『南ちゃんが普段こんなにおしゃべりとは知りませんでしたよ』
『おしゃべりっていうか』
『実はそうなんです』
『小津さーん』

第２会場のステージ上。司会の友川と丹澤南、小津伯人のやりとりに会場がどっと沸いた。丹澤南はシャイで寡黙な印象があったが、今日はかなりリラックスした様子だ。隣に座る小津伯人は飄々とした風貌。彫りの深い顔立ちを薄い色のサングラスで軽く見せている。

丹澤と小津の年は同じくらいのはずだが、小津の方がキャリアが長いのかトークも練れている。座るのにも飽きて、会場の後ろで立ち見していたエヴァはそう踏んだ。テレビで見るよりもふてぶてしい感じは好みだが、どうみてもあれは。


「ストレートよねぇ、残念だわぁ」

つぶやいた唇に右手の人差し指と中指を無意識に押し当てる。ニコチン中毒はところ構わずだが、場内禁煙はこのご時世でなくとも当たり前。仕方なく人差し指の背で唇をなだめる、それだけの仕草でエヴァは周囲の注目を集めている。砂鉄の中に磁石を放り込んだごとく薄暗い場内でも視線を引き寄せる。

それこそを武器に生きているエヴァだが、時にうっとおしくなるのも否めない。たとえばこういう場合。高校生の女の子グループ。学生風の男があちこち。ＯＬが数人。ちらちらしげしげ、興味津々の注視の矢。

なにしろエヴァだ。なだれ落ちてうねる長い髪。高い背。広い肩幅の鍛えた身体を包むのは総レースのワンピース。色は黒で袖は手首まで、裾は膝上のマーメイドラインだ。黒いストッキングの美脚も含め、怪しげな雰囲気は目立つことこの上ない。


『話題は尽きませんが、本日のトークショーはこれでお開きとさせていただきます。南ちゃん、小津くん、ありがとうございました。他の皆さんもありがとうございました』

イベント終了か。これ以上周りから見られるのも面倒だ。エヴァは煙草を吸おうとロビーに出た。



シザーズが行われている第２会場は繁華街中央広場に面する老舗の劇場だ。席数二千余り。コンサートや舞台が開かれる場内は作りもそれなりだ。ロビーの隅にもうけられている喫煙室に入ると、墨絵から抜け出た仙人そっくりの白いあごひげの老人が煙草をとりだしたところだった。こっちをみて相好を崩す。


「エヴァじゃないか」
「宝円さん久しぶりねぇ。いつもお世話さまぁ」

エヴァが浮かべたのは営業用ではない、内輪に見せる親しみのこもった笑みだ。


「そりゃこっちの台詞じゃ。毎度ありぃってな」
「ほんとよぉ。こないだのはちょっと高かったんじゃないのぉ？」

エヴァの非難に宝円はフォッフォッと笑う。


「『１６世紀のフランス文化、衣装と意匠』だったか」
「物覚えがいいのも相変わらずねぇ」
「ありゃ絵図も多かったし値は張るよ。大学の授業でも使われとるんじゃろが」
「わかってるってぇ。アマゾンで品切れだったのよぉ。宝円さんとこは品切れってないんだからぁ」

「亀の甲より年の功ってな。『ルネサンスの聖母子像』はもうちょっと待っとくれ」
「いいけどぉ。少しは勉強してよねぇ」
「うちじゃなきゃあの三倍はするぞ」
「おおこわぁ」

エヴァは珍品堂の得意先だ。もっともショーコはまだその事実を知らない。メイクやヘア、ファッションはもちろん、興味の尽くす限りのことを調べ学ぶ。実益を兼ねたエヴァの趣味を知る人は少ない。


「見回りでしょぉ？　シザーズの元締めさんだものねぇ。いい加減隠居で楽させてもらえばいいのにぃ」
「人間、動けるうちは動くもんじゃ。変に楽すりゃ呆けちまう」
「宝円さんが呆けるなんてぇ百年経っても見られそうにないけどぉ。従業員の晴れ姿、見に来たんでしょぉ？」

煙草を取り出しながらのエヴァの言葉に宝円はまたフォッフォッと笑う。


「ずいぶん可愛がってくれたらしいが」

百円ライターで火を差し出す宝円に、エヴァがあっさりかがみ込む。金色のつけ爪にはさまった一本の煙草を美味そうに深く吸い込み、とがらせた唇から細く長く煙を吐き出した。妖艶な絵を見るような。


「苛めてたのよぉ。知ってるくせにぃ」
「そうか」

自分も煙草に火をつけ、スパスパと吸いながら上目遣いにエヴァを見た宝円はニヤリと笑った。


「あんたに苛めてもらったらもう、怖いものなぞないなあ」
「どうかしらねぇ」

知らん顔でそう言ったエヴァは真顔になって宝円に問うた。


「ねぇ、宝円さんはどう思ってんのぉ、あの娘のことぉ」
「どうとは」
「気に入ってるのはわかるけどぉ、化けると思うぅ？」

吸い終わりの煙草を惜しそうにもう少しと吸って、ぎりぎり短くなったそれを灰皿の半球に空いた穴へぽとんと落としてから、宝円が思案げに言う。


「化けるのは無理じゃろまだ。せいぜい」
「せいぜい、何」
「脱皮ぐらいじゃろか」
「だっぴぃぃぃ？」

眼と眼があった。宝円の言葉を何度も小声でこね回し吟味したあと、エヴァは腑に落ちたような落ちないような曖昧な声を返す。


「ふぅぅぅん」

立ち上がったエヴァは、まだ半分は残っている煙草をためらうことなく灰皿に押しつけた。ギュッギュッと無慈悲なほどにもみ消してからあげた顔、艶やかなその表情に見慣れているはずの宝円も息をのむ。

「やっぱおもしろそうねぇあの娘ぉ。とっくり拝見しなくちゃぁあ」


肩に掛かる巻き毛をさらりと手で流したところでドアが開いた。顔を出したのは忠犬。

「ここにいたのか。始まるぞ」
「はぁいアダム。今行くわぁ」

にこやかに応え背を向けて去っていくエヴァの、そんじょそこらではお目にかかれない見事なモンローウォーク。揺れるお尻につい、ごくりとつばを飲んだ宝円だが、アダムに睨まれあわてて訳もなく首を振る。

不機嫌に、でも律儀に頭を下げてからアダムはドアを閉めた。はぁーっと深く息を吐く宝円。

「やれやれ。ごついくせに尻は締まっとる。とっくに枯れたわしでもおったちそうじゃ。あれが男たぁ世も末じゃなあ」


追いかけるように場内アナウンスが流れてきた。

『１３時１０分よりシザーズのアピールタイムおよび、会場審査が始まります。会場審査員の皆様は恐れ入りますが、１３時丁度にはお席におつき下さいますようお願いします』

「おっと、こうしちゃおれん」


あわてて腰を上げ、宝円も喫煙室をあとにする。
ショーコの正念場が迫っていた。