第１会場のミニライブは熱狂的な盛り上がりをみせていた。仕掛けたキングも驚くほどだ。


大手アイドル事務所所属の二人組ユニット・CUBEキューブ　はまだデビュー二年目だが、４月クールのドラマ主題歌に新曲が起用されたことで化けた。

ドラマが進むと共に歌の認知度は上がり、リリース前から着うた先取りでダウンロードがうなぎのぼり。５月末に満を持してリリースされるやヒットチャートトップに躍り出た。以来２ヶ月、いまだトップテン内を維持する人気だ。

ブルフェスが彼らに出演依頼したのは今年初め、まだヒットの芽もない頃だから、先見の明とはこのことか。交渉したキングを差し置き、ブルフェス事務局は鼻高々だ。彼らのライブは集客に一役も二役も買い、確実に人出を増やしてくれた。


「マッキー！」
「ユージーン！」

飛び交う奇声はふたりの愛称だ。キングの脳内ではしっかり名字つきで漢字変換される。小野　真樹雄おの　まきお　、和賀　悠仁わが　ゆうじん　。どちらも本名とか。

十九歳と二十歳のふたりはアイドル系にしてはしっかりした声量と音感を持っている。今回のヒットはフロックかもしれないが、ちゃんとステップを踏めばアーティストとしての地位も築けるかもしれないと、キングは見ていた。


インカムから声がした。シザーズに付いているスタッフだ。

『こちら第２会場。カット競技進行中』
「カメラワークはどうだ」
『問題ない。残り１０分。そっちはどう』

「ライブのテンションあがりすぎかもな。終わらせるのが大変そうだ」
『ハハッ、盛り下がるよりいいさ』

笑いに紛れさせるように、キングはさりげなく聞く。


「ショ、……ヒデミの調子はどうだ」
『今映ってる。やっぱりすげえな』

１０年シザーズをやっていれば自ずと、美容師の技術を見極められるようになる。キング同様そうした眼を持つスタッフが、インカムの向こうでもらす感嘆。それだけでキングにはヒデミの様子が読み取れた。

調子がいいんだろう。いつもと同じ、いやいつもよりさらに高見か。この段階ではまだ、ショーコはまな板の上の鯉。おとなしく料理されるのみだ。むこうの声が引き締まる。

『ぼつぼつ終了だ』
「わかった。頼む」


カット競技の時間は短い。技術審査に入ると同時に中幕が閉められ、舞台前面は観客のためのサブイベントへ切り替わる。人気俳優がメインのトークショー。シザーズのクライマックスはまだまだ先だ。


キングは第１会場へ意識を戻した。ライブはあと１５分。舞台裏にある突貫で建てた控え室で、次のイベントのために慌ただしく着替える一群が見える。白い腕、白い脚のなまめかしさは、きつい夏の陽を浴びてこそ見栄えがしそうだ。ライブとは別の意味で、盛り上がるに違いない。


「撤収組、手順をさらえ」

キングの指示に、ぱっととびおきた四、五人があわてて顔をつきあわせ、確認を始める。トラブルはなにかとつきものだが、最小限にする努力をキングは他のスタッフにも要求する。フォローと言い訳に時間を取られるよりもずっと効率的だ。

舞台の上。
CUBEのライブはクライマックスへなだれ込もうとしていた。





『今日だけは必ず朝ご飯食べてらっしゃい。あたしたちよりモデルの方が、昼ご飯食べ損なう可能性大だから。必ずよ？』

ヒデミの忠告を聞いておいてよかったとショーコはしみじみ思った。いつもどおり朝抜いていたら今頃、ぐうぐう腹が鳴ったに違いない。座っているだけなのに。きちんとした姿勢で座りつづけるのがこんなにも疲れるとは。


カット競技は前日までの髪の手入れとか、カラーとかパーマとか仕込みにかかった時間を考えると冗談みたいに短かかった。ハサミを操るヒデミには迷いは一切なし。まるでショーコの髪にここをこうしてこう切れ、と目印でもついているかのごとく躊躇なく切っていく。

その間もジグザグに配置された椅子を縫うようにして、ハンディカメラを手にしたカメラマンを従えた司会者が歩き回り、それどころではない出場者からもなんとか声を拾っていた。その逐一を観客と審査員が隈無く見ているはずだ。競技のライブ中継に観客席からは嘆声と歓声が半ばする。


「ちょっと下」
「右」
「左に頭傾けて」

周囲から聞こえるのは真剣な切羽詰まった声と短い指示のみ。ところがヒデミだけはいつもどおりショーコに話しかけてくる。


「ねえねえどう、どんな気分」
「…おっかない、」
「切られるのは平気？」

いまさらな問いに、はたとショーコは驚いた。あの切られる恐怖心、こびり付いていたトラウマがきれいさっぱり消えていると気づいて。あまりに跡形もなくて、自分に呆れる。


「なんか、あたしって、……馬鹿？」
「かもねえ」

否定してくれないヒデミをにらもうにも顔を動かせず、前髪をつかんでいる指に上目遣いが精一杯だ。


「でもそんなもんよ。どんだけ大きな心配事があっても、もっと気になることができたら飛んじゃうのよ、ひとって」
「あれだけ騒いだのに実は、たいしたことじゃなかったってこと？」
「違うってば」

ショーコの右斜め後ろに立って、後ろ髪を一房指にはさみとり、シャキシャキと切りながらヒデミが言う。


「大したことだったけど、もっと大したことに立ち向かったあんたが、ひらりと乗り越えちゃった、そういうこと」

今度こそ振り向いてしまったショーコの頭を、ヒデミががしっとつかむ。


「こら、前」
「わ、は、はい」

何しろいつもと違って、前は鏡でなく観客席だ。視線が見えない針のように刺さってきて痛い。カボチャカボチャと唱えると観客はカボチャに化けるけれど、それがみんなサングラス付きなのはなんでだろう。ヒデミは続ける。


「のりこえてようやくスタートラインよ。勝負はこれから。わかってる？」
「う、ん」

すでに各チームとも最終チェックの段階だ。前に後ろに激しくなる動き。左斜め前にはヒロがいる。見覚えのある背中がショーコの視界に現れては消える一方で、ヒデミもあわただしく前後する。

目にもとまらぬ速さでハサミを鳴らしたあと正面に立つと、ショーコの髪をバサバサ思い切りかき回して細身のコームで整えた。


「ショーコ、笑って」
「え」
「笑うの」

有無を言わさぬ命令口調にしかし、ショーコの反応は口の端を曲げた程度。ぺしっと軽くだがはたかれてしまって、笑うかわりに唇がとがる。


「だって」
「笑顔をイメージしてるんだから、このカットは」

ヒデミがくるり瞳を回す。


「思いっきり強気の自信満々で笑うショーコにこそ、似合うカットなのよ」

なんだそりゃ。相変わらず突拍子もないヒデミの言葉が、ショーコの中にぽわんと可笑しさをふくらませる。プッと吹き出して浮かべた笑みは、今日初めてだったかもしれない。

時を逃さず左右後ろ正面とチェックを入れたヒデミが、快哉を叫ぶ。

「あたしってやっぱ、天才！」


『そこまで！　もう切らないで！　中幕下ろして技術審査に入ります！』


かぶせるように司会者がタイムアップを宣する中、ヒデミと笑みを交わししつつも、ショーコは再び緊張に襲われていた。