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44話 「追い撃ち 」



ケイから連絡をもらって初めて、キングは気づいた。自分がどれほどショーコを心配していたかということに。


荷物をひきずって夜道を歩けば家出娘だと宣伝しているようなもの。危ない輩に狙われかねない。ましてや今日、彼女はこの界隈で思い切り顔を売っている。

舞台の上と下では概して印象に落差があるから、必ずしも気づかれるとは限らないが何しろ昼の夜だ。気づく者もいるだろう。いずれにしろ良いことは期待できない。


告白をなし崩しにされて萎れたショーコの顔はずっと脳裏にあった。ブーケにもマンションにもいないとわかると浮かんでくるのはろくでもない想像ばかり。もやもやとのしかかっていたのは焦りだったと、携帯を切って走り出してから思い当たる。

同時に、こんな風に仕事以外で走ったのはいつのことだったろうと考えた。思い出せないくらい昔か。



Man Hall のエントランスから飛び込んだ時には息を切らし、額は汗で濡れていた。落ち着き払ったキングしか知らないイチが仰天して後ずさった前を、物も言わずに行きすぎフロアへ踏み入った。

今夜もMan Hall は盛況だが、今の自分を考えると空いている方が良かったかもしれない。キングの姿を見留めてそちこちでレディーたちがきゃーと喜びの悲鳴を上げる。現れるときは必ず挨拶回りするのを知っている常連たち。だが。


キングは別のものに目を奪われていた。
ショーコと、シャンパンタワーに。


4段の高さは夜の店にしては地味すぎるくらいだが、みつめるショーコのうっとりしたまなざしに、ため息がでそうだ。

自分を、繁華街の顔役で誰もが遠巻きに噂するキングを、昼は突然の告白で驚かせ夜は突然の失踪で走らせてるというのに、当の本人はお膝元たるMan Hall で夢見心地とは。

彼女の頬にキスするテル。フジとヨウジが乗じて騒ぐのも見える。初めての客を歓待するのはMan Hall のセオリーといえ、彼らには素でショーコを気に入った様子があった。面白いと思う気持ちと気に入らないと思う気持ちが半ばする。そのことに驚く間もなくショーコを突風が襲った。


見覚えのあるレディーの名は寿々絵といったか。トオルの指名客でキングにも執着している。基本的にオーナーの指名は受け付けないので接触はごく限られるにも関わらず、そうした客は彼女だけではなかった。キングはいわばホストのカリスマ、レディーたちにとって極上の夢まぼろし。だからといって。

耳障りな音と共に粉々になるシャンパンタワー。強ばったショーコの顔に昼間が重なる。あのときは黙ってうなだれた彼女だったが、今は。


「何すんのよっ」

まずいと後ろから素早く羽交い締めにしたキングを、ショーコは肩越しに見上げてきた。驚くよりも怒った顔。舞台で見たのよりもっと強気の火を噴いている眼。もっとも不機嫌ならこっちも負けない。


「怪我はないな」
「見えないの? シャンパンタワーが大怪我じゃん!」

ぶっと吹いたフジがショーコに睨まれる。


「その上に誰かを突き飛ばしたら確かに大怪我だ」

キングにねめつけられてぐっとショーコが詰まると、トオルが押さえていた寿々絵がここぞとばかりにわめき始めた。


「そうよキング! この娘、ひどいのよ!」
「寿々絵さん。どう見ても喧嘩をふっかけたのはあなたですよ。タワー壊したのも」
「だ、だって」

トオルらしい冷静な指摘に今度は寿々絵が詰まる。


「ホスト相手なら百パーセントこっちの責任だが、レディー同士の喧嘩はお互い様がMan Hall のルール。ましてあなたが始めたことだ。寿々絵さん、席に戻ってトオルと飲み直したらいい」
「キング! この娘が昼間、あなたにずうずうしいことしたから、あたし……は…」

寿々絵に向けられたキングの顔にトオルまで眉を上げた。サングラス越しにもわかる表情に寿々絵の語尾は消え入る。駆けつけたケイまで息をのんでいる。


「昼間見ていたなら結末も知ってるでしょう。心配は無用だ」

余計なお世話と言わんばかりの愛想なしに、寿々絵はもちろん皆が怯んだ時、キングの背中に何かがぶつかって落ちた。足元に転がるのは緑色したキウイの半分。

振り向くキングにショーコは尚も、凄い勢いで次々フルーツを投げつけている。


「バカ! 意地悪! デリカシーなさ過ぎ!」
「おい」

誰もが茫然とする中、レモンがブドウがオレンジが飛ぶ。


「その人もキングのことが好きなだけじゃん! あたしと同じなんだから! 冷たくしないでよ!」
「こら、ショーコ」

へたのついたイチゴがキングのサングラス左端にぶつかって潰れて落ちる。このままだと丸ごと乗っているパイナップルまで投げかねない。

いい加減頭に来たキングは飛んでくる果物爆弾に構わず、間を詰め背をかがめた。腰から身体をすくいあげ足首をつかみ、ショーコを肩に担ぎ上げる。パンプスの片方が脱げ落ちた。


「なっ、何すんのよっ」
「そりゃこっちの台詞だ。じゃじゃ馬め」
「やだおろして」

「ケイ、急いで片付けてくれ」
「下ろして、下ろしてってば」

フロアを出ようとするキングの背中を尻を、逆さまのショーコがこぶしでバンバン叩く。


「いやだあぁあーっ」

キングが立ち止まったのは痛かったわけではなく、ショーコの悲鳴が余りにも切迫した泣き声だったからだ。


「やだあ!下ろして! 持ってくの! 置いてっちゃダメなの!」
「何?」
「キングにもらった花だもん! 靴も! キングにはかせてもらったんだもん! 置いてっちゃだめ! ふられたんだから。一緒に居られないんだから。キングにもらったものはあれしかないんだからあ!」

泣きながら訴える言葉がキングを驚かせた。花束とパンプス。ただの祝いでただの気遣いだ。まさかこんな風に思っていたとは。

力の抜けた腕から転げ落ちるように逃れてからも、ショーコはさらに言いつのる。


「何しに来たの? シザーズは終わってヒデミさんも優勝して、あたしにもう用はないでしょ。邪魔でしょ。ご心配なく。荷物全部とってきたもの」

涙でぐちゃぐちゃの顔はお世辞にも美人とは言い難いのに。


「わかってるもんふられたこと。まとわりつきたくないからブーケからも逃げたの。会うの辛いから」

ぐっと嗚咽を飲み込んで叫ぶショーコ。


「なんでほっといてくれないの。頑張ったんだから憂さ晴らしくらいいいじゃん。追い撃ちなんてひどいよっ」

どっちがと言いたい。追い撃ちくらってるのはこっちだろう。一日で何度してやられるやら。キングは心中で進退窮まる。


一方、フロアはいつのまにか静まりかえって、すべての眼がショーコと、そしてキングに注がれていた。





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