キスは何度もしたことがあるのに。キングの口づけはまるで違う。初めての深さに足を取られ、膝が折れそうになる。

いつも食べてる生チョコの気持ちがわかる気がした。触れた場所から溶けてしまう身体はきっと悔しいに違いない。そう簡単に溶けるもんかと頑張ってるに決まってる。生チョコに気持ちがあるならだが。


これまでショーコにとって、sexは一方的に与えるもの、奪われるものだった。肌のぬくもりは嬉しくても行為自体を好きと思ったことがないのは、男に対して恐怖心を持つ自分のせいだったのか、相手のせいか、それとも両方だろうか。

性愛という言葉の意味が初めてわかる。頭でっかちの、でなきゃ身体優先の中途半端な関係では決して得られない。触れられる悦び、触れる喜びは相手を求めるからこそ。全て「好き」の気持ちからはじまる押さえきれない欲求なのだ。


指先、爪、髪、肌。凍っていた感覚が融けてあらゆる部分が目覚めてくる。身震いが止まらない。


「……中指と薬指の間？」
「んっ」
「薬指の、第二節」
「はっ、あぁ」
「手首の内側。……静脈がきれいだ」
「や、めっ」

弱いポイントを唇で、舌でみつけては言葉に出して告げることで、キングはショーコを翻弄した。口ヒゲがあちこち触れるたび、背中から腰へ快感が走る。

髪を梳す　き地肌をこすり、うなじから首筋まで確かめる右手。足首からふくらはぎ、膝の裏から太ももをたどり尽くす左手。彼が触れる所から快楽が生まれる。快感の連続に悲鳴があがる。息が続かない。全部手放して溺れてしまえたら楽なのに。


いつのまにかカーテンは閉め切られていた。ショーコはベッドの上、キャミソール一枚の格好でキングの胸に背を預け、その指に両脚の奥深く侵入を許している。おかしい。どこか毀れてしまったに違いない。抜き差しされるたびに濡れた音が高まり耳を焼く。羞恥を呷あお　りまた濡れる。こんな自分は知らない。


「ショーコ」
「な、あっ」
「達い　ったことはあるか」
「そっな、やっ、わ、んない、っ」

聞かれた意味が理解できない。限界と何度も思う。過ぎれば快感も痛みと同じだ。泣きたいわけじゃないのに涙は流れて頬がひりつく。きっと凄い顔だろうが気にする余裕もあらばこそ。


「キ、ングっ、も、っむり、ぃっ」
「わかってる」

微笑んだ眼は楽しんでいるようにも、困っているようにも見える。のけぞったショーコのあご先に落とすキスが優しい。


「飛ぶんだ」
「っんぁああああっ」

指が内側のどこかをこすりあげたとたんだった。ふわり、浮遊感と雷に似た衝撃が同時に襲う。全身を電流が流れる。頭も視界も真っ白。頼るものがなにもない。よすがはいまだに自分を侵している手指のみ。やっぱり悔しいと、途切れる意識で思った。


全身で刻む呼吸に呼び戻される。飛んだ？　落ちた。あれが達い　くってことだろうか。思考はなかなかまとまらない。

料理の鉄人の包丁さばきみたいな鼓動は、ゆるやかに遅くなりぶつ切りレベルに変わっていく。おなかは空いているかもしれないが、サラダもステーキもスイーツだっていらない。疲れた。眠いよ。

それでもうっすらまぶたを持ち上げた。至近距離に見るオッドアイはとても心臓に悪い。あんまり綺麗で殺されそうだ。その声も。


「限界だろう。眠っていいぞ」
「……いい、の」

変だ。何か忘れてる。
そう思っても考える力すら残ってなかった。溶けきった生チョコだ。


「おやすみ」

魔法使いが呪文を唱える。口づけにヒゲの感触がくせになりそう。接着剤でくっつけたみたいにどうやってもまぶたは開かなくなって、意識は尽きた。今度の闇は限りなく安らかだった。





「ショーコ、起きろ」
「んー」

ゆっさゆっさと揺り起こされるがとにかく眠い。差し込む光がまぶしくて、上掛けに潜り込んで逃げようとする。


「こら。寝てもいいがあとでまた夢だったとか騒ぐんじゃないぞ。俺は仕事でしばらく留守になるからな」
「んーーーーんん。……え？」

がばっと飛び起きた。キングはすでにスーツに着替えアタッシュケースを足元にしている。見慣れぬ明るい室内。キングの部屋だ。記憶がバーッと一気にめくれる。昨日の一切合切と、飛んで落ちた自分。大丈夫、あれは現実。彼が証あか　し。それにしても。


「……何時？」
「何曜日と聞いたほうがいい。月曜の８時。君はきのう一日寝てた」
「うそ」

「バイトもあるだろう。そろそろ起きろ」
「うー」
「とりあえず、部屋を探すんだな」
「え」

寝ぼけた頭に早くも爆弾だ。


「探すの？」
「ここに居るなら家賃を入れろ」
「マジ？」

「俺をこれから落とすわけだから、同棲じゃなくて同居だ。当然だろう」
「えっと」
「ヒデかエヴァに聞けば簡単じゃないのか」

非情な提案にショーコがのけぞる。


「エヴァになんか聞いたら、北海道か沖縄に飛ばされちゃうよ！」
「あり得る」

あっさり肯定されても困る。


「どうせ俺は留守勝ちだ。居るのは一向に構わん。ジンが喜ぶ」
「……キングは？」

あまりにも甘くない台詞にすねて上目遣いになった。いつものサングラス、口ヒゲの口元を歪めてキングが笑う。


「歓迎するさ」

パッとショーコの顔が明るんだ。深読みをしない単純さは時に長所だ。軽口も出る。


「だよねだよね？　ついにエッチした仲なんだし」
「未遂だ。アルファベットで言うならＢ、だな」
「……へ？」
「じゃ行ってくる。二度寝して遅刻するなよ」

ベッドの上、キャミソール一枚で上掛けに埋もれポカンと内股座りで見上げるショーコの、あごを軽くつかみ軽いキスをくれてから、アタッシュケースと車のキーを持ってキングは速やかに出ていった。玄関のドアが閉まる音にようやくショーコは我に返る。


「み、すい？　未遂ってえっと、Ｂ？　Ａがキスで、あ、あれ？　あ……」

昨夜の記憶。初めて達い　くのを経験したものの、そこで事切れて肝心の身体を重ねるまで至らなかったことにようやく気づく。何か足りないとは思ったのだが。


「ぜんっぜん足りてないじゃん。あたし、馬鹿？」

阿吽あうん　の呼吸でジンが現れた。朝ご飯はすませたらしく余裕たっぷりの様子。ふつふつと湧いてくる怒りはどのみち、自分に向けるしかない。ばかばかドジまぬけ。


「もーやだ！　恋人になりたいんでしょ！　絶好のチャンスに何やってんのよ、あたしー！」

癇癪を爆発させたショーコはとうとう手近の物を床に投げつけはじめた。


慣れた足取りで彼女と飛来物を回避しながら、キングのお気に入りの椅子に飛び乗ったジンは我関せず。長い尾を身にまとうとゆっくり顔を洗い始めたのだった。