「……ぁーやだやだ。頭くるその男」
「別れ話は大方そんなものだろ」
「だからってここに連れ込むのはどうなのよ。一応営業中なんだけど」
「これでか。ろくに客も来ないのになんで開けてるんだ？」

「あたしの店よ。悪い？　たまに飛び込んでくる子もいるのよ。開けとかなきゃ可哀想でしょ」
「相変わらず腕はいいが商売っけが足りないな」
「あんたに言われたくないわね」


話し声にぼんやり眼を開ける。照明が明るすぎてショーコはパチパチ瞬きを繰り返した。そのうち涙が出てくる。何なの。
「あらら。タオルいる？」
答えは期待してないらしい。差し出されたタオルをまぶたに押し当てたショーコにやっと考えが追いつく。

ここ、どこだろう。

「宵の口に逢ったな」
斜め上から降ってきた声。見上げた顔にも確かに覚えはあった。どこで。

「オシロイバナ」
「あ」
ショーコの脳裏に、子どもみたいに花をむしっていた自分とそれをやんわりとがめた男が浮かんだ。でも。

「どうして」
「大立ち回りに行き会ってな。路上で気を失ってたら置き去りもできないさ」
「気を失って？」
頭の中はまだごちゃごちゃだ。自分は何をやったんだっけと思いながらタオルをまさぐる。

「いつまで拭いてるの。こっち向いて」
問答無用で奪われたタオル。座っていた椅子がくるり回され、向き合った人物にショーコは目を見張った。


派手だ。肩より上の長さの金髪はクルクル大きなウエーブで、顔の輪郭をくるっと縁取りブロンズ色のヘアバンドでおさえてある。髪の色に顔の造作も負けていない。少なくともパーツの大きさでは。

太い眉。濃いアイラインとシャドー。ルージュくっきりの口は大きいし顎のラインはいかついけれど美人だ。カフェエプロンにぶら下げているのは美容師の七つ道具。ということは。

「美容師、なの？」
「みてのとおり」
「じゃあじゃあ『スタイル』って店知ってる？」
勢い込んだショーコに美人の眉がクイと上がる。

「ここ半年ですごく人気が出た店でしょ。あちこちから金でスタッフを掻き集めてるっていう噂」
「それは知らないけど」
「雑誌の企画で人気が出たのがいたわね。たしか」
「ヒロ！　あたしの彼なの！」

自慢げな声に続く沈黙のあと。後ろからの声は純粋に疑問型だ。
「俺が見たのが寸劇でなければ、もう元カレじゃないか？」

肩越しに見る彼は大人の雰囲気そのものだ。黒いサングラスと短い口ひげはそれだけでトレードマーク。見透かされているような気がする。さっきもそう思ったっけ。公園で、ヒロに逢う前。

ヒロ？　……そうだ。
記憶の奔流がショーコを襲った。


化粧をけなされて。連れてきた女の肩を抱いて「おしまいだ」って。
追いかけて、嫌だって、行かないでってあんなに言ったのに。
一緒に住み始めてまだ３ヶ月しか経ってないのに。
出てけ？

どうしよう。
どうしたら。


「はいタオル」
また押しつけられる柔らかさ。上等な品だと他人事みたいに思う。
「声を出さずに泣くとストレスになるぞ」


頭に置かれた手の大きさが、いつもは怖いのに何故かホッとして。
無性に泣けてしまったショーコだった。