子どもかと思えば女。すれているようで純粋。強気と思ったら弱気。
まるでモグラ叩きだ。

ひとつごとに真逆の反応を見せるショーコが、キングにはなんとも面白かった。今夜だって放っておくという選択肢もなかったわけじゃない。正義感などという青臭さは自分の中ではすでに摩耗している。

立ち止まってしまったのは、彼女が持つ矛盾のせいだ。まだ若いことを考えれば普通なのかもしれないが、出逢って数時間で見せたそれらは若さとは少し異なって見えた。勢いよくスイングする振り子の真ん中で立ちすくむ、そんな風に。

だからどうだっていうんだ？


自分の中にまた、妙なあやふやさをみつけてキングは訝しんだ。白黒付かぬものを心に抱えなくなって何年経つのか。そういう感情とはもう縁を切ったつもりだった。多分これは眠りが足りないせいだ。


「ふぅん。アパートってその辺なの。じゃあキングに送ってもらうのね」
「ううん。ひとりで平気」
押し問答は決着をみないまま一段落したらしい。首を振るショーコの薄茶の髪がまとわりながら揺れる。ヒデミが聞き出した住所は車ならすぐだ。

「遠慮しなくていいのよ。でしょ、キング」
「あぁ。車をとってこよう」
「ほんとにいいってば」
「はいはいおとなしくしてなさい」

また揉める二人をおいて店を出た。駐車場まで５分。もうじき夜明けのはずだが、空は重たい雲が広がっている。夕べも熱帯夜だった。高い湿度に歩くだけで汗をかく。眠るのはもう少しあとになりそうだ。



クラクションを鳴らすと、ヒデミに押し出されるようにしてショーコが出てきた。立ち止まるのをさらにヒデミが助手席へと押し込むので助かる。

「いい？　モデルの件、逃げたら承知しないから」
「ぜえぇーったい無理」
「キング、ねぐらを確かめといてよ」
それで送らせたがったのか。使いっ走りだな。キングは苦笑で頷いて手を挙げた。


走り出したとたん、殊勝な顔でショーコが頭を下げた。
「あの、今日はどうもありがとう……ございま、した」
丁寧すぎる言葉遣いがおかしくて吹き出したキングに、むっとした顔。
「真面目に感謝してるのに」
「そうか？　大方ヒデミに釘さされたんだろう」
わ、と声音がそれを肯定する。

「お見通しだね」
「礼はいらない。ただの気まぐれだ。次は通り過ぎるかも知れない」
「そうよね」
あっさり頷かれてしまった。チラと見る彼女は平然とした横顔。

「今夜通り過ぎなかったのが不思議。公園であたし、すごく可愛くなかったのに」
「そうか？」
キングの反問に今度は、ショーコがこっちを見た。
「十分可愛かったと思うが」

パカッと開いた口をあわてて引き締め、フロントガラスへ向き直る彼女。頬がうっすら赤みを帯びている。

「やっぱりキングって変わってる」
「君も」
「ヒデミさんは変わりすぎだし」
「あいつは存在自体がミステリーだから」

沈黙のあと、プッと小さく吹き出す声がしたと思うと、シートベルトがねじれるほどに彼女は笑い転げていた。声を出して笑う姿は初めて見る。
年相応に。
「可愛い」

まだ笑っているショーコに、キングの言葉は聞こえていなかった。





「ありがとう、ここで…？」
何かがショーコの言葉を留めた。怪訝な眼でじっと一点を見据えると、車が止まるより早くシートベルトをはずして飛び出した。

このあたりは古い店と新しい店が混在して印象もちぐはぐだ。歩道から少し敷地に入ったところに見える二階建てのアパート。その外階段へショーコはまっしぐらに走っていく。最近うるさい路上駐車だがこの時間は平気だろう。アパート前に止めてキングは車を降りた。


夏の空は明けるに連れ、夕べの雲を少しずつ追いやろうとしているが、逆にごみごみした街が陽にさらけ出されている。でこぼこして食い違う敷石の歩道。クリーニング屋が立てた旗とベース。散らばる紙くずやビラが余計に雑然とみせる。


キャリーバッグと紙袋がふたつ、階段下に無造作に積み上げられていた。どう見てもゴミ扱いだ。表面にぺたりと貼り紙。書かれているのは下手な文字で　『ショーコ』


カンカンと、今にも足から落としそうにミュールを鳴らして彼女が降りてくる。キングは黙って見守った。覚束ない足どりと虚ろな目付きにさっきの笑顔はかけらもない。キャリーバッグと紙袋を前にしてしゃがみこむ。
「……そりゃ出てけって言われたけど…」

膝小僧を抱えた消え入りそうな声に当惑と痛みがあった。外階段の上、奥の部屋をキングは見上げる。ドアにヒラヒラと舞う貼り紙は「退出」と読めた。
『ろくでなしはこういう時ばっか素早いのよね』
ヒデミなら憎々しげに言い切るだろうし、その意見にはキングも賛成だ。用意周到すぎるろくでなし。

「部屋の契約者はあの男か？」
上からのキングの問いに右回りのつむじが少しだけ上下する。
「もうじき…更新だとは聞いてたんだ。でも…」
身体が縮まる。泣くか。しょうがない。

そう思ったキングを裏切り、彼女はすっくと立ち上がった。危うく頭突きをくらうところを辛うじてかわす。
「お？」
キングに構わずキャリーバッグの取っ手をつかんだショーコは、ジャッとそれを伸ばした。涙はない。反対の手で紙袋も持つ。

「どうするんだ」
見返す彼女は淡々とした顔。
「しょうがないもの。とりあえずネットカフェにでもいく。休みたいし」
「ネットカフェじゃ休めないだろう。ホテルとか」
「これから部屋探さなきゃならないのに？　お金ないよ」
肩を竦めキングを見上げる眼にはまた矛盾。プライドと諦めの拮抗。
「送ってくれてありがとね」
ゴロゴロとキャリーバッグを引きずり、歩き出した背中は小さいけれどピンと張っていた。


キングをキングと知っている他の人間が彼女の立場にいたら、十中八九助けを求めるに違いない。彼女がそうしない理由はあの矛盾のせいか。放っておけばいいのに。踏み出してしまう自分にもそれは感染うつ　っているのだろうか？

初めて意志を持って呼びかける。

「ショーコ」


振り向く彼女に自分の矛盾が透けて、キングはそれを面白がった。
彼が変化を拒むことは滅多になかった。