ショーコがヒデミから解放されたのは０時過ぎてから。祭りが近づきキングは常にも増して飛び回っている。送り迎えはさすがになしだ。

深夜の帰り道は連なるネオンと看板と街灯で明るくて、思うほど危なくはない。確かに酔っぱらいや怪しげな人種ばかりだが、こっちがフラフラせずまっすぐ歩けばそうそう声はかけられない。
なんだけれど。


「あんた」

考えながらうつむいて歩いていたら腕をひかれてびっくりした。頭の上からこないだ会った柴犬の彼が見下ろしてくる。


「やっぱり」
「ア、ダムさん」
「さんづけはやめろって」
「でも」

ショーコにすれば呼び捨てるのもためらわれる。


「ヒデさんとこから？」
「はい」
「エヴァは。まだ居るのか？」
「え？　とっくに帰られました、けど」

ショーコの答えに彼のぶっとい眉毛が寄った。軽い舌打ちがいまいましげだ。


「あの」
「……隙あらば詣でるんだからな、店ほったらかしで」
「はぁ？」

ぶつぶつと何を言ってるのかよく聞き取れない。見上げる彼は白いシャツに黒いベストをビシッと身につけ、髪を整えてある。仕事中なのだろう。こないだよりも三割り増しの男ぶりは柴犬というより、シェパードか。洋犬の方が上なわけでもないのだが。

それにしても背が高い。キングといい勝負だ。不意にその背を屈められてショーコは一歩後じさった。目元に伸ばされる指は微かな隈を気にしたらしい。


「ずいぶん苛められてるようだな。エヴァ、きついだろ」

否定できないが肯定もマズイかなとショーコは黙る。


「ヒデさんとエヴァは古い古い友人で、エヴァが昔モデルをやってた頃、ヒデさんが凄く助けてくれたらしい」

初めての話を興味深く聞く。


「気が合う上にふたりとも惚れっぽくてさ。どっちかがふられるとどっちかが慰めてって、辛い時を凌ぐ相手だったんだと」

似たもの同士というのはわかる気がする。ショーコはふと、確かめたかったことを聞いてみた。


「あのぉ。エヴァさんて、男、ですよね？」
「あぁ」
「で、ゲイ」
「胸なし玉有り。天然極上素材だぜ」

身もフタもない答えに笑いがひきつる。


「……ゲイ同士なのに、ヒデミさんと恋人にはならなかったのかな」

ひとりごとに、あっさりアダムが答えを返す。


「ネコ同士だから無理じゃねえの？」
「性格ですか？　ひっかきあうとか」
「………」

視線がからんだ。ふたりの応答はかみ合ってないようだ。頭をかいたアダムが急に話も顔つきも変えた。


「とにかく。エヴァはヒデさんのことになるとすげぇマジなの。あんた、気の毒だとは思うけどやるなら命賭けた方がいいよ」
「いのち？」
「エヴァはさ、ここぞって時に結果を出せない奴を認めないから」

ヒュッと息を呑む。アダムが冗談抜きの真面目な顔で言い渡す。


「努力すれば結果は二の次、なんて甘っちょろい世界で生きてないから。エヴァもヒデさんも。もちろん俺もさ」

ショーコはおもわず胸に手を当てた。みぞおちにずんとのしかかってくる、なにかが重い。項垂れると黒革の靴が向きを変えた。


「ヒデさんのチャンスとエヴァの肩入れを無駄にするなよな」
「……あ」

ずっしりした内容をあっさりと告げて向けられた背中は厳しかった。柴犬？　シェパード？　とんでもない、実はオオカミ。油断してるとのど笛を切り裂かれそうだ。ショーコの気持ちは一段と重苦しいものになる。


とうに変わっている日付。
本番は今日だ。逃げ場などない。


陽が登るのが怖くてしょうがなかった。