シザーズの審査に満点はまずない。

トータル１０００点の内訳は技術審査が３００点＋アピール審査が７００点だ。技術審査は特別審査員の５名が出場者一人に対して６０点を持つ。全員から６０点をもらえれば満点３００点だが、過去９年での最高は２４０点だった。

一方、アピール審査は応募で選ばれた会場審査員１４０名（特別審査員も含めるので一般参加は１３５名）による投票で、一票５点に換算される。全員の支持が得られれば７００点満点だが、５００点を越えたことは一度か二度だ。

一組のアピールが終わるごとに会場審査は行われ、得点の高い出場者のみ舞台に残る勝ち残り形式。最後まで勝者はわからず、それがまさに客を煽ることとなる。得点配分を見ればわかるとおり技術審査よりも会場審査により重きが置かれている。客の支持を多く得られた者が勝者となるのが、シザーズの審査の特徴だった。


おのおの５分ずつ与えられるアピールタイム。出場者は自らマイクを持ってタイトルと共にモデルを紹介し、モデルが舞台で変身ぶりを披露する間、与えられたテーマにそっていかにモデルを変身させたかを訴える。最後にモデルが変身した自分を鏡で見て感想・コメントを述べたあと審査、というのがおおまかな流れになっている。

最初に登場したのはプリンセスだった。


『エントリーナンバー１　　Ｅ２　伊沢　充　いざわ　みつる』

司会の友川に当たっていたスポットライトがコールされた出場者へ切り替わるのを、会場真ん中あたり、通路を挟んで審査員席の後ろからエヴァはみつめた。舞台の向かって左袖、グリーンのシャツと黒いパンツを着こなした背の高い茶髪の男がマイクを握りしめている。

『　EleganceExiting　の伊沢です。よろしくお願いします。僕のモデルはダンサー。スタイル最高、ヒップホップが最高、ついでにヒップも最高』

なんとか平常心を保とうとして舌足らずになっている。クスクスと起こる笑いにあらあらとエヴァは眉だけ上げる。

『彼女の、まずはビフォアーを』


シザーズが人気をとった理由のひとつが『ビフォア＆アフター』だ。

朝、会場入りするやすぐに撮影したモデルの私服姿がビフォアー、つまり変身前だ。それを舞台のスクリーンに映せば、競技でどれだけ変わったが一目瞭然になる。それこそ魔法でも使ったような落差を目の当たりにできる。観客にとってたまらない快感だ。うまいつくりだと改めてエヴァも思う。


第２会場の舞台、向かって左右の壁に作られた大きなスクリーン。映し出されたのは長い髪を生え際から編み込み首元からは流し、メタリック色のＴシャツにカーゴパンツという出で立ちのきつい眼をした女性だ。ふぅんともほぉともとれる声が湧く。

『そしてこれが、アフター』


ノスタルジックな音楽が流れ出すとともに、もう一本のスポットライトが舞台向かって右端のボックスに当たる。シャッと開けられるカーテン。現れた姿にワーッとさざめきが起こった。「へえ」と漏らした隣の男をエヴァが肘でつつく。


『タイトルは、プリンセス・アン』

ヒールを鳴らして舞台の突端まで歩いてきたのは、大方が一度は見たことがあるだろう、往年の名作映画「ローマの休日」のヒロイン・アン王女、に見紛う姿だ。

編み込んでいた長い髪は思い切り短くされ、エレガントな帽子に美しく包み込まれている。両肩に大きく広がったレースの襟は狭すぎず開きすぎない絶妙にＶネックで、ほっそりした首が六角形の星形に模したトップの真珠のネックレスで飾られている。Ａラインのスカートはふくらはぎすれすれの長さまで美しく流れ、足元はパンプス。

スクリーンに映し出されているビフォアの映像を確かめたくなるくらい別人だ。レトロな、だが現代にも通用する上品なプリンセス。


『僕は古い映画が好きです。中でもヘプバーンには一目見たときから憧れてきました。彼女は最高です』

最高というのが伊沢の口癖らしい。笑い声がまた起きる。


『テーマが「ヒロイン」と聞いた瞬間、浮かんだのが「ローマの休日」のラスト近く、王女が「Roma」とつぶやくところで。あこがれだったシザーズの舞台にヘプバーンを降臨させようとその時決めたんです』

熱のこもった口調は説得力があった。若いわねぇと思うエヴァ。


『当時映画から流行ったヘプバーンスタイルは、フロントをストレートバング、サイドはバックへぴったり流しバックは襟足ギリにカットする、スポーティで活動的なスタイルですが、僕はそれをアレンジして……』

伊沢が語る間、モデルは舞台の端から端までをウォーキングする。エヴァの眼にはいかにも素人っぽいが、ダンサーというだけあってリズムのあるウォーキングだ。向かって右のスクリーンはすでにアフター、つまり今の彼女のアップに切り替えられている。左右見比べると変わりようにどよめきが幾つも。これがシザーズの醍醐味だ。安直だけどわかりやすい変身ね、とエヴァは批評する。


ラスト、モデル本人が自らの変身を見る時がクライマックスだ。舞台中央に用意されたのは、白雪姫のお后よろしく呪文を唱えたくなる大きな楕円形の鏡。その前にモデルが伊沢と並んで立った。司会の友川が鏡にかけられていた覆いをふわりと取り去る。

緊張と期待と不安で青ざめたモデルが、じっと鏡を凝視する。その表情がみるみる感激へと変化するのを、カメラは余すところなくスクリーンとテレビ画面に映し出す。これこそが一番のプレゼンかもしれない。


『こ、れ、あたし？』
『あなたです。プリンセスになった感想は？』
『し、んじられない。充から大まかな説明はもらってたし、ウォーキングのために映画も何度も見たんですけど、でも全然。こんななんて』

毎年、感激の余り涙するモデルも多い。ほんと安直とエヴァの内心は辛口だ。


『み、充の手は魔法の手、です。女性はプリンセスに、男性ならプリンスにしてくれる。彼とここに立てて幸せです』
『レイ、ありがとう』
『それでは投票にうつりましょう。Ｅ２、伊沢さん。先ほど行われた技術審査の点数はこちらです』

パッと切り替わった左スクリーン、大きく『２１０』の数字が現れた。どよめきは賛否どちらもある。


『さあ一組目、アピール審査の点数は一体何点でしょう。会場審査員の皆さん、Ｅ２、伊沢充のプリンセス・アンを良いと思われたらお手元のスイッチを押してください。どうぞ！』

スクリーンの数字がめまぐるしく動き始める。７４８０２３１６……、舞台上の出場者とモデルはもちろん、客席も固唾をのんで見守る。もちろんエヴァもだ。唐突に数字は止まった。


『３９５点！　トータルしますと６０５点で暫定一位となります。この点数を越える点数は出るでしょうか。エントリーナンバー１　Ｅ２、伊沢さん、ありがとうございました。こちらでお待ちください』

鳴り響く拍手。応援団が怒鳴っている。まだまだこれからなのにと会場後方を眺めたエヴァは、前の会場審査員たちをも伺った。

良くも悪くも一番目が後の採点基準を作る。あわてないでとひとりひとりに言って回りたい心境。本命は最後なんだってば。膝の上で知らずに握っていた拳はぽんぽんとアダムになだめられてしまった。



２番目は未来イメージだった。マキシマム・大浦このみ。タイトルは「マトリクス・トリニティー」。数年前、大人気だった映画シリーズのヒロインだ。シャープでロジカルなカットが得意な美容師らしい。

無駄のないショートはさっきのヘプバーンスタイルとも似ているが、襟足の微妙な長さとか頭骨の形に添うセットは自ずと性差を浮きだたせる。黒いレザーのロングコートはハードに見えて柔らかな女性のラインも見せつける。バストぎりぎりまで開けたネックラインも同様だ。

ビフォアは白の似合う清楚なお嬢様風だったモデルが、黒い近未来のヒロインに様変わりしたわけで、映画の「マトリックス」はあまり好きではなかったエヴァでも上から下まで見入ってしまった。

『こんな風になるなんて。自分じゃないみたいで素敵！　大満足です』

モデルの、クールな外見とは真逆のはしゃいだ感想が興ざめだったが。


『技術点１８０点にアピール審査は３１０点。トータル４９０点！　うーん残念。Ｅ２、伊沢さんの勝ち残りです！』

肩を落として去っていく大浦とモデル。リアルで進む審査には残酷さもある。その現実感も客を惹きつける要素だとエヴァは思う。



３番目、Violet　Madamの増居つくもがビフォアを映すとざわめきが起こった。長い足と大柄な骨格は見るからに。


『ごらんの通り彼女は外国籍です。アメリカと中国のハーフ』

タンクトップとジーンズの組み合わせはいかにもアメリカン。長くのばした髪は赤がね色。


『そしてアフター。タイトルは「織り姫　ＶＥＧＡ」です』

スポットライトは中華風の着物をさらにモダンに着こなした織り姫を照らし出した。長い髪は頭頂でリボンのように結い上げられ、前は下ろしてある。特に顔の両サイドに垂らしたふた流れの髪は、丁度短冊を思わせる独特のカッティングがほどこされていて、衣装にうまくマッチしていた。

葉が鈴なりの細い笹竹を肩にしょった織り姫。赤い縁取りの着物と赤く輝く髪を鮮やかな緑で引き立てる。歩き方がうまい。プロだとエヴァは見た。

見かけない顔だけどどこから見つけてきたのか。所属はどこか。終わったら声かけてみてもいいかもぉ、などと商売っ気も忘れない。自らを鏡で見た彼女のコメントも英語だ。変身に慣れているだろうに早口の感想は興奮気味。

『unbelievable! as if wonderful magic! look different person! 』

「differentね」

そこがチャンスだけど、危なくもある。軽い頭痛にエヴァは眉間を押さえた。やっぱり止めた方がよかっただろうか。もっと安全策を。でも。


「エヴァ」

心配げなアダムの声に顔を上げ笑ってみせる。弱気は今更だ。これが自分の勝負ならこんなに悩まないのに。


『おおっと、アピール審査の点数は２５５点。意外に伸びませんでした。トータル４２５点は伊沢さんに及びません。残念です』

応援団の悲鳴と抗議がむなしく響いている。勝負は勝負。外野がつべこべ言うことじゃないけれど。


「どうでもいい連中なんかすっとばして最後にいっちゃえばいいのにぃ。ちちんぷいぷいってぇ」

エヴァの他愛ない文句にぶっと吹き出した周囲は、ギロリとねめつけられて釈明する。


「いや、ずいぶん可愛い呪文だなってさ」

ふんと鼻息で吹き飛ばしたエヴァはまた舞台に目をやった。出番を終えた3組、勝ち残ったエントリーナンバー１がモデルのプリンセスと立っている。不安とプライドが入り交じったその顔。


残り５組。ラストのヒデミまでまだ遠い。
エヴァはそっとため息を殺した。