Man　Hall　のオフィスルームは、フロアやスタッフルーム同様、キング自身が設計に携わり細かく指示したと、ケイは聞いている。ベッドがないことをのぞけば一流ホテルの部屋と変わりない。カウンターバー横の扉奥にはバスルームにドレッシングルームまで完備していた。

時に海外までとびまわるキングだ。店に立ち寄るのは忙しいスケジュールの合間も多い。夢を買いに来たレディたちに、仕事に疲れた顔や無粋な格好を見せぬよう。一方で汗を流しヒゲを剃るそんな個人的行為が、煮詰まった思考に新しいアイデアをもたらしたりするからとも語っていた。

キングを良く知るからこそ、途中で切れた携帯に首を傾げながらも、ケイは裏口に回って待ち構えていたのだが。


「ケイさん！」

イチの声はあわてていた。新人の割に人を食った態度の彼にしては珍しい。


「何。今、オーナーが」
「そうそれ！　キングが来てます！」
「ええ？」

頷くイチにケイは驚く。裏からでないということは、表から？　朝から休みなくとびまわっていた彼だ。オフィスルームへ寄らずフロアへ直行など信じられないが。


「なんか、すげぇ不機嫌で」
「不機嫌？　キングが？」

これも信じられない。たとえば従業員が不始末をしでかせばキングは注意し、叱る。時に怒りを見せることもあるが常に冷静だ。状況を読み判断した上での効果的な態度。それが不機嫌？　不機嫌なキングなんて、見たことあっただろうか？


「ケイさん、早く」
「わ、わかった」

焦るイチの声に押され、ケイはとにかくフロアへ急いだ。




Man　Hall　の場所は、通りの呼び込みに聞いたらすぐ教えてくれた。でなきゃわからなかっただろう。看板もない重厚な構えの建物と自分の格好を比べて怯む思考がなかったのが幸いだった。酔っぱらいに怖いものなし。


「ようこそMan Hall　へ。初めて？　そりゃ大歓迎だ」

最初にショーコを案内してくれたホストはイチと名乗った。イケメンなのに、親しみやすい雰囲気。


「荷物、預かろうね」
「あ、お花はいいの。持ってたいの」
「大事な花なんだ。綺麗だね」

優しい笑みは始まりに過ぎなかった。やってくるホストの誰も彼もがイケメン。イケメンの嵐。多すぎて顔が覚えられない。いや、覚えられないのは、来る前すでに許容量を過ぎていた酒のせいかもしれない。

明日はきっと死ぬほどの二日酔いだろうけれど、今のショーコは知ったこっちゃなかった。楽しい。いい男に囲まれて誰も彼も甘やかしてくれる。切ったばかりの髪もとっくに崩れてるメイクも、そばから離さない花束までほめそやしてくれる。ホストクラブに嵌はま　る女の心理がいまさらにわかった。


「ねぇねぇ、君の顔どっかで見た覚えがあるんだけど」

くるくる金髪、天使みたいな顔は確か、テル。天使より可愛いかも。


「そーおー？」
「しかもごく最近。名前、ショーコだっけ？」
「いーじゃんそんなの。テルったら、詮索は失礼だよ」
「ほんとさ」

口をそろえたのはフジと、ヨウジ。さっきまでアキラも居たはず。マサシも。まあいいか。


「飲み過ぎてない？　大丈夫かな」

のぞきこんだのは彼はタカヤ、だったか。


「へーきへーき。それにーしてもーすごいねーここ」
「夢の国だから、豪華絢爛じゃなきゃ」

テルがにやっとわらう。


「ご要望があればなんでも言ってよ。お金はかかるけどね」
「テル。夢が消えるってー」

ヨウジたちはがっくりするがメニューを眺めていたショーコはてんで気にせず、それどころか見つけた文字にろれつの怪しい、ワクワクした声で聞く。


「これほんとに頼めるー？　夢だったの。いっぺん見たかったんだー」

ささやかな夢はあっさり叶えられた。見上げてぽかんと口を開けるショーコ。たとえ酔ってなくてもまぬけに見えるだろうと自覚はしているが。


「ふわあ〜」

ショーコの前にはシャンパングラスでつくられた４段のタワーが据えられている。ドラマや映画で見て憧れたのよりはずっと小さいけど、きらきらまぶしい光のピラミッド。まさしく夢だ。


「注ぐぞー」

シャンパン持って構えていたのはマサシ。真っ赤な髪が燃えるように輝いてシャンパングラスまで赤く染めている。見惚れる間にシャンパンが滝となってなだれ落ちる。


「うわ、うそ、うわ、うわわわわぁ」

それしか言えないショーコにホストたちがどっと笑う。ショーコの口は開きっぱなしだ。


「ショーコ、首が折れるって」
「だってー。ホストクラブってーすごいねー」
「シャンパンタワーなんて普通じゃん。これちっこいぜ」

「今まで、メニューでシャンパンタワーは見たことなかったもん」
「そりゃそうか」
「そだよー」

また笑われる。でも嫌な感じはなかった。馬鹿にされてるのかおもしろがってるのか、そういうのはなんとなくわかるもので、だからショーコも心から笑い返す。


「ほらグラス」
「もっぺんかんぱーい」

あまり飲んだことのないシャンパンだが、炭酸の口当たりが良くて美味しい。いくらでも入っちゃう。どんどん酔いが回るのを感じる。

シャンパンタワーと一緒に注文したフルーツバスケットもきれいだった。キウイにブドウ、オレンジにマンゴーにイチゴにサクランボ。鼻をくすぐる瑞々しい香りにさらに酔う。

ああなんか最高。ホストクラブ万歳。とんでもなく無駄遣いしたって後悔するかもしれないけれど。ううんしない。あれだけしょげてたのが嘘みたいに楽しいし。嫌なことなんて忘れちゃえ。


ぽっと、突然キングの顔が浮かんだ。サングラス、口ひげ、皮肉な笑みと優しい声。なんで思い出しちゃうんだろう。せり上がる切なさがショーコの胸を苦しくさせるが、振り切るように首を振る。

忘れるんだ。生まれ変わったんだもの。こんな、男しか居ないホストクラブ、今までは絶対入れなかった。出来なかったことが出来るようになったんだから、他のこともできる。バイト頑張って部屋も探そう。新しい恋もきっと見つかる。この、シャンパンタワーみたいに素敵な。


気持ちの葛藤は隠し、必死で笑って酔いに紛らわしたので、周囲には満面の笑みにしかみえていない。ショーコの頬にとつぜんテルの唇が触れた。え、と驚く。


「可愛いねショーコ。指名俺にしない？」
「抜け駆け禁止。なら僕だって」
「ずるいぞ」

ヨウジに引っ張られフジに手を握られ。イケメンに取り合いされるのもあり得ない。酔いと照れで頬を赤くそめる。


「ショーコ、誰がいい？」
「えー、今決めるのは難しいよ−」
「ちょっとあんた！」

シャンパンタワーの向こうに客がひとり立ちはだかった。すごい形相をした女性にまたぽかんとショーコの唇が開く。誰だっけ。知ってる人？


「あんたショーコよね。昼間、何あれ。キングにあんな！」

耳に重なるのはエヴァの声。デジャヴ？　ぞわっと鳥肌が立つが、相手も酔っているのか目が吊り上がり、つかみかからんばかりだ。あわててやってきた知らないホストが止めに入ってさらに混乱する。


「寿々絵さんダメだって。席に戻ろう」
「おい誰か」
「うるさいわねっ、離してよトオル」
「やめてってば」
「危ない！」

もめた拍子にテーブルに揺れた。ぐらりと傾いたシャンパンタワーはあっという間に高らかな音を立て崩れ落ちる。ショーコはあわてて横に置いてある花をかばう。

顔をあげると光るピラミッドはすでにガラスの残骸だった。なまじ絨毯なので中途半端に割れているグラスが多く余計に無残だ。夢はやっぱりこうして、一瞬で消え果ててしまうのか。

ぼうと立っている相手にショーコは初めて怒りを覚える。立ち上がり踏み出すパンプス。ぐしゃりと踏みつけたガラスの感触がたまらなかった。


「ひどいじゃないっ」

怒りにまかせてショーコは相手の胸をドンと突く。寿々絵と呼ばれた女はかなり年上だろうか、反撃されるとは思ってなかったらしくよろめき、それから目を剥いた。


「やったわね」
「やったのはそっちでしょ、元に戻してよあたしのシャンパンタワー！」
「はあ？　あんたこそキングに一体」

つかみ合いをはじめるふたり。ホストたちはとっさに止めに入れない。フロアが騒然となったところでショーコは誰かに後ろから引きはがされた。


「離してよっ」
「落ち着けショーコ。トオル、寿々絵さんを」

聞き覚えのある声が耳元を撫でる。手首をつかむ大きな手、その指輪を知っている。自分の右肩越し、見上げればキングの顔。


「怪我はないな」

会いたくなかったのに、どうしてここにいるんだろう。サングラスの向こう、初めてとも思える彼の不機嫌がショーコにも、電波のようにピリピリ伝わってくる。だが。

ショーコもまた、彼に負けないくらい怒っていた。