出かけたきり雲隠れしたキングはなかなか帰ってこなかった。ブルフェスに時間をとられ仕事がたまっているんだろうか。

ショーコはこれまで通り、珍品堂で働く毎日だ。通りを歩くと声をかけられることもあるが多くはない。シザーズのあと、モデルになりませんか、タレントいかがですと名刺もいくつも渡されたけれど、よく見もしないで捨ててしまった。興味も願望もないのだからしょうがない。

メイクもあれっきり。山ほどもらったazureも結局、使っているのは基礎化粧品のみ。相変わらずすっぴんのショーコだ。


マンションにはそのまま居させてもらうことに決めた。代わりにキングの言うとおり、家賃と雑費を払おうと思う。自分の払える金額で足りればいいが。とりあえず貯金したシザーズの賞金には手をつけるなと言われているし。

現実的に考えれば彼にたくさん甘えることになる。わかっていてもキングのそばから離れたくなかった。彼を落とすには、釣り合うひとになるにはどうしたらいい？　この頃ショーコの頭はかつてないほどフル回転している。


数日後。バイト帰りにLemon　へ顔を出したショーコはそこでエヴァと鉢合わせした。シザーズ以来だ。しまったと思っても後の祭り。

「ショーコ、お待ちぃ！」
「きゃーっ」
「あんたたち、やめなさいって」



広くもない店内を追いかけっこするふたりに、ヒデミはため息が出た。他に客がいないからといってもこれはないだろう。あ、つかまった。

「ヒ、ヒデミさーん、たすけてっ」
「この娘はこの娘はぁ！　Man　Hall　でやったこと説明してみなさいぃ！　あんた死にたいのぉ？　東京湾に沈めてほしいぃ？　そうなのねぇ！」
「いっ、やっ、だっ、ひっ、はー」

胸ぐらつかまれ歯の根が合わないほどがくがく揺すられて、涙目のショーコが必死に助けを求めてくるけれど、生憎とヒデミも少しお灸を据えたい気分だ。

シザーズ直後からヒデミの店には客が押し寄せ、昼は満杯状態。バイトのツトムまでてんてこ舞いで知り合いを手伝いに呼ぶ始末。もっとも、似たような状況を経験してきたヒデミは最初から新規の客を昼に限り、あとは断るか予約に回していた。

ひとりでやっている店だ。広げるつもりはないからやれる範囲でいい。だが電話は鳴り続け、予約は三ヶ月先まで埋まってしまった。当分病気もできない。嬉しいやら困るやらだ。


一方、ショーコのMan　Hall　での顛末てんまつ　はあっという間に繁華街を駆けめぐり、噂ランキングの一位を独走していた。最初に聞いた時エヴァは憤死寸前、ブーケは大恐慌。正直に言えばヒデミも複雑だった。

抜け駆けとはいわない。ショーコが頑張ったからだし、ヒデミがひっかかったとおりキングにもその気があったわけだ。なんだけど。鬼の居ぬ間にと、エヴァほどでなくてもちょっとは思う。あたしだってキングが好きなのにさ。


「ヒデミさぁあああん！」

感傷に浸るうちに悲鳴は絶叫に変わりかけている。仕方ない。


「ほらほらほら。エヴァ、許してあげなさいって」
「なによぉ、ヒデまでこの娘の味方する気ぃ？」

ぎろっとにらみあげてくるエヴァはまさに。


「鬼ばば…」
「なんですってぇええ」
「えっ？あっ、うそうそそうじゃなくてえっとそう、あんまり苛めすぎるとキングに鬼って言われちゃうわよって」

下手するとこっちまで危ない。火の粉を払いつつショーコを助けるには、中国雑伎団並みの技が必要だ。幸いエヴァのツボは知っている。キングの名前が伝家の宝刀。燃えさかっていたエヴァの怒りがしぼむ。


「キングったらあたしよりこの娘がいいのかしらぁ」
「えーっと。比べる基準が違うんじゃないの？」
「ひどいわぁ。あたしの方がずーっとぉ、こんなにぃ愛してるのにぃ」

ぐすぐすエヴァが泣きべそをかき始めると、驚いたことに今度はショーコが食らいついた。


「あ、あたしだってキングがほんとに好きなんだから！」
「な、んですってぇ〜」
「ちょっとショーコ」

ようやく鎮まりかけてるのに。エヴァの後ろからやめろと合図しても、ショーコの眼には入らない。


「キングが言ったもん！　早く自分を落とせって！」
「きぃぃぃ！　あったまにきたぁ！　もう勘弁しないからぁあ！」
「こっちだって！」
「……勝手にやってよ」

真っ向からつかみ合う二人。ゴングが聞こえる。あわてて商売道具の刃物を周囲から片付けたヒデミは仲裁をあきらめ見物にまわった。

エヴァに刃向かうとはショーコも進歩したものだ。感心する一方でさっきの発言がヒデミを驚かせていた。キングが？　自分を落とせって？　らしからぬ言動に垣間見る彼の本心。また気持ちが塞いでくる。そこに。


「邪魔するぞヒデ。エヴァがいるって…なんじゃショーコも来とったんか」
「あたしがいつからキングに惚れてると思ってんのよぉ！」
「長さなんか関係ないもん！」
「なっ、なっ、生意気ぃー！」
「……おいおい」

戸口でたたずむ宝円にヒデミがとびつく。今なら誰でも歓迎だ。


「宝円さーん、来てくれて嬉しいー」
「な、なんじゃいヒデ」

男だと知っていても見るからに女の格好で抱きつかれるとどぎまぎするらしく、宝円の顔が赤くなったり青くなったり。


「やめんかいこら」
「そうよショーコ、あきらめなさいぃぃ！」
「ぜーったいやだ！」
「二人ともいい加減に」

「営業中じゃないのか。何の騒ぎだ」

エヴァもショーコも宝円も、もちろんヒデもふりむいた。

あれきり姿を見せなかったキングがいる。いつもながら隙のない着こなしに全員が見惚れた。といっても宝円は認めまいが。ともかくこれで騒ぎも収まる。安堵でヒデミはぐったり椅子によりかかった。





キングがヒデのところへ行ったのには理由があったが、店の外にまで大音声が響き通行人がぎょっと退くありさま。まだ客で混んでいるのか。足を止めよくよく聞けばショーコの声がする。頬をゆるませてドアを開けたら、まずとびついてきたのはエヴァだった。おっと。

「キングぅー！　会いたかったわぁあ！」
「エ、ヴァ。元気そうだな」
「キングに会えるならいつだって元気よぉ！」

たくましい腕に締めあげられつつ店内を見渡す。客の代わりに居るのはここではあまり見ない顔だ。キングは首を傾げる。


「じいさん、珍しいところで会うな。その頭はもういじりようがないだろうに。磨くつもりか」
「あほう。ブーケに電話したらエヴァはここじゃとアダムが言うから」
「やだぁ宝円さん、あたしに会いにきたのぉ？」
「人の話をきけ。頼まれとった本が手に入ったから届けに来ただけじゃって」

飛びつこうとするエヴァにたじろぎながら、宝円は持っていた紙包みを押しつけた。


「『ルネサンスの聖母子像』ね？　きゃぁうれしい！」
「キング、おまえさんも何か持っとるじゃないか」

宝円に指さされて、キングはここにきた目的を思い出した。


「ヒデに届けに来たんだ」
「あたし？」

差し出す女性週刊誌。見開きのカラーページにエヴァもとびつく。


「ヒデじゃないの。シザーズね？　もう出たの？」
「週刊誌だからな。他にもずいぶん取材があったろう？　来月にかけて結構出るぞ」

エヴァから奪い取った誌面を睨み、ヒデは難しい顔になる。


「もう予約がめいっぱいなのよ。これ以上増えても困るんだけど。おまけにこれ、ひどい顔」
「いいじゃないのぉ。バンバン宣伝しなさいって」
「ほう、ショーコも美人に写っとる」

のぞきこんだ宝円の一言にエヴァがぎろっとにらみをきかせ、宝円は首をすくませた。ヒデミが笑いを堪えている。さっきからショーコの声がしない。振り返ろうとしたキングの腕にまたエヴァがぶらさがった。


「お祝いよぉキングぅ！」
「祝い？」
「そう！　キングのおごりぃ！」

考えてみれば改めての祝いはまだだった。せっかく頑張ったヒデミと、それから。


「そうだな。ヒデの好きなイタリアンでも行くか」
「決まりぃ！　宝円さんも行きましょぉ」
「わしか？　じじいにイタリアンなんぞ」

「ピザとかスパゲッティとか好きなくせに。知ってるんだからぁ」
「エヴァにゃかなわん」

そう言いながら宝円も嬉しげだ。キングはヒデミに確認する。


「今夜まだ予約は入ってるのか」
「入ってたらこんな騒ぎやらせてないでしょ」
「なら早仕舞いできるな」
「いいの？」

控えめなヒデミの問いに、キングは笑って頷く。


「タイミングがずれて悪かったな」

口をとがらせたヒデミは困った顔を笑みに変えた。


「つくづく罪つくりよねキングって。ほらほらみんな邪魔！」

ばしんとキングの肩を叩くと、ヒデミは皆を追い出しながら戸締まりにかかった。





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