盛況のうちに終わった十周年のブルフェス。ブーケを出て足早で歩きつつ、キングは一日を振り返った。人出は過去最高。テレビ中継も特に問題なく、各イベントにも人は溢れていた。

交通量の多い道を封鎖しての祭りは、警察から厳重に言い渡されていることもあって１７時終了厳守だ。迅速安全に撤収してようやく成功したと言える。すべて滞りなく終えてからお疲れ様会と称して皆で飲むのは例年の流れだったが、誰も彼もに冷やかされたのが大きく違った。


『色男。相変わらずもてるよなあ』

舞台の上での告白などドラマやテレビ番組の企画ならともかく、キングといえどもそうあることではない。ヒデミの声が被さる。


『一世一代の告白だったのに』

足が止まった。夏の陽はとっくに暮れているが街頭とネオンで明るい路上。キングは煙草を取り出し火をつけた。

今日は酒だとわかっていたので車は駐車場に置きっぱなしだ。歩くのは嫌いじゃないしマンションと繁華街はたいした距離ではない。立ち止まったのは別の理由だ。


『恋人になってください』

驚いた。
同時に、自分を驚かせるとはショーコもやるじゃないかと思った。


昼間のショーコはたいしたものだった。乗ったこともない舞台の上でのパフォーマンスは満点といっていい。ヒデミの技術とセンスはもちろんだが、観客や審査員に怯むことなく堂々と演じきったショーコが居てこその優勝だった。正直予想以上。だから一層戸惑ったのだ。


出会った時はヒロとのことで悩んでいたし、二度目は捨てられすがって泣いていた。その後は見返そうとヒデミに誘われ自分を変えようと必死にもがいて。キングが見てきたショーコはずっと、ヒロを意識していた。一体いつ、別の感情を芽生えさせたというのか。

キングの醒めた部分が即座に下した結論は、戸惑いと同時に怒りもあったかもしれない。これはただの余興だと。


『ちょっとは真面目に考えたの？』

携帯用灰皿をとりだしたキングはろくに吸ってない煙草をもみ消した。とりあえず家へ歩き出す。目の前に落ちていた影は踏み越えると後ろへ遠ざかっていった。





花を持つ手でキャリーバッグをひきずり紙袋も下げて、ショーコもまた夜の繁華街をあてなく歩いていた。

素足にパンプスは元々心地良いものではなく、夜だというのに地面から伝わってくる熱は頭まで沸騰させる。パンパンに張っているふくらはぎ。

すでに服は着替えている。いつものミュールに履き替えればいいのだろうが脱ぎたくなかった。キングが履かせてくれたパンプスだ。脱いでしまったらそこですべてが終わる気がする。


キングにすれば唐突なだけだったろう。あそこで受け入れてもらえる確率なんて万どころか億兆にひとつもなかったと今ならわかるけれど。

はっきりした返答すらなく流されてしまった精一杯の告白。胸の中の思いは行き場を失い、閉じ込められたスーパーボールのごとくあっちにもこっちにもぶつかって跳ね返り暴れ続ける。出口がなくて。


舞台のあと移動する間も、祝勝会と称してブーケで飲み始めてからもずっと、必死で堪えていたけれど。夜が更ければキングはブーケにも顔を出すだろう。逢いたいのにどんな顔をすればいいのかわからない。どんな顔をされるのか怖い。

とうとうブーケを逃げだしたショーコは、キングのマンションからも荷物を持って出てきてしまった。鳴いてまとわるジンに後ろ髪引かれたけれど、元々あそこは仮の宿。また路頭に迷ったわけだ。こないだと違うのはお金がたっぷりあることだけ。


ブーケでヒデミに散々言われた。

「渡したらすぐ自分の口座に預けに行くのよ？　不動産屋に直行でもいいけど。持ってウロウロしちゃだめよ」

５００万の半分、２５０万。持ったことのない大金が約束されたというのに、優勝した高揚感とか変身した喜びとか、あるべき気持ちはキングへの想いに負け、隅っこに押しやられてしまっている。


舞台で、思い切れずに見上げるショーコにキングは何も言ってくれなかった。壁の向こうに居るみたいに遠かった。お子様過ぎて相手にもならなかったのか。キングが選ぶのはきっと洗練された大人の美人に違いない。自分よりもずっと釣り合いのとれる人。

嫌。
嫌だ。

ヒロに捨てられた時、泣いてわめいてすがったけれどそれでもどこかで悟っていた。ああやっぱり。しょうがない。そんな諦めがすぐ気持ちを塗り込めて未練を覆ってしまった。なのに今は。

踏んで叩いて消そうとしても、あちこちから火の手が上がる山火事みたいだ。思いが諦めを越えて燃え上がり叫び続ける。どうすればいいんだろう。どうしたらあんな人を惹きつけられるようになるの。あたしじゃやっぱり無理なんだろうか。

ああもう。落ち込むのにも飽きてきた。この憂さをどうにかしたい。懐には週末の昨日、何かと物いりだろうと宝円が早めにくれた今月分のバイト代があった。賞金ももらえるんだから、頑張った自分を祝ってパーッとやってもきっとばちは当たらない。たとえば？


ガラガラひっぱっていたキャリーバックごとショーコは立ち止まった。思いついたのはこれまでのショーコなら絶対できなかったこと。でも、傷ついて酔っぱらって路頭に迷う今のショーコに、怖いものなどなかった。





マンションの鍵を開けて玄関に入ったとたんに違和感を覚えた。なんだろう。三和土たたき　には見慣れたミュールも今日はかせたパンプスも見あたらない。帰ってないな。無意識に点けた照明で目がくらむ。

廊下の突き当たり、ショーコが使っている部屋の前にジンがいた。キングに向かってみゃあと鳴いてみせる。いつもならリビングのソファで丸まっているのに。呼ばれるようにショーコの部屋へ向かったキングは、半開きになっていたドアを開けはなった。


帰ってないんじゃない。出て行ったのか。
ざわり、胸が騒いだ。


元々あまり生活感を出さない娘だった。ショーコが来てからここをのぞいたのは一、二度だが、物をあまり広げずにもってきたキャリーバッグと紙袋にしまいこみ、その日に使うものしか出してなかった。出て行くのも簡単だったろう。

きれいにベッドメイクされた部屋はがらんとしていて、数日とはいえ誰かが居た気配はみじんもなかった。ゴミ箱も空っぽ。掃除までしていったのかと思うほどきれいに整えられている。


部屋を貸しただけの二週間足らずの日々は同居とも呼べない。一緒に食事をしたのも最初の夜のみ。あとの接点は数日の送り迎え、その程度なのに。その程度でも、キングが誰かをみずからのテリトリーに入れたのは初めてだった。腕を組み片手であごをつかむ。朝剃ったきりのざらざらしたヒゲが指の腹をこする。

帰って来た時の違和感。特に意図したわけでもなかったろうがいつのまにか、ショーコはここに溶け込みここの空気を変えていた。知らずに自分は馴染んでいたから、彼女が消えた喪失感を感じ取ったのだ。……喪失？　ショーコが来る前に戻っただけのことだというのに。

すり寄るジン。暗がりに光る猫の目を見下ろす。


ショーコが間借りに同意したのはシザーズともう一つ、賞金のためだ。確かに優勝して賞金の半分は得たわけだが、さっきヒデミに念押しされたから手元に現金はあるまいに。どこへ行くというのか。


また煙草を探して胸ポケットに入れた指先が別の何かに触れた。滑らかな丸みをつまんで取り出す。舞台に落ちていた模造品のパールはショーコがばらまいた一粒だ。何の気なしに拾った、その球面にショーコの顔が思い浮かぶ。

断るというよりもうやむやにしてしまった告白。大勢の客の前で恥をかかせることも、かといって期待させることも避けた結果だ。あの場では最善を選んだつもりだが、うなだれたショーコの姿に後味の悪さは残っている。


『あの娘への気持ち』

ヒデミはそう言った。あの娘　「の」　気持ちではなく、「への」　気持ちと。自分の中にたゆたわせていた何かを見透かされた気がした。だからといってあんな場所で声高に叫ぶほどはっきりしたものじゃない。この一粒はまだ何の証にもならない。

そのはずなのに。
どこへ行ったんだあいつ。


パールを胸ポケットにしまうと、ジンを置き去りにマンションを出たキングだが他にあてなどない。ヒデミはブーケだし、ブルフェスの打ち上げで宝円もまだ飲んでいるだろう。

一人で、三人で、六七人で、歩いているのは酔っぱらいばかりの賑々しい通りを、縫うようにしてショーコを探す。裏路地まで知っているキングは逆に気になる場所が多すぎる。いつもの余裕がない。キャリーバッグを下げた子猫はどこへ迷い込んだのやら。


携帯が鳴った。画面に浮かび上がるケイの名前。

『お疲れ様です。ブルフェスの方は終わられましたか』
「ああ」
『すぐ来て頂きたいんですが』

妙に遠慮がちな口ぶりだが、キングは周囲のまだらな闇を透かすのに余念がない。


「悪いが今忙しい。人を探して」
『ショーコさん、ですか？』

散らばっていた意識がひゅっとまとまり、携帯の向こうを見晴るかした。
まさか。


『Man　Hall　に来てます、おひとりで。でもだいぶ酔ってて…』
「すぐ行く」

通話途中も構わずに切ると、キングは走り出した。


どういうことだ。
選りに選って、Man　Hall？


視界を流れるネオン。通り過ぎた看板の一文字がまるで、命果てる寸前のホタルみたいに弱々しく点滅している。アスファルトは飽くことなく昼間の熱を放ち続けていた。