似通って異分子でなくなっただけだが、悪目立ちが減ると自信がつき自己評価も跳ね上がった。

それも長くは続かなかった。その後の事件で自己評価も自信もガラガラ崩れ落ち、最低ラインを這いずり続けた。

キングに逢うまで。



彼に出逢って変わったのは外見じゃないと思う。相変わらず化粧はしないし服だってたいして増えてない。毎朝、鏡の中から見返す自分は以前と同じ。

流行の最先端を知るモデルエージェンシーや、ヘアメイクスタイリストと日々接しているのを考えると不毛だが、ブルフェスの時は別にして不思議なくらい彼らはショーコを変えようとしなかった。キングはもちろん、エヴァもヒデミもだ。

「変わるときは自然に変わるもんよぉ」
「そーそー。内側からね」
「肌のお手入れは怠けちゃだめだけどぉおお」
「そのとーり」
「いざとなったらぁ整形もあるしぃいい」
思わずのけぞったショーコをエヴァは笑い、ヒデミがつまりねと諭した。

「自分のスタイルを見つけなさいってこと。アドバイスならいつでもしてあげるから」

力強い味方は鬼に金棒、じゃなくて鬼と金棒か。どっちがどっちかは言わぬが花だ。言ったらどんな目に遭わされるやら。



ふっと漏れた笑いがすぐ吸い込んだ息にとぎれた。のどを舐める舌のざらつきとあごをこするヒゲの感触で我に返る。
「余裕だな」
「ちっ、がうもっ」
「今のうちだ」

彼の息が肌を濡らすと身体の芯がじゅっと湿り、貫いている彼自身を濡らしてショーコの股まで滴る。バスタブに落としたタオルさながら。恥ずかしさで身を捩じらせるショーコをお構いなしで揺らす、彼。

「やっ、んっ」
「ここ弱かったな」
「なんっ、でっ」

身体を重ねたのは一度だけなのに。どうしてショーコ自身も知らない快感のポイントがわかるんだろう。キングならもっときれいなもっとスタイルのいい女性を何人も知ってるだろうに、どうしてほぼ半年前一度きりの逢瀬を覚えているんだろう。

途切れた問いかけまで見透かされたのか低く、異議。

「見くびったな。おまえと逢ってからはおまえだけだ」

そんなこと言われるなんて思ってもみなかった。快感に溺れそうになりながら必死で彼を見る。金と黒の眼は楽しげだけれど真面目な色だ。

「信じられないか」
上がりかけた息で思わずうなずくと苦笑が返る。
「言ったろう」
唇がうなじを這い耳殻を噛むようにしてささやかれた。

愛してるって


身体の芯から炎が燃えあがり指先まで飛び火していくのがわかった。ひと言でそんな風にできる。まるで魔法だ。

キングと呼ばれる意味がまたひとつわかった気がする。相手をほかの誰とも違うたったひとり、彼にふさわしいプリンセスやクイーンにしてくれる。だから彼はキングなんだ。

つきりと胸を不安が刺す。こんなに大きな人をすてきな人を、誰もが憧れ求める人を、自分だけのものにできるんだろうか。つなぎ止めておけるんだろうか。そんなの無理だと不可能だとささやく声がする。やめといたほうがいいと忠告も聞こえる。理性はそっちに賛同したがる。

「こら」

こつっと額に額がぶつけられた。数センチの距離でみる金色の万華鏡に眼が眩みそうだ。映っている卑小な自分が嫌で眼を背けたくて、でも背けられない。

「ルールを教えなきゃいけないか」
「……なに、ルール、って？」

突然、状況に似合わない単語を聞いてショーコがひるむ。とんでもない方向へ思考が走る。キングって危ない趣味とかないよね？　おしおきとか鞭とか。
「え、えすえむなんかやだよっ」

ひょいと眉があがったと思ったらキングが吹き出した。ショーコを抱きしめたまま耳の真横に顔を伏せてクックッと笑い続ける。

「ちょっ、やっ、わらわなっ、いでぇっ」
繋がった身体、キングの起こす波動で全身が火に炙られるよう。

「興味があるなら考えてもいいが」
「やっ、だって言っ、てるっじゃっ」
「それより」

ショーコの顔を両手ではさんで眼を合わせる彼。とっくに赤くなっている頬がまた燃え上がる。恥ずかしくて眼を泳がせるショーコにさらに迫る。

「返事は」
「へ、んじ？」
「言葉には言葉。身体には」
ぐるりと腰をグラインドされて、自分があげていると思えない淫らな声が響く。

「身体。それから」
「まだあっ、るの、おっ？」
「これが肝心」
「な、にが、ぁっ」

容赦なくショーコの快感を押し上げる、その生々しさとはかけ離れた言葉を漏らしながら、そっと口づけてくる彼。

「心に、こころを」

かすむ視界に金がきらめき黒がゆらめく。言葉がするっと出た。

「っ、いし、てるっ　あぁっ」


彼の首っ玉にかじりついた。満足げな笑い声も耳に入らないショーコは嵐の海に投げ出されたようなもの。しがみつくことしかできない。

大波小波に翻弄されて昇っては落ちてまた昇らされる。初めてでもなければさほど好きとも思ってなかった行為が、彼となら別物だった。全てを求めて与える、sexの意味が頭じゃなくて体と心に焼き付けられる。


最後は一緒に沈んでいった。
彼に抱きしめられて水底でたゆたう、夢も見ない安らかな眠りだった。





ガリガリガリと耳障りな音がした。ガリガリガリ。一緒に泣き声がする。にゃあにゃあにゃあと、ああ、ジンが怒ってるなぁ……ジン？

伸びた綿のような脳味噌をよっこいしょと持ち上げる前に、気持ちよく体を包んでいた温もりが離れた。否応なく眼があく。室内着代わりのハーフパンツをはこうとしている背中が見える。

暇があるとジムに通っているのは知っているけど、それだけでこんな風に鍛えられるんだろうか。贅肉のない背中ときゅっと締まったお尻に見とれていたら、遠ざかっていくので声をかける。
「ジン？」

振り向いた彼が片頬で笑う、その顔にドキッとする。

「ご飯くらいやらないと、後が怖いだろう」
「うーん、何時？」
「１０時」
ぎょっとしてショーコが跳ね起きる。

「うそっ、仕事」
「土曜だぞ」
「え？　あ、ああそっか、そうだった」
一気に早まった鼓動は鎮静化するのにしばらくかかる。その間にキングはリビングへとドアをすり抜けた。

ジンを入れないようにしてくれて助かった。素っ裸で彼女の攻撃は受けたくないし、休みとわかればまだ起きたくもない。やっと手に入れた贅沢な時間をもう少し引き延ばしても罰はあたらない、はず？

彼の温もりを求めて毛布にくるまってみる。穏やか過ぎて逆に不安がもたげるが、戻ってきたキングが一緒に潜り込んでくるから。
「冷たいっ」
「あったかいの間違いだろう」
「えー」

騒いでも少し冷えた肌でも包まれるのが嬉しい。抱き枕よろしく背中から抱き込まれて寝転がる。彼のてのひらが胸を包みこむ。熱に浮かされていればともかく、朝の日差しの中では気恥ずかしさも手伝ってコンプレックスを口走る。
「胸、ちっちゃいよね」

くすっと笑う息がショーコのうなじを震わせる。
「大事なのは大きさじゃなくて、誰のか、だろう」
「でもでもやっぱり」
「いいこと教えてやろう」
「何？」

横抱きにされていた体が突然、うつ伏せに押さえ込まれて驚く。舌が裸の背筋を這い下りていく。低くささやく声。

「ショーコは背中が感じやすい」
「えっ、あ？　や、ああっ」
くんと背中が反る。胸の尖りをざらっとした指先で摘まれて悲鳴になる。

「肩胛骨は翼の痕だって聞いたことあるか？」
「あん、やぁ、やめっ、あ」
「昔はここに、翼があったのかもな」
「ひゃあっ、んっ」
「ああ、いい感じだな、すごく、濡れてきた」
「いっ、ゃあっ、ああ」

体の芯が熱く潤ったのを確かめられる頃には、頭の中はぐちゃぐちゃだ。シーツに頬をこすりつける。腰をひきあげられて後ろから深く突きたてられる。

彼が口づけたところから翼が生えてくる気がした。夕べは深海の底にいた。今朝は大海原を越えて空の果てまで飛んでいけそうだ。

古い歌が聞こえる。いつのまにかキングがリビングでかけたＣＤは、珍しくショーコも知っている曲で、今の気持ちがそっくりそのまま。感じすぎて舌をもつらせながら、ショーコは必死で口走った。

「っ、ねが、っ」
「うん？」
「ったし、をっ」

”あたしを　つれてって”

チョコレートみたいな甘い声が問う。
「どこがいい」
「んっ、んっ」
「木星か火星か」
「っ、からっ、ああっ」
「飛ぶぞ」

耳殻に歯を立て内耳に息をふきこむようにささやかれ、意識は一気に大気圏から成層圏を抜けた。律動に追い込まれ文字通り飛ばされる。


抱きしめられていれば怖くない。彼となら超新星になって消えてもかまわない。どこまでだって。だからお願い。

キスして。
愛して。


"　fly　me　to　the　moon　"


ゆるやかなジャズのＢＧＭにのり一時たりとも離れずに、ふたりは月へとランデブーした。