久しぶりに、ほんとに久しぶりに飲み過ぎてしまった翌朝、それでもショーコはちゃんと起きて定時に珍品堂へ顔を出した。宝円はショーコが昨日も一昨日も、ずっと東京を離れなかったかのように迎えてくれた。

「きたなショーコ。こないだの案件助かったよ」
「うまくみつかって良かった」

田舎に帰っている間も仕事ができるように、宝円はショーコにノートパソコンを貸してくれた。データの整理と稀少本の捜索がショーコの担当で、データはメールでやりとりし、稀少本捜索依頼はほかの店舗管理人と協力して情報を共有し、時に足も使っての捜索となる。

ショーコはもっぱらネットを使っての捜索を担当していた。前回は運にも恵まれ、探していた本を見つけ出せたのだ。

「お母さんはどうだい」
「おかげさまで仕事にも復帰したから」
「そりゃよかったなぁ」
「いろいろありがとうございました」

改めて頭を下げるが宝円は笑うだけだ。
「なんの。助かっとるのはわしの方じゃろ」

ありがたかった。ショーコは知っている。宝円がまだまだ頭も手先も達者で、ショーコなしでもすべての仕事をこなせることを。なのに母の看病で田舎に帰るからと告げた時、宝円はショーコを休職扱いしたうえに、ノートパソコンを一台あてがって、田舎でもあいた時間で仕事ができるように仕込んでくれたのだ。そんなことをしてくれる人はそうそういない。

おかげで田舎に戻ってからも取り残された切り離されたような気持ちは薄かった。それをいうならエヴァやヒデミのおかげもある。なんだかんだと三日にあけずメールを送ってくれた。自分は恵まれているとしみじみ思う。


最初の日ぐらい様子を知らせろと念押しした母から、客や女の子に囲まれて照れ笑いしている写メが送られてきた。たぶんトモミの気遣いだ。それっきりなのも元気な証しだろう。

ショーコも日常に復帰した。珍品堂での仕事の合間にエヴァやヒデミと騒ぎながら、ジンとふたりでキングの帰りを待つ。しかし、いつだって思うように予定を操るキングがなかなか帰ってこなかった。七夕の時はその前からわかっていたので心構えもできたが、今回は会えると思っていただけに一日一日が前にもまして長い。


「二ヶ月もあったんだから、その間にすませてくれたらいいのに」

勝手な言い分なのはわかっている。エヴァやヒデミ相手だからこそ言えるし聞いてもらえる。諭されるのも承知だ。

「仕事はこっちの予定にあわしちゃくれないわよぉ」
「そうそう。この夏はそれでなくても忙しそうだったじゃない？」
「そうなの？」

エヴァをヒデミを、アダムや他の客まで見渡したショーコに、返ってくるのはうなずき半分思案半分だ。

「そうだったかなぁ」
「キングが何やってるかなんて実際知ってるやついないだろ」
「二、三ヶ月顔を見ないってことも珍しくないって」
「でも言われてみるとあれだな」
ひとりが思いついたように言う。

「全くみないわけじゃないけど、ひとっところに居ないというか」
「あぁそう言えば」
口をはさんだのはヒデミだ。夏前に比べて一段ときれいに、艶っぽくなったのは気のせいじゃないと思う。

「Man Hallのケイもぼやいてたわよ。キングがぜんぜん顔出さないって。連絡もメールと携帯ばっかりだとか」
「うちにはたまに顔出してたけど。なあエヴァ？」

目を伏せて水割りを作っていたエヴァは、名前を呼ばれて顔を上げた。視線があってショーコは何か違和感を覚える。すぐ笑みになった彼女。

「うちは特別よぉ。来なかったら呼び出しちゃうものぉ」
うんうんと場にいた全員が納得する。

「何か言ってた？　忙しい理由」
「さぁあ。言うと思うぅ？」
「……思わない」
同じく全員がうなずく。人の話を聞くことに長けているキングは自分のことはほとんど言わない。聞かれてもそれとわからせずに、かわす技にも長けているのだ。

不満げに唇を尖らせたショーコの、額をエヴァがデコピンした。きれいにネイルされた長い爪が痕を残すくらい強く。痛くて涙が出る。

「いいっったぁあああいー！」
「うるさいぃいいい」
「だってエヴァが」
「あんただってあんたの都合と理由があったから二月いなかったんでしょぉ？　キングにもキングの理由と都合があるのは当たり前ぇ。あんたを避けてるわけじゃないわよぉ」

不安を図星にされてぐっと詰まる。

「会いたくないならそう言うわよキングはぁ」
「そっ、そんなこと思って」
「思ってるのよねぇえ。馬鹿だからこの子はぁあ」

「ひどっ、エヴァひどいっ」
「文句あるぅうう？」
「はいはいはい、落ち着いてショーコ」

言い合いも喧嘩もいつものこと。みんながいるからキングの不在もなんとか凌いでいられる。

そうだ、ショーコが突然いなくなるといった時もキングは帰ってこいと言ってくれた。それを思えば仕事の不在で文句などおこがましい。わかっているのに。

「あたしって情けないなあ」
自分を叱ったショーコは気を取り直して珍品堂で仕事に励んだ。

宝円が配達と寄り合いで出かけたある午後だった。客もいない店内の平穏は携帯が鳴るまでだった。液晶にキングの名前。うそ。思わず取り落としそうになりながら通話ボタンを押す。

「も、もしも、もおーし？」
『……そういう挨拶が流行ってるのか？』
「キング！　元気？」
『帰るぞ』
「ほんとー？」
テンションも動悸も一直線に急上昇する。珍品堂のレジ台で飛び跳ねそうだ。

「いついついつ？」
『っ、声が大きいって』
閉口しながらも笑い声は優しく響く。ああもう、この声を直に聞きたい。ショーコの胸がきゅんと痛む。

『来週。飛行機にもよるが遅くてもあと５、６日だ』
「やったー！」

文字通りとびあがったショーコに、ガラッと戸を開けて入ろうとした客がぎょっと驚いて閉めてしまった。それどころじゃない。

「ほんとにほんとね？」
『確実になったから電話したんだ』
「うん」
『ちゃんと待ってろ』
「うん！」
『いい返事だ。よしもうひと踏ん張り』
「あ」

よし、で切られてしまったけれど、怒る気にはならなかった。いつものショーコならヒデミのところへすぐさま飛んでいったろう。引き留めたのはキングの声。滲んだ疲れとつぶやき。

『もうひと踏ん張り』
言うつもりがなかったのに思わず漏れたような気合いだった。忙しいのに気にしてくれる。

『確実になったから』
気遣いもくれる。あたしって甘ったれだと自戒する。まだ仕事中だ。

「……でも、今夜はいいよね」
やっぱり顔はゆるんだ。キングから連絡があったらエヴァには知らせないと殺されるし。

「仕事仕事！　でもって終わったらブーケ！」
キングに倣って気合いを入れ直したショーコはパソコンの前に座りなおした。



その夜のブーケ、いやエヴァはショーコの知らせに盛り上がった。
「もうショーコじゃなくてもキング欠乏症よぉ！　やっと補給だわぁああ。みんな飲んで飲んでーっ」

「補給ってなんなのエヴァ。キングはあたしんだからね」
「このこのこのぉおお、どの口がそんな生意気言ってるぅうう」
「痛い痛い痛いやだー」
「あーっふたりともうるさっ！」

叫ぶヒデミの隣にはショーコが久しぶりに会う竹園颯が居た。デートの予定がショーコの一声で変更させられたというのに見目麗しい笑顔。どこにいたってヒデミしか見えないのだから構わないらしい。

「同伴出勤は黙っててぇ」
「同伴って何よ」
「僕は同伴でかまわないが」
「竹園さん」
酒も入った勢いでショーコは颯に食いついた。

「ヒデミさんのこと好きですか」
「ちょ、ショ、な」
仰天するヒデミの横で颯はごくあたりまえにうなずく。

「もちろん」
「一生？」
「できれば来世まで離したくないね」
ヒューヒューと口笛が鳴りひやかしが飛び交う。ヒデミが真っ赤に頬を染める。満面の笑みを浮かべたショーコはぺこっと頭を下げた。

「お願いしますっ。ヒデミさんのこと、大事にしてください絶対」
「ショーコ、あんたったら」
思わず感涙しかけたヒデミだが。

「甲斐性なしにばっかりひっかかるから、心配で心配で」
「……っけいなお世話よっ、ていうかあんたが言う？」
「あたしの相手は甲斐性なしじゃなかったもん。ヒデミさんときたらヒモとか持ち逃げとか」
「キャーっ、この子なんてことを」
暴露されたヒデミが逆上しかけたが。

「心配無用。いっそヒデミがヒモになってくれた方が」
甲斐性のある男前？な言葉に店全体がおおっとどよめき歓声をあげた。感激したショーコが酔いも手伝って思わず颯に抱きつこうとして、ヒデミに阻止される。

「あたしのよ、だーめっ」
「ヒデミさんのケチーッ」
「ヒデのけちんぼぉおおお」
「エヴァまでハモらなくていいのっ、ってこら颯、どさくさで抱きつかないーっ」
「いいじゃないか、ケチ」

誰も彼もが叫びながら笑い転げている。その中でショーコもほんわかしたあったかい気持ちに浸った、その時だった。

「ショーコ、携帯鳴ってるぞー」

カウンターからアダムが呼ぶ。キング？　すっとんでいって携帯をつかむが、発信は母の名前でびっくりする。すでに留守録に切り替わっていてメッセージが一件。

「キングからあ？」
エヴァの問いに首をかしげながら立ち上がると、にぎやかすぎる店内をすり抜けて外へ向かいながら再生ボタンを押した。ところが。

『ショーコちゃん？　あたし、トモミです』
トモミさん？　なんで。
『ごめんなさい、ママの携帯からかけてるんだけど』
どうして。

『ママがまた入院したの。すぐ戻ってきて』
「……え？」

背中で店の扉が閉まる。喧噪が遮断され静寂の中に放り出される。

『肺炎だっていうの、急いで。危ないかも』


頭の中が真っ白だ。夜の街がたてるざわつきに救急車が混じる。高く低くを繰り返す不吉な音が遠ざかる中、携帯を耳にあてたショーコは動くことができなかった。