※文中に男性からの侮蔑的な言葉があります。苦手な方はご注意下さい※



店を出たキングは時計を見た。
午前３時。看板を待たなかったのは眠ろうと思ったからだ。


この１週間は忙しさのピークで毎日仮眠しかとっていない。元々睡眠は少なくても足りる方だが、過ぎると思考能力が鈍ってしなくてもいいミスになる。イベントも区切りだし、明日をオフにしたのはそういうミスを避けるためもあった。２０代とは違うからなと店のホスト達を思い浮かべる。

それから。
偶然出逢った右生を。


１年半ぶりだった。顔には出さなかったものの、キングもかなり驚いたのだ。彼の言うとおり彩芽とは仕事で頻繁に会っている。右生についても彼女を通してずっと近況を聞いていたし、彼の変化もわかっているつもりだったのに。

聞くと見るとは大違いってやつだな。
歩きながら口元をほころばせる。


久しぶりの右生はずいぶん変わっていた。青さが抜け、大人らしくなったとでも言うのか。枝葉を剪定されて幹太くまっすぐ高く伸びた若木。
そう、まっすぐになったのだ。

Man　Hall　に居た頃の右生は色々な意味で歪んでいたのに、今日の彼にはそれがなかった。夜の街への似つかわしさが消え、日射しが寄り添う雰囲気へ。彩芽の影響だろう。右生が彩芽を変え、彩芽が右生を変えた。彼らを思うたびキングは、人生と出会いの面白さを感じずにはいられなかったし、そんな彼らがとても気に入っていた。



繁華街は深夜こそ人が多い。広い歩道をキングはすり抜けていく。通りや店の変化、客層にチェックを入れながら歩くことは意外に重要だ。流行りすたりを自分の肌で感じていないと事業も出遅れることになる。週に一度は必ずこうして街を歩く。にぎやかな週末が一番効果的だが。

「うるせぇなショーコ、いい加減にしろよ」

響き渡った声にざっと人目が靡いて行った。もめ事は週末の夜の或る意味お約束でもある。大抵は酔っぱらい同士のケンカだ。


「ついてくんなって。うざいんだよ」

声はキングの進む方から聞こえる。人が集まり始める。他人の不幸は蜜の味、か。女の声も聞こえた。ケンカはケンカでも痴話ゲンカの方か？　どんどん固まっていく人垣を行き過ぎようとしたキング。


「バカにしないでよっ！」

声に聞き覚えがあった。つい数刻前の。
クルリと向きを変えたキングは人垣を中心へと分け入った。


若い男女がもう一人、女とにらみあっていた。別れ話のもつれだろうか。対峙しているのがオシロイバナのあの娘。あれほどブツブツ言ってたのにしっかり化粧した顔。髪はやっぱりバレッタでひとまとめだが、毎夜見ていた姿とずいぶん違うな、というのがサングラスの奥からキングの観察。

「なんで？　お化粧してこいって言うからちゃんとしてきたじゃん。別の女連れてきた上別れるなんて」
「おまえが人の話聞いてないだけだろ。ろくに化粧もできねぇ女なんてもう逢いたくねえっつったの。おまえがもう好きじゃないってこと」
「そんなの、なんで、急に」

「急？　急だ？　大体おまえとんでもねえじゃん。化粧は駄目だし格好もひどいし。顔は平凡だしエッチ嫌いだし？」
「やめてよっ」
遮る声にちょっと口を噤んだ男は、また続ける。

「極めつけ。　実は男が嫌いだろ、おまえ？」

言いたい放題の男が、突き刺すように言い放った最後の一言で周囲がどよめく。野次馬が大喜びだ
「えー？」
「何なに、ユリ？」
「おいおいマジかよ」

甲高い抗議があがる。
「バカ言わないで。あたしそんなんじゃ」
「バーカ。男が、怖いだろっつってんの」
街灯の下、彼女の顔がすっと白くなるのがキングにもわかった。

「そのくせすり寄ってくんのな。で、マグロ。かんべんだわもう」
「…ヒ…ロ」
「知ってるよな。俺今度でかい大会にでんの。こいつがモデルなんだ」
男は隣の女の腰を引き寄せる。女が流し目で身を寄せる。

「優勝すりゃ怖いものなしさ。そうそう、あの部屋引き払ったからな。とっとと出てけよ、ショーコ」


言いたいことだけ言うと男は隣の女を連れて歩き始めた。その背中に尚も彼女はむしゃぶりついていく。
「待って、待ってよ！　冗談でしょ？　ねえ、冗談だよね」
「……いい加減にしろっ」

思い切り突き飛ばされた彼女は路上に転がった。薄地のキャミソールワンピースが股までめくれる。脱げたミュールが散らばる。捨てられたガラクタみたいに。

「ひょー、いいね」
「にーちゃん、引き取ってやろうか」
「好きにしな。俺はもう無関係」
冷たく言い切り肩をそびやかして男は遠ざかる。

「ねーちゃんあんなのほっといて、遊ぼうぜ」
「なぁいいだろ」
酔っぱらいしかいない時間だ。持ち主の許可はとったとばかりに伸びてくるいくつもの厚かましい手。羽交い締めにされてそれでもまだ、遠ざかる男に叫んでいる彼女。

「やだ、ヒロ待って。　離してよ。　離してってば！」
「いーからほっとけって」
「俺等が楽しませてやるからさぁ」

「　ヒロぉ−ーっ！」

手を差し伸べ断末魔のような悲鳴をあげると、その場に彼女はうずくまった。踏み出したキングは、地べたに落ちたキャンデーに群がる蟻みたいな連中を簡単に、しかも手荒く引きはがした。

「ぐぇっ」
「うわ？」
「何しやがるっ」

彼女の後ろでキングが周囲を睥睨した。サングラスが光る。つかみかかろうとした連中が気圧される。そのうち。
「キングだ」
「まずい」
「やめとけ」

ここらでキングを知らない奴はいない。蜘蛛の子を散らすように酔っぱらいはいなくなった。残りの野次馬も歩き始めるのを確認してから、うずくまっている彼女の肩を揺らすキング。
「おい」

しかし。
彼女はその場で気を失っていた。