Homeメニュー   <back  next>


41話 「予測不能 」



「ヒデの優勝を祝ってもっぺん、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
「チース!」

カチャカチャガチャガチャ。合わせたグラスは不規則な音を立てた。グイグイと呷っている誰もがすでにかなり酔っぱらった状態だ。それもそのはず。ヒデミの優勝祝いと銘打たれたエヴァの店での宴会は、始まってすでに4,5時間経っている。

会場からそのままなだれ込んだというのにエヴァの店が準備万端だったのは、エヴァのヒデミへの信頼がなせる技だ。『優勝おめでとう』とカウンターに横幕までかかっている。全て終わった今だからこそ、ヒデミはしみじみ友人の有り難さをかみしめるが、出てくるのはいつもの憎まれ口だ。


「エヴァったら。勝負は水物っていうでしょ。駄目だったらどうするつもりだったのよ」
「即 『残念でしたバカヤロー反省会』にチェンジするだけでしょぉ。ノー・プロブレム。ねえアダムぅ?」

カウンターの中で頷いたアダムが、エヴァに新しいグラスを差し出している。


「あたしはぁ、ヒデの腕を一度だって疑ったことないものぉ。疑ってたのはぁ子猫ちゃんだけよぉ」
「その子猫ちゃんのお陰で優勝できたんだってば」

つい指摘したヒデミだったが、エヴァの眉がぴくっと動いたのでまずいと思う。カウンターではアダムが警告を込めて首を左右するが、時すでに遅し。


「……それは認めるわよぉ。確かに子猫ちゃんはあたしの予想以上だったわぁ、というより予測不能かしらぁ」

グラスを握った手がぶるぶる震え、声までわなわな震え出すので、カウンターの椅子に座ったままでヒデミは退く。まただ。ほんとまずい。


「あんな、あんな爆弾だったなんてぇ。公衆の面前でマイクでよぉ? あたしのキングに告白ぅ? 信じらんないどういうつもりぃ? ショーコぉおおお!」

響き渡る声にカウンターから離れソファで飲んでいる連中は首をすくめるだけだ。飲み始めて何度目の怒声やら。受け流すに限る。「あたしの」発言に心中穏やかでないだろうアダムも沈黙だ。名指しされた当人の返事も聞こえない。


「ショーコぉっ? あの娘どこ行ったのよぉおっ」
「トイレでしょ。もういいじゃんエヴァ。告ってもふられたんだし」

ヒデミがとりなすとうんうんと誰もがグラスに向かって頷いた。ショーコには気の毒だが、ふられたからこそ今夜血の雨が降らずにすんだ、というのがここに居る全員の一致した意見だ。



『あたしの、恋人になってください!』

にぎやかな表彰式から突如一変した舞台上。時ならぬ告白タイムに唖然としつつ、客も出場者も審査員もこぞってキングの返事を待った。もちろんヒデミも。

いい恋を、という気持ちに嘘はないし、ショーコのキングへの想いも知っていたものの、まさかここで。舞台でおおっぴらにショーコが勝負を賭けようとは思わなかった。思うわけない。

会場中の注視を一身に集め、彼にしては長い間がヒデミにはひっかかったが、差し出されたマイクをとったキングは磊落な態度で言った。


『気持ちは嬉しいが。せっかくとびきりの美人が誕生したばかりだ。さらってったら俺はそこらじゅうから恨まれる。なあ、そうだろう?』

絶妙な呼吸で投げられた言葉にどっと会場が受けた。みんな喜んで手を叩く。「キング−!」「やめてぇええ!」「そうだそうだ」「もっといい男はいるぞー」「よく考えろよー」 聞こえてくるのは悲鳴と懇願とラブコール。

確かに今日のショーコなら引く手あまた、今までで一番もてそうだ。ヒデミがちらと見たヒロは無表情をとりつくろっているものの、口の端がヒクヒクひきつっている。ざまぁみなさい、ってすでに関係ないのだが。


『そういうわけだ。とにかく、優勝おめでとう』

キングに合図された友川があわてて話をとり戻す。


『こ、これは思わぬ展開でした。シザーズでは恋も拾えそうですね。十周年もこうして…』

あっさり舞台は終幕へと移り、やはりとヒデミは嘆息した。如才なさも天下一品のキングは、露骨に断ってショーコに恥をかかせることも、会場の雰囲気を盛り下げることもせず、さりげなく話をそらせ終わらせてしまったわけだ。

反駁はんばく できるほど強したた かでも巧者でもなく、それでも立ち尽くしていたショーコはキングに背中を押された。うなだれ、すがるように花束を抱きしめてしおしお戻ってきた彼女。顔をよぎった切望と落胆が不憫だった。



エヴァに切り刻まれずにすんだのは確かだが、せっかく生まれ変わった彼女の初っぱながあれではと思わずにいられない。あの後ショーコはすっかり落ち込んで、そのくせ皆の前では懸命に明るく振る舞うから余計に痛々しかった。エヴァは容赦ないし。

加えて、あのときのキングもヒデミは気になった。いつでもどこでも臨機応変、決してたじろがぬ伝説のホストが、サングラスの下で戸惑っていたように思えてしょうがないのだ。


「ちょっとぉ! ヒデったらぁ聞いてるのぉ!」

肩を揺すぶられて我に返ったら、エヴァの怒り顔がアップで迫り来る。酔っぱらってる。珍しい。掛け値なしうわばみのエヴァは、日頃どれだけ飲んでもつぶれることがないのに、今日はすでに危ない。


「聞いてるってば」
「だいたぁい、きんぐはぁ、あの娘にぃ、あまぁいぃいい」

のしかかるように身体を傾けてきたエヴァは、座っているカウンターチェアごとひっくり返りそうだ。


「ちょ、ば、エヴァ」

かろうじて支えてやったら耳元で怒鳴られる。


「ひぃでぇだぁってぇえええ、あのこにぃ、あまいぃいいい!」

蹴倒してやろうかとマジで考えた時だった。アダムから天の助けが。


「キング、いらっしゃい」
「きんぐぅううう?」

酔ってるくせに動きが早い。支えていたヒデミを突き飛ばしたエヴァは逆方向へ椅子ごと体重をかけた。今度こそ間違いなく転ぶと思ったのに、ちゃっかりキングに受け止められている。次回はやっぱり蹴倒そうとヒデミは心に決めた。酔っぱらったエヴァにキングも驚いている。


「何だ、ひどくできあがってるなエヴァ。早すぎるだろ」
「キングのせいよぉ」
「祝い酒なのに絡み酒か?」

ブルフェスを撤収し事務局スタッフと飲んでいたはずだ。さすがに疲れの見える顔で、それでもまずキングはヒデミに声をかける。


「ヒデ、おめでとう。さすがだった」

やだもう。彼の笑顔に湧き上がる嬉しさ。つくづく罪な男だと実感する。アダムが渡したグラスが差し出されて、ヒデミも満面の笑みでグラスを合わせた。


「ありがと。感謝」
「俺にじゃないだろ」
「そうよぉ、あたしにしなさいぃいい」
「はいはい感謝してるわよエヴァ、ほんとにほんと」

キングの横から文句を言っていたエヴァが、ヒデのひと言でみるみる涙ぐむ。滅多に酔わない彼女は酔うと絡み酒で泣き上戸だ。危うい足取りで椅子を離れまたヒデミに抱きついた。


「ヒデぇええ、良かったぁああ、ほんとに良かったぁあああ」
「あーもう、泣かないでよね」

皆が笑って見守る。キングもだったが、店内をもういちど見渡して眉を寄せた。


「ショーコは?」

とたんに泣き止んだエヴァが般若の顔でふりかえる。全員びびった。


「ほらぁあああ! きんぐはぁ、あの娘にぃ、あまぁいいいい!」
「エヴァってばもう」

暴れるエヴァを取り押さえつつ、ヒデミも首を傾げた。確かにさっきからショーコの姿が見えない。


「トイレにしちゃ長いわよね。エヴァに結構飲まされてたし。見てくるからお願い」

これ幸いとエヴァをキングに押しつけ、ヒデミはトイレに探しに行った。何分ゲイの集まるバーだ。女性トイレが必要なのかと思うこともあるが、一応男性用の隣に小さく作られている。


「ショーコ? 具合でも悪いの?」

ノックしても声をかけても返事はない。不審に思って押せばあっさり開くドア。そこには誰もいなかった。


戻ってみるとエヴァはソファに移され、アダムの膝枕ですやすや眠り込んでいた。

「あららとうとう」
「酔うと寝ちゃって」

アダムの苦笑をよそに、カウンターからキングが聞く。


「いないのか、ショーコ」
「そうなの。かくれんぼでもしてるのかしら」

店内のあちこちに目を遣るヒデミ。他の連中もキョロキョロと探すが、どこにも居ない。誰かが言った。


「もしかしたら帰ったんじゃ」
「ええ?」

ヒデミの大声にしーっと店内のそこかしこから静止が入る。せっかく眠った虎は誰も起こしたくないのだ。ヒデミだってご同様だから声を低める。


「……なんで?」
「エヴァがうるさかったし。それにほら……めげてたし。あとで来るってわかってたから、会いたくなかったんじゃ」

視線が諸悪の根源に集まるが、当人はもう戸口へ向かっている。


「ちょ、キング? どこ行くのよ。まさか」
「今日の立役者がそれじゃ可哀想だろう」
「自覚ないわね。あんたに振られたばかりで気まずくて逃げたとは思わないの? どの面下げて可哀想なんて」

振り返ったキングのサングラスがキラリ光る。


「大げさな。あれは優勝でちょっと舞い上がったとか、ろくでなしに面当てしたかったとかだろう、せいぜい」
「あーもう。伝説のホストが鈍い。あの娘にそんな余裕あるもんですか。一世一代の告白だったのに!」
「一世一代? 大きく出たな」
「茶化す前にちょっとでも真面目に考えたの? あの娘への気持ち」

じっと、サングラス越しにヒデミをみつめたキングは黙って背を向けた。ヒデミは言葉だけ追いかける。


「賞金、月曜に小切手換金するから取りに来るよう言っといてよね!」

バタンとしまったドアが返事の代わりだ。カウンターに座り直したヒデミは口をとがらせ思案した。


キングのどこか、なにかが腑に落ちない。その何かを突き詰めようとしても本人と同じく、するりとうなぎかドジョウのように逃げられてしまう。予測不能はショーコより上手だ。振られて正解と明日は慰めてやるか。


「飲み直すわよ。さあさあかんぱーい!」
「ほいほい」
「めでたいなー!」

ブーケの夜は店主が潰れたあとも、延々と続く気配だった。





Homeメニュー   <back  next>