七夕の夜。
キングは道を急いでいた。

ホストクラブ　Man　Hall　のオーナーとして十年余。界隈は熟知している。といってもあくまで地理の話。都会の繁華街ほどめまぐるしく変わる場所はない。不入りの店は一夜にして別の看板にかけかわる街だ。

逆に、十年経っても変わらない場所もある。そのひとつがほど遠くないところにある児童公園。古びたベンチはペンキが剥がれている。水飲み場は蛇口が緩んでさびている。元気なのは緑だけ。雨と太陽だけで育つ生命力のたくましさをキングは通るたびに賞賛していた。

なのに。
せっかく咲いた花を摘んで落とす不届き者が、今夜もいる。




キングは携わっている事業で多忙故、Man　Hall　は統括のケイに任せ滅多に顔を出さないが、たまに仕掛けるのはオーナーの特権だ。今月はイベントを思いつき、月初から店に日参している。公園の一角で緑の前に立つ影を見たのはその途中だった。

行き過ぎるキングの目の端で、白い花が摘まれては投げ捨てられていく。罪なことをと、思ったのは一瞬ですぐ忘れてしまったのだが。それから毎夜、判で押したように同じ光景を見ることになった。

薄暗がりの公園。街灯に沈む緑。散らばる小さな花。摘んでいるのは子どもみたいな若い女だ。バレッタで上げた髪。着ているのはいつもポロシャツかＴシャツにジーンズの格好。斜めがけにしているショルダーバッグはずいぶん古そうだ。高校生ぐらいにしか見えない後ろ姿。


今夜、キングが声をかける気になったのは、摘まれては投げられる花があまりにも理不尽に思えたからだ。気配を察したのだろう、振り向いてこちらを見返す彼女は十八九、せいぜい二十歳そこそこ。

「こんばんは」
「……は？」
訝しげなのは当たり前。見知らぬ同士で見知らぬ男だ。

「こんなところに女の子がひとりでいない方がいい」
嘘くさい台詞だとキングは失笑した。自分がこの子ぐらいの時、こんな事を言う大人なんて相手にしなかった。案の定彼女は横を向く。


「誰か、待ってるのか」
「ううん」
「花占いか？　それとも願掛けか」
「何言ってんの」
「そうじゃないなら。花は、咲かせておいたらどうだ」

ちらりとキングを見たあと、挑むように伸ばされた手がまた、花を摘む。

「この花、知ってる？」

キングが頷く。大きく葉を広げポツポツと灯りのようにいくつも花をつけているのはオシロイバナだ。


「夕化粧ってのも？」

オシロイバナの別称をこんな若い子から聞くのは珍しい。夕方から花を開くためそう呼ばれる。


「よく知ってるな」
「母親から聞いたの」

またひとつ摘み取る、細くて折れそうな指。まっさらな爪。


「自分みたいだって言ってた。夕方から化粧して夜に咲く花」

親が水商売をしているのだろうか。それにしては化粧っけのない顔だ。


「駄目なんだもの。アレルギーでかぶれやすくて」

キングの心を見透かしたように言葉が続く。指先は今つんだ花を弄んでいる。


「なのに彼にお化粧してこい、でなきゃ逢わないって言われた。３週間も部屋に戻って来ないのに勝手だよね。…オシロイバナなんて嫌い」

つまりは八つ当たりなのだろう。オシロイバナは種を潰すとオシロイに似た粉になる。それが名前の由来だった。

話だけなら子どものワガママでしかないけれど、毎夜つみ取っては投げていた彼女。花をつぶす指先が、妙に切羽詰まったものを感じさせた。


「化粧品でも刺激の少ないものとかあるだろう」
「そういうのって高いよ」

ぽいと、望みを放るように花を投げて天を仰ぐ。


「曇ってる。織姫と彦星も逢えないんだから。あたしの願いなんて叶いっこない」

言い捨てて彼女は駆け出した。


「おい」

あっという間に消える姿。足元に残った残骸にキングは肩を竦め、空を見上げた。


どんな願いがあるにしろ結局、願いを叶えるのは星じゃなくて自分自身。そんな簡単なことも、あの年頃には自分だってわかっていなかった。

土にまみれ踏みしだかれたいくつもの花房。

勝ち取ろうとしなかった願いの身代わりが、平常心がモットーのキングにわずかな苛立ちを覚えさせていた。