「終わりでしょ？　２月終わっちゃうでしょ？　バレンタイン当日に出かけてそれっきりってあり？　ねぇねぇエヴァ、ヒデミさんってばー」
「だからそれは仕事なんだから」

自分で自分の声を聞いてうっとおしいなぁと思った。ヒデミは辛抱強くなだめてくれるけれど、そろそろエヴァがしびれを切らしそうだ。案の定、ぱしっと脳天に打ち落とされる扇。いつも本気なんだから。

「ああもう、うっるさいわねぇこの子はああ」
「いったぁい」
「いつまで甘ったれてるつもりぃい」
「だって、さ」

止まらない愚痴が情けないのは、他でもないショーコ本人だった。





デジャヴだ。

カウンターの端についている流しでグラスを洗っていたアダムはしょげるショーコを横目に思った。あまりにもデジャヴ。年が明けてから何度この光景を見てきたことか。

ぼやくショーコを張り倒すエヴァになだめるヒデミ。間違いなく漫才だ。トリオ・ザ・ブーケ？　売り出せるかも。いやいやいつからここは演芸場になったんだ。頭痛がしてくる。それもこれも。

「だってキングがなかなか戻ってこないから」
「仕事じゃしょうがないでしょうがぁああ」

そう、王様のせいだ。長い不在のあと、昨年末ようやく帰ってきたと思ったら、年が明けるや再び飛び回る日々。なんでも去年は事情で仕事を減らしていたためその反動がもろにきているらしいのだが。

「わかってるもん、だからキングには文句言ってないって。でもさでもね」
「はいはいはい」
割ってはいったヒデミが減ってないショーコのグラスを差し出しながら、火に油。

「せっかく両思いになれたのに、肝心の彼氏が留守ばっかりじゃ、いちゃいちゃもできないものねえ」
「いちゃっ？」
「いちゃいちゃですってぇえ、この子ったらああ」
「あっ、たしが言ったんじゃないーっ」
またデジャヴか。聞いてるだけなのにひどく疲れる。耳栓が欲しい。とはいうものの。

大事な人が四六時中どこかへ行ってしまうのは心許なかろう。アダムはエヴァに防戦しているショーコに同情の眼を向けた。エヴァだって口と態度はともかく、アダムと同じ気持ちを抱いているはずだ。

叱咤激励の言葉どおり、エヴァの叱咤はイコール激励、それはショーコもわかっているに違いない。デジャヴのように繰り返しながら毎日毎日励ましてくれる。励まされている。

そんな風に思えば三文漫才トリオも別のライトで浮かび上がってこようというもの。友達はいいもんだ、なんて自分こそ三文芝居の語りだな。くすりと笑ったアダムは蛇口をひねるとグラスの洗剤を洗い流し始めた。





ブーケに居座ったのでマンションに戻ったのは日付が変わってからだ。明日も休みだし、キングはいないし。かまやしない。それでもショーコがリビングをのぞくと、ジンがまったりとソファにねそべっていた。

クリスマスを飾った木は観葉植物としてリビングに鎮座し続けていた。また来年飾ろう、今度は一緒に。飾りを片づけながらキングが何気なく言った言葉は、箱に詰めてリボンをかけてショーコの心に大切にしまわれている。来年はもう、今年だ。



クリスマスからカウントダウンパーティーまでずっと一緒だった。待って待って待ち続けた日々を思えばほんとうに夢みたいな時間。キングが優しくて時々偽者じゃないかと疑ったくらいだ。

ちゃんと本物だった。飴の後はムチってところもしっかり。年が明けたとたんに海外へ行ったり来たり。一週間から十日出かけては戻って四、五日。また出かけるの繰り返しだ。

「悪いな、去年のツケがずいぶんたまってる」

おばあさんのことでずっと仕事を抑えていたようだから仕方ない。それはわかっているけれど。

「いつまでキングは忙しいのかな、ジン」

みゃーあとのばした鳴き声は「さあね」とその気のない返事にしか聞こえなかった。どうもこのところジンは冷たい。キングが戻るたびショーコがベッドを占領するのを恨まれているのかもしれない。こう出かけてばかりだとそれも数えるほどなんだけど。



ありがたいことにバレンタインは日本にいた。去年のバレンタインでお菓子づくりの才能のなさを証明したくせに、時間を持て余し気味だったショーコはチョコケーキに挑戦して、エヴァを発狂寸前まで陥らせた。

「あんたにケーキを作らせようだなんてぇえ、承知したあたしの一生の不覚だわぁああ」

口は出しても手は貸さないエヴァの方針。代わりにジュリ扇が鹿おどしみたいに規則正しく振りおろされていたっけ。

「痛いって、これ以上バカになったら困るっ」
「脳味噌残らずバカよぉお。１００パーセント天然バカぁああ」
「エヴァったら、そこまで真実を告げなくても」
「ヒデミさんまでーっ」

横で優雅に、颯へのブランデー入りチョコを作りながら、なだめてるのか煽ってるのかわからないヒデミのつっこみも健在だ。泣こうがわめこうがそばにいてくれる彼らにはいくら感謝しても足りない。


エヴァの地獄の特訓のおかげでなんとか間に合ったケーキは、バレンタイン当日のブランチデザートとしてキングに披露した。

「うまい」
驚いた眼がふわっと和んでショーコに向けられる。ああもう幸せ。バレンタインだし日曜だし最高、と思った瞬間。

「土産は本場のチョコにするか」
「……みや、げ？」
「これからイタリアだ」
「うそっ」
「２月中には帰れると思う」
「うっっそだあーっ」



がばっととび起きたらまだ夜中。寝入って一時間もたってない。悪夢だわもう。がっくり肩を落とす。

バレンタインに出かけてもう二週間。２月が逃げて終わっちゃうよ。予定が狂うのも仕事じゃ文句は言えないけれど、キングは寂しくないのかなぁ。自分はぼちぼちエネルギー切れだ。あきらめて布団にくるまりながら、彼にくるまりたいと切にショーコは思った。



願いが通じたのかどうか、翌朝ショーコを起こしたのは携帯の着信だった。寝ぼけて枕元をがさがしかけて、キングからだと気づきとび起きた。バッグをひっくり返して鳴り続ける携帯をつかむ。

「もしもし、あたしっ」
『寝てたのか』
「起きてる、起きてるよ。今どこ？」
『ドアの前だ』
「へ」

ドア？　ドアって。

玄関へショーコがすっ飛んで行くのと、マンションのドアが開くのは同時だった。

「キング！」

とびつくショーコをしっかり抱きしめてくれる、これは以前と違うところかもしれない。それからもうひとつ。

「おかえりなさい」

ショーコがそう言うと、サングラスを通して金と黒の眼がとろりと溶ける。それが嬉しい。どれだけ待たされてもその間が辛くても、この瞬間、この確信があれば頑張る。頑張れるんだ。

「お土産ってチョコ？」
「そう言ったろう」
「えー、ほんとに？」

ショーコと競って飛び出してきたジンが足元をまとわりついてくる。張り合うみたいに爪先立ってキスをねだれば、かがみこんでくる彼の笑ってる口元。


あなたが私の。
私があなたの。
ゆるぎない　Home　になれますように。



唇が合わさるその瞬間。
みゃあと鳴いたジンがショーコの素足に軽くつめをたてた。





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